「セノ先輩、ほっぺにまだ返り血がついてますよ」
「七聖召喚なら私も負けてません! お供させてください!」
「先輩がいるのに大マッハマシンなんて、すごい失礼じゃありませんか!?」
「探してらっしゃった本、知恵の殿堂に戻ってきてたので借りておきました!」


たったそれだけ。他愛無い日々のやり取りだったはずなのに、いつの間にか私はこう呼ばれていたらしい。




大マハマトラのカノジョ






「ばっ………………」
「いや、だから事実だろ?」
「事実じゃない!!」

至極当たり前のことのように言い放つのは私の同期だ。しかもわけのわからないことに、その隣に座るもうひとりの同期も「でもマハマトラどころか教令院のやつらも噂してるぞ」と恐ろしいことを言いながら頷いている。執務室内に私の叫び声が響き渡ったけれど、私達三人以外誰もいないから迷惑にはならなかったはずだ。
信じられない、失礼すぎる……主にセノ先輩に。
頭を抱えそうになりながら渾身の力で目の前の同期を睨みつけても、噂とやらを完全に信じ切っているからなのか全く動じる気配すらない。

「セノ様に気軽に話しかけられる奴なんてただでさえ少ないのに……それが女性となると本当に希少じゃないか」
「あの冗談に付き合えるのも最早特技だよな」
「た、確かにセノ先輩とはよく話すけど! でもそれがどうしてそうなったの!? 私がセノ先輩のかっ……、……の、……だって」
「距離感が明らかに違うからだろ。あのセノ様と普通に雑談するとか……ただの直属の後輩だからってだけじゃない気がするんだよな」
「……私が一番背丈が近いからじゃない?」
「それだけが理由なわけあるか? ならマハマトラどころか教令院のほとんどの女性はセノ様と毎日談笑してたっておかしくないはずだけどな」
「確かに。それならライラーもキャラバン宿駅に出張なんてしなかったんじゃないか?」
「他の人のことなんて私にもわかんないよ……」

ライラーの考えてることなんて私にはわかんないもん。お昼代わりのデーツナンを摘みながらため息をつく。
スメールのマハマトラとして職務をこなして早数年。ほぼ同じだけの期間をセノ先輩のお側で過ごしてきたけれど、そういった浮いた噂はちらりとも耳にしたことがない。
セノ先輩に近づく女性はなにか裏があるか、大マハマトラという職に惹かれていることが大半だからだ。後者はかなりのレアケースだが。というか前者ですら数が少ない。だって『大マハマトラのセノ』は教令院の関係者や悪事を働く人たちの間では知らない人は居ないくらい、色んな意味で本当に有名だから。あとは……まあ……見た目が若すぎるというのもある。別に身長が低いからどうのというわけではない、決して。そんなことを言ったら「それとこれとどんな関係があるんだ? くだらない話をしてないで手を動かせ」なんてまたお説教かもしれない。

「みんな遠巻きにしてるけど、セノ先輩って案外普通だからね? 七聖召喚で勝ったときは嬉しそうにしてるし、負けたらちょっと悔しそうだし」
「あのセノ様が……?」
「そもそも! 私がセノ先輩に最初の頃すっっっごい怒られてたの見てたでしょ!」
「あぁー確かに……同期の中では一番説教されてた気がする」
「なんだっけ? 『これは他人に見せる報告書だと本当にわかっているのか? 最初から書き直せ』だっけ」
「『槍の持ち方がなってない』もよく言われてたような」
「『お前はもっとマハマトラとしての自覚を持て』」
「あー、それ一番言われたかも。というか今もたまに言われることある……あとは『場と相手の表情をよく見て手札を切るんだ』とか? 懐かしいな
「いや、最後のはなんだ?」
「え? 七聖召喚の指南を受けたときの……」
「いつの話だよ」
「当時週一くらいで……夜中までやってたような」
「執務室で?」
「うん」
「セノ様と二人で?」
「夜遅いしセノ先輩の個人レッスンだよ」
「ほらな、彼女だったろ」
「はぁあ? さすがに短絡的すぎなんだけど!」

セノ先輩と二人きりでなにかする人が先輩とお付き合いをしているとするならば、眼の前の二人だって個別にセノ先輩の執務室へ呼ばれたことがあるはずだ。もちろんそれぞれ真っ青な顔で部屋を出てきたのを誰もが目撃しているから、甘い時間なんてものは存在しなかったのは一目瞭然なわけだが。

「こんな話、セノ先輩に聞かれでもしたらどう――」
「俺がなんだ?」
「ヒッ……う、噂をすればセノ先輩」
「おおおお疲れ様ですセノ様!」
「俺に聞かれるとなにか問題があるのか」
「……」
「そ、その……」
「えーっと」

