ドクソ暗い話&本誌ネタバレをちょびっと含みますので注意。



最近、怖い夢ばかりを見る。


「今日、寝たくないな……」
「おかか」

時刻は深夜。私を部屋まで送ってきてくれた恋人に、「ちゃんと寝ないと体に悪いよ」と頭を撫でられ部屋に押し込まれて尚、私は悪夢が怖かった。

「いくら、」
「……うん」
「ツナマヨ」
「…………うん」

優しく頭を撫でてくれる手の温もりが愛おしくて、怖がりな私の心臓は少しだけ暖かくなる。

でも、正夢にならずとも怖いものは怖いのだ。

閉まる前の扉越しに向こうを見ると、微笑んで小さく右手を振る棘くんの姿が見えた。












……夢は、私の精神を蝕んでいる。


「ぐ……ぅ、っ」
「……」

眼の前のベッドで苦しむ姿。正常な語彙を発することもできずにのたうち回り、唯一残された右手でシーツを掴み、彼は目を見開いて幻の痛覚に呻いている。

「棘くん……っ痛いよね、つらいよね」
「……っ、う」

私が代わってあげられればいいのに。棘くんの苦しみを少しでも和らげることができるのなら、腕だって脚だって、いくらでも差し出すのに。
強く掴んだシーツには今にも裂けてしまいそうなほどに皺が寄って、生地が引き攣れて歪んでいた。肌に触れるものすべてが苦痛だと言わんばかりに爪を立て、棘くんは布団を床に蹴り落としたまま片腕を無くした惨痛に顔を歪めている。

「……と……げ、くん」

誰よりも棘くんが一番つらいはずなのに……涙が止まらない。夢の中の彼はしくしくと泣くでもなく、絶叫して泣き叫ぶわけでもない。ただただ苦しんで、時折その綺麗な眦からすぅっと涙を滑らせるだけだ。

「……っあのね、家入さんから鎮痛剤もらってきたよ。お水飲める?」
「ぁ、……ぐ、」
「…………棘くん、お薬……」

棘くんは私の手を振り払おうと左腕を動かしたけれど、それは私に届くことなく宙を切った、
……手を伸ばしても永遠に届かないのだ。片方しか、そこには残っていないから。


ふ、と棘くんの呻き声が静かに途切れた。
どうやら限界を迎えた身体が、意識を置き去りにして眠ってしまったらしい。

「…………」

――――少しでも楽にしてあげたい。

気絶するように眠りについた棘くんを見下ろしながら、私はこっそりと持ち込んで机に置いておいたそれを手に取る。

灯りが消された部屋の中、薄っすらと闇を反射して冷たく淀んでいるそれは、どこでも買えるありきたりなもの。

真希ちゃんや伏黒くんが持っているものとは違って、一本数千円程度の代物。


棘くんを楽にしてあげられるなら、いくらでもお金を差し出したっていいのに。
体でも心でも、私が持っているものならなんでもあげる。
もし他の人のものが必要だと言うなら、力尽くで奪ってきたっていい。

この苦しみを少しでも和らげることができるなら……すべての呪いは幸福になり得るのだ。


「……とげくん、ねちゃった?」
「…………」

ぐったりと憔悴した様子で眠る棘くんは、本当につらそうだ。

汗で細い束になってしまっている前髪を漉いて、私はベッドの上に膝をついた。
ぎし、とスプリングが鳴いて、まるで「自分は一人用のベッドなんですけど」と私を非難しているみたい。
…………いいんだ。ひとりだって、ふたりだって。世界で一番大切な棘くんの前では、他の人間なんて不可算名詞と一緒。

