衝撃の腕なし棘後、再登場する前に書いたのでかなり捏造しています。
永遠なんてどこにもない。
たとえば地球資源とか、
たとえば平和とか、
たとえば私が飲んでいるペットボトルの中身とか。
もちろんそれは、恋愛にも当てはまるのだ。
永遠にはまだ早い
「なんで棘と別れたんだよ」
「んー……なんとなく?」
「ふーん」
適当そうな相槌を打つ真希の視線の先で、棘がひらりと身を躱して後輩の木刀を避けていた。アイドルユニットみたいにバク転を決めて地面に降り立つと、なんだかテレビで見たことがあるようなポーズを決めている。
数少ない観客であるパンダと野薔薇からの拍手に表情一つ変えずにひらりと手を振った棘と、一瞬だけ目が合った。
あぁ。周りにはわからないように振る舞ってはいるけれど、あれは相当落ち込んでるな。サッと外されてしまった視線をぼんやりと目で追って思った。
別れるときに特段揉めはしなかったものの、理由を訊かれて私がちゃんと答えなかったからだろう。
答えられなかったのはすべて自分のせいだ。
そう。私の未来視の術式のせい――――つまり私には、未来が見える。普段はほんのちょっとだけ行動の先読みができるくらいだけど、ごくたまにもう少し先の未来が見えることがあるのだ。
なんとはなしに棘を見ていた視線を下げ、足元の運動靴に触れている雑草の青を眺めて真逆の色を思い出す。
私に見えた未来は渋谷。渋谷の裏路地。道路に流れる大量の血と呪詛師と、お腹を押さえて壁に寄りかかる私。
未来視に痛みはないけれど、真っ黒な制服がてらてらと光を反射するほどの出血量は、見るだけで血の気が引いた。
これは助からないな、と。誰がどう見てもそう思うであろう状況。
倒れている呪詛師は未来の任務で追っている相手なのか、たまたま鉢合わせただけの相手なのか。ちらりと見えた電信柱には「道玄坂二丁目十七」の街区表示板があり、表通りにちらっとだけ見えるお店の店頭には、陳列された仮装の衣装が見えていた。
きっと当日はハロウィンが近いのだろう。私が幻視したこの日が十月三十一日なのかその数日前なのかはわからないけれど、これが私の最期の日なのだ。
たった数秒の幻視だけど、未来と向き合うには充分な時間だった。
――――いつか、こんな日が来るかもしれないとは思ってたよ。だって呪術師なんてのをやってるんだから、学生の身分であっても常に死とは隣合わせだもん。一年の虎杖って子も挨拶するより先に死んじゃったわけだし。
私が死んだ後で誰にも思い出してもらえないのは寂しいけれど、かといって悲しんでほしいわけじゃない。
何を言っているのか理解できない、呆然とした表情。
別れを切り出したときの棘の顔を思い出して、思わず溜息が漏れた。
だから、今の棘とは少し距離を置きたかっただけなのだ。
夜寝る前のギリギリまで隣にくっついていたがる寂しがりな彼は、きっと、自分の知らないところで私が人生の終着点を迎えてしまったら、怒るだろうから。自惚れと言われても仕方ないけれど、棘はそういう人なのだ。誰よりもクールなように見えて本当は友達思いで、後輩思いで、私を特別大事にしてくれている。
こんな日が来るとわかっていながら、それでも棘を選んでしまったのは私の一番の失敗だったな。兄妹みたいに育った飼い犬が病気で死んじゃったとき。幼稚園からの幼馴染がほんの一瞬のうちに九年の短い命を散らしてしまったとき。街中で見かけた私のお父さんが、よちよち歩きの子供を連れていたときも。
「こんなに別れがつらいなら、大事な人なんて作らなければいいんだ」って気付くまで、私は何度も何度も間違えたんだもん。だから、高専に入ってからは、表面上の付き合いで生きていこうと思っていたのに。