さっきまでの勢いはどこへやら。セノ先輩が来た途端二人とも急に口籠って、助けを求めるかのようにチラチラと私を見ている。ざまあみろ、助け舟なんて出してやるものか。自分で言い訳したらいい。こんな噂を耳にした大マハマトラがどんな顔をするか、同じマハマトラなら想像できないわけないもんね。

「……二人とも、なにか隠してるんじゃないだろうな」
「な、なにも」
「ただの噂話ですよ、ハハハ。……あ」
「バカお前、」
「噂話? なんの?」
「……」
「……」
「……」

私の同期ではあるけどマハマトラとしてあまりにも馬鹿すぎる。自分から地雷を踏みに行くなんて誰が想像しただろう。いや、セノ先輩の前だとあたふたして口数が多くなっちゃう人は多いから、読めたといえば読めたけど。

当たり前だが私はセノ先輩の直属の部下で後輩なので、もうここまできたら先輩が次に言うことはこれしかない。

「ナマエ、何か言うことは」
「……はい」

相手が隠し通せなくなって黙ってしまったら、次は一番喋らせやすそうな人に声をかけるのは尋問の基本である。
もちろん部下である以上命令されたら言わざるを得ない。それでも流石に口にはしづらくて、つい言葉に詰まってしまう。
なんでこんな役回りなんだ。より近しい部下から伝えることで少しでも大マハマトラの怒りが軽減されるんじゃないか、と期待する雰囲気が横から伝わってくるのが腹立たしい。
私も被害者のはずなのに!

「セノ先輩が私と、その……えーっと……」
「はっきり言え」
「こっ、……恋人関係だと、いう、噂が……流れてまして」
「…………」

てっきり激雷の如しお説教がくると思ったが、対するセノ先輩は口元に手をあてながら一呼吸おき、正直者の私ではなく私に噂を教えてきた二人に向かって言う。

「お前たちは当人である俺たちに確認もせず、憶測で話をしていたわけか? ……まあいい。そのことについては後日改めてマハマトラ全体へ通知を出そう」
「ちょ、先輩!?」
「お前は黙っていろ」
「はい……」
「えっセノ様じゃあまさかほん」
「それまでは他言無用だ。これ以上他人に話を広めるな。俺たちの関係について話すことも禁ずる。いいな」
「はい!!」
「了解いたしました!」

まるで璃月の千岩軍のように姿勢を正した二人が立ち去ったから、そろそろ口を開いてもよろしいですかと許可を得るためセノ先輩に向かって小さく手を挙げる。

「なんだ」
「はい。あの……さっきの話、てっきり激怒なさるものかと思ったのですが」
「都合がいいからな」
「はい?」
「今調査している相手を油断させるのに好都合だ」

急に不思議なことを言い始めたセノ先輩が、顎に手をあてながら続きを言う。

「妙論派の学生数人が同じ女を連れて、別々のタイミングで喫茶店へ出入りしているらしい。俺もお前もオフを装っていけば怪しまれない」
「なるほど……」

噂のことを聞いてから数秒で作戦を立ててしまわれるだなんて、やはりセノ先輩はすごい人だ。あの二人にああ言っておけば、マハマトラ内でこの噂を雑談のタネに使うことはまずないだろう。内心ではとても気になっていたとしても、大マハマトラの恐ろしさを前にして自由気ままに振る舞える人なんて皆無と言っても過言じゃない。
一方、マハマトラの誰かと知り合いで既にこの噂を知っている教令院の人たちは、急にみんなが口を噤み始めるものだから、気になって仕方がない。すると教令院内では次第に様々な憶測が飛び交うようになり、噂も大きくなり、その過程で調査対象である妙論派の某さんたちも耳にするという寸法だ。
セノ先輩がカフェに一人で行ったら目立つけれど、“噂”の相手である私と一緒なら怪しすぎるというほどでもない。
そして、調査対象を捕まえたら、“改めて”マハマトラ内に噂の真相を話すわけだ。
騙すならまずは味方から。兵法の基礎である。

「人数が多いから調査と証拠集めには少し時間がかかるだろう。信憑性を持たせるためにも、さっそく今晩はふたりで食事に行こう」
「わかりました! ……ん? 一昨日の七聖召喚のときも夕飯をご一緒したような気が……」
「毎日……だと露骨すぎるな。まずは三日に一度だ。次の休日にはどこか散策に出るか」
「さ、散策だといつもの調査の時と変わらないのでは、」
「ある程度人目があるところがいい。案はあるか」
「じゃあオルモス港はどうですか? 旅人がなんだか珍しい鳥を見たって話をしてた記憶があります」
「わかった。なら職務を装って散策に来た、という“設定”で行こう。いつもの荷物を忘れるなよ」
「了解です!」



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2022.12.01



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