もちろん、そこには私も含まれる。棘くんが居る世界を構築している、数える価値の無いもの。


「…………」

眠りながらも苦しそうに呼吸を繰り返す彼を見るのはとてもつらい。毎朝毎晩、様子を見に来るだけで胸が痛くなる。


「……」


確か昔、テレビで日本刀の解説をしているときに誰かが話してたんだっけ。
刃物は縦で挿れると肋骨に当たって止まっちゃうから、横にして刺し入れるんだよ、って。

私はゆっくりと棘くんを跨ぎ、逆手でそれを握ったままベッドへ手をつくと、彼の額へ唇を寄せた。

ちゅ、と押し当ててから顔を離すと、誰よりも綺麗な棘くんがそこに居る。
今は宝石のような瞳は見えないけれど、私はあの輝きが何よりも尊いものだと知っている。

「…………棘くん、」


綺麗なうちに、棘くんを楽にしてあげたかった。

鳩尾に優しく手のひらを当て、位置の検討をつける。


――――ひと息で真ん中を狙わなければ、きっと今よりもっと苦しませてしまう。

私は綺麗な棘くんを見下ろし、逆手に持ったそれを振り上げ








「――――おかか、」
「あ…………」

は、と目覚めると、そこは寮の自室だった。
心配したように私を覗き込んでいる棘くんの顔が滲んでいる。

「ツナマヨ、いくら」
「…………」

瞬きをすると、雫がぽろぽろとこめかみを伝って滑り落ちていった。どうやら私は夢を見ながら泣いていたらしい。

大丈夫だよと口にしようとしたのに、出てきたのはなぜか嗚咽だった。
ひぐ、と私の喉が鳴ったからか、宥めるように棘くんが私の目尻を右手の指で優しく撫で、そのまま頬に片手を当てる。
ひんやりとした冷たい手。私はこの手が大好きだった。

「……ツナ」

安心していいよと言った棘くんは、一年の頃からずっと変わらずに優しい。

「……」
「いくら」
「うん……こわいゆめ……」
「……ツナ、こんぶ」

夢は夢だから大丈夫。正夢になんてならないよ。
――――やっぱり棘くんは凄い人だ。大好きな棘くんが口にするその一言で、私の悪夢は吹き消されてどこか遠くへ行ってしまうから。
急に安心感に包まれた私は身を起こし、ベッドのふちに腰掛けていた棘くんにぎゅっと抱きついた。

「め、明太子」
「ありがと。棘くんが起こしに来てくれるとね、怖いのなんか全部逃げてっちゃうんだよ」
「……おかか」
「む。本当だもん」

私を抱きとめる棘くんは、もうすぐお誕生日が来たら十七歳になる。
……そうだ、お誕生日にはケーキを用意しなくちゃ。でもロウソクを十七本も買ってケーキに刺したら、火を点けただけで全部燃えちゃうかもな。
それなら数字の形を模したものを二つ買って、ケーキの上に並べる方が賢いやり方かもしれない。

「ね、お誕生日はなんのケーキがいい? いちご?」
「…………」

むむ、と考え込んだ棘くんは、たぶんケーキの種類に迷ってるんだろうな。
私達が付き合い始めてから二度目の誕生日。今年は奮発して都心のいいとこで予約して買うつもりだから……ホールのにしようと思ってるんだけど。そんなに悩むならバラ売りのをいっぱい買ったほうがいいのかな?

「もうちょっと悩んでても大丈夫だよ」
「すじこ?」
「うん。まだ時間あるし、せっかくなら棘くんの好きなのにしたいな」

体を離して顔を覗き込むと、眠たげな目元に笑みを浮かべている棘くんがいる。

……あぁ、やっぱり棘くんのことが好きだ。

「あ。いま何時? 流石に寝坊しすぎちゃったかな……」
「おかか、ツナマヨ」

枕元を探してみても、携帯電話が見当たらない。もしかして寮のどっかに置いてきちゃっただろうか。
仕方ない。私は時間が見たくて目覚まし時計に目をやって――――

「おかか」
「?」

私の目が文字盤を捉えるよりも早く、棘くんが手を引いて立ち上がった。私よりおっきな男の子の手が、私の左手をぎゅっと握っている。

「高菜っしゃけ!」

今日は休日なんだから。時間なんて気にしてないで、ゆっくりしようよ。
幸せそうに零されたその言葉に愛しさが募って、「そうだね」と元気よく返しながら、私は廊下を歩き出した。


彼は世界で一番、大切なひと。





――――深夜。
今日もまた「眠りたくない」と駄々をこねた私に辛抱強く付き合ってくれた棘くんは、仕方ないから添い寝してあげようか、なんて呆れたように笑っている。

「そんなこと言って……えっちなことするつもりでしょ」
「おかかおかか。」

自分は至って紳士ですよ、と憤慨した様子で眉根を寄せているけれど――――そんなの、私が一番良く知ってるもん。棘くんを見つめている人ランキングがあるとしたら、上位三つは私の名前で埋まるだろうな。
一年生の頃の私と、二年生になってからの私。そして未来の私。