最初の頃の憂太は目が離せないくらい危なっかしくて、そんな憂太を嫌そうに見つめながら強さを追い求めていく真希と、無機物の動物図鑑にすら喧嘩を売ろうとするパンダ。
そして、おちゃらけ代表でムードメーカーだけど一番の友達思いな棘。
少ない語彙で好きだ好きだと押されて気付けば絆されていて、あれよあれよという間に付き合って、もし別れなかったならもうすぐ一年。私の最期の日がくる前に、棘の誕生日くらいは祝えるだろうか。祝えるとしたら、プレゼントは手元に残らないものがいいだろうな。
それとも、元カノからの贈り物なんて困るだろうか。
でも同級生をやめちゃったわけじゃないし、嫌いになって別れたわけじゃないから、祝いたい気持ちはあるのだ。
でもそんなのは私の身勝手な理由でしかない。
棘にとっては残酷だろうな。やっぱりやめておこう。
もう一度転がり落ちそうになった溜息を飲み込みながら言う。
「本当に、なんとなく、ね」
「なんだそりゃ」
誰にも言っていないから、“その時”がきたら真希も傷つけてしまうかな。
永遠なんてどこにもないのだ。
誰もかれもいつかは死ぬし……その中でも私は、もうすぐ死ぬのだ。
◆
さて。今日か明日かと身構えていた私に訪れた、十月三十一日の渋谷事変当日。
未来視の術式通りの最期を迎えてふっつりと記憶が途切れてしまったものの、なぜか目が覚めてしまった私が見上げていたのは、白くて、消毒液のにおいがしていて、在学中に何度も見たことのある天井――――つまり、高専にある静かな医務室の天井だった。
なんと不思議なことに、あの世というのは私の記憶を忠実に再現するものらしい。
なるほどね。もしかしたら、街中を歩けば、元気だったころのポチや死んだ幼馴染にも会えるかな。
そう思いながら身を起こそうとすると、私の想像とは裏腹に身体がほとんど動かなかった。どこもかしこも痛くてたまらなくて、一番の違和感を生んでいる場所を手探りで確認してみると、それは腹部にきっちりと巻かれた包帯だった。
死んだら手当もしてもらえるのかあ。嬉しいサービスだけれど、可能なら完治させておいてほしかった。
死んでるってことはつまり、これ以上傷は良くならないのだろうか。治らないままあの世で――いや、今いるんだからこの世と言ったほうが合っているのだろうか――暮らしていくのは、なかなか厳しいものがある。
ベッドの中で呻きながら日々を過ごすのは嫌だなぁ。生前の行いによって元気な頃の自分の再現度が変わるんだろうか、じゃあ坊さんは徳を積んでいるからさぞかし元気なんだろうなと想像を巡らせていると、それを遮るみたいに引き戸がバタンと大きな音を立てた。
思わず「きゃっ!」なんて私のイメージに似つかわしくない声が出る。
「…………ツナ」
「え……あ、れ……?」
開け放した扉に手を当て肩で息をするその姿は、紛れもなく彼だった。
薄茶色のさらさらとした髪、同級生と比べると小柄な体躯。先程大きな音を立ててしまったからか、少しバツの悪そうな表情を浮かべている。
「棘……?」
「……しゃけ」
「嘘やだ、棘まで死んじゃったの?」
「……」
「なんだぁ……じゃああのまま付き合っときゃ良かったなぁ」
まさかの再会である。それにしても、棘は五体満足元気そうだ。左腕に巻かれた包帯は気になるしどことなく不機嫌そうだけれど、手足がちゃんと揃っていて、しっかりと二本の脚で歩けている。
「やっぱ棘は日頃の行いがいいからなぁ。本当に全盛期、完全体じゃん。準一級になったころくらい? いや、もうすこし後かな? 交流会の後くらい?」
「…………」
「……もしかして、私以外に誰かと会った? 他には誰も来てないといいなぁ」
そう呟いた直後、今度は静かに戸が開いた。
ちらっと視線を投げて……驚く。車椅子に乗っていて、顔中が火傷の痕に覆われている短髪の女性だ。腕を組んで呆れた顔をしている彼女は、生前の私の交友関係にはいなかった容姿なのに、でもどこか見覚えがあって――――と、車椅子の後ろから現れた彼には今度こそ“完璧に”見覚えがあった。
「やあ、ミョウジさん」
「うわ、憂太まで…………え? もしかして海外でも夏油の呪霊が暴れてたってこと?」
「え?」
「何言ってんだお前」
「その声まさか真希!? うわー……パンダ以外の同級生全滅じゃん……てか火傷痛そ――――いだだだだだ」
「こんぶ」
「ひ、ひぁい、はなひへ! っと……ッ棘!!」
「ちょちょちょ狗巻くん、ミョウジさん怪我人なんだから」
「憂太が治したらもっとやっていいぞ」
「しゃけ」
「死んでも痛いもんは痛いんだからね!? てかあの世でも反転術式使えるとか憂太チートすぎじゃん」
「えっ」
「はぁ?」
「……」
「乙骨ってどっちかっていうと整骨院ぽそうな響きだからなー……でも開業医やって事故死した人とか治してったら呪術師の頃より稼げちゃったりして」
「いや事故死してたらここにはいねーだろ」
「え?」
「あはは、さすがに死んだ人は治せないよ」
「でも死んだからここに居るんでしょ?」
「はぁ? 誰の話してんだ」
「すじこ」
「じゃあみんな三途の川渡り途中なの? ダメだよまだこっちに来たら」
「川も何も渡ってねーよ」
混乱する私に説明された内容はこうだ。
誰も死んでない。
至ってシンプルである。
「えーっ絶対死んだと思ったのに」
「まだ完治したわけじゃねーけど憂太さんに感謝しろよ」
「ごめん、真希さんの方が重傷だったから……ひとまずミョウジさんの傷だけ塞がせてもらったんだ。九十九さんの仲間がミョウジさんのこと見つけて応急処置してくれたんだって。それがなかったら僕も間に合わなかったよ」
「私だけじゃなくて棘も腕ばっさり切り落とされてたしな」
「……こんぶ」
「う、腕って、うそ、棘だいじょうぶなの……?」
「しゃけ」
それより、と不機嫌そうな顔をしたままで棘が言う。
じゃああのまま付き合っておけばよかったなってなに、と。
「え、あれは……えーっと……」
「…………」
「…………」
「…………」
「……てかそんなこと言っ」
「こんぶ」
「はい」
まったく耳聡いな。大事な話の気配を感じて今まさに扉の近くまで静かに移動していってる真希と憂太みたいに、知らんぷりしててくれればいいのに。
身体は動かないから横になったまま、気まずくて視線をベッドの柵に固定させて白状する。
「……死んだ、って思ってたから」
「……」
「どうせ死ぬなら別れなくてもよかったなって」
「明太子」
「別れようって言うちょっと前に術式で見たの。近いうちに自分が呪詛師とやり合って、たぶん失血死するなってくらい酷い怪我して、それなら……棘のこと置いてっちゃうなら、って」
私の言葉を聞いて呆れたようにため息をついた棘が、生きててよかったと呟いた。
生きててよかったなんて、そんなのこっちの台詞だ。腕を切り落とされただとか、大火傷だとか、満身創痍にも程がある。
「すじこ」
「別に……嫌いになったわけじゃないよ」
「……高菜」
「先に別れておいた方が……ダメージとか少ないかな、って…………思って」
「おかか」
「私の方がおかかだし……」
「…………」
「死ぬまで毎日棘のこと考えてたし」
実際は死んでなかったわけだけど。
これ以上なんて言ったらいいかわからなくなって、ベッドの上で手を組みながら視線を彷徨わせると、その手の上に温かいものが乗せられた。
見なくてもわかる。棘の手だ。憶えちゃうくらい繋いだり触ったりしてきたんだから、間違えようもない。
「……こんぶ」
「…………うん」