「うそうそ。……大丈夫、ちゃんと寝るよ」
「いくら」
「ん……おやすみなさい」

ちゅ、と触れるだけのキスをして、棘くんは私の部屋から去っていった。
ベッドに横になって、彼に『おやすみ』とメッセージを送ろうかと思ったところで気付く。

あ、そうだ。すっかり忘れてたけど携帯どっかいっちゃったんだった。
枕を持ち上げてみてもそこには何もなくて、仕方なく仰向けに転がって天井に目をやる。

「……明日、探せばいいか」

そう。まだ明日があるから。今日は棘くんの部屋でごろごろだらだらと漫画を読んでるだけだったけど、明日は失せ物探しの日にしよう。

そうと決まれば善は急げ。目を瞑って羊を数えて、早く朝を迎えなければ。

怖い夢だって大丈夫。だって私には棘くんがいるんだから。
正夢になんてなるはずもない、ただの夢。起きれば霧散する、幻の影。










最近、怖い夢ばかりを見る。



灯りが消えた部屋の中、先ほどまで痛みに呻いていた彼が眠っている。

「…………とげくん、ねちゃった?」

私が彼に声をかけても、言葉が返ってくることはない。ぐったりと憔悴した様子でベッドに横たわる姿は痛ましくて、目元がじわりと熱を持つ感覚に私は思わず首を振った。

棘くんのほうがつらいんだ。大きな怪我もしてないくせに、私が泣いたりするのはおかしいでしょ。

そう言い聞かせて、こっそり持ち込んで床に置いておいたそれを手に取る。

長くて薄い、鋭利な闇。私が手に持つそれは重く、これから私が何をしようとしているのかと様子を窺うように、静かに私の顔を反射している。
鈍く光るそれを、手が痛くなるくらいに強く握った私は腰を上げ、乱れたシーツに手をかけた。
棘くんが横たわるベッドに乗り上げると、私の膝の下でスプリングが不満そうにぎしっと音を立てる。

私は静かに彼の胴を跨ぎ、端正な顔立ちを見下ろした。


世界で一番たいせつなひと。今のあなたの望みは、果たしてどんなことなんだろう。



……生きるよりも大変なことって、あるのかな。



「とげくん……」


私は三徳包丁を顔の高さまで上げ、刃先を下へ向ける。

「……」

呪霊に成るのと生きるのは、どっちがつらいんだろう。
何もしてあげられないまま涙を流す私の眼下には、彼が静かに目を閉じたまま眠っている。

苦痛に呻きながら這いつくばって生きるよりは、きっとこっちの方が幸せだ。
この刃に呪力を込めて振り下ろせばいい。


もし、それの代わりに愛を込めたら――――そうしたら、棘くんは永遠に傍にいてくれるだろうか。


「ね、棘くん。棘くんは今、どんな夢を見てるのかな……」






きみののぞみをかなえてあげる






「――――かか、おかか」
「あ……」

本当に、毎晩この夢を見る。

「ツナマヨ、いくら」
「うん。また、こわいゆめ……」

将来を悲嘆するような趣味は私にはないのになぁ。
ベッドの淵に腰掛けた棘くんは、心配そうな目で私を見つめていた。大きくて、ひんやりとした優しい右手が、私の頭を撫でている。

「ツナ……」

夢の中の私は心が痛くて、痛くて痛くて、涙が止まらなかった。
現実の私も、目が覚めると泣いている。でもどこも痛くない。

……当たり前か。だって棘くんがいてくれるなら、私は無敵だから。

「高菜」

今日は休日だからゆっくりしようよ。
そう言ってくれる彼に首肯してみせ、私は差し出された棘くんの右手をとる。
ぎゅうっと強く手を握られたけれど、別に痛くは無かった。……当たり前か。優しい棘くんは、絶対に私に痛いことなんてしないから。


――――あぁ、夢でよかった。



「ね、そろそろお誕生日だね。なんのケーキが食べたい?」


"怖い夢"から醒めた"現実"はいつも休日で、なぜか彼以外の誰にも会わないけれど…………それでもいい。

だって私は、棘くんが傍にいるだけで幸せだから。





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2021.03.19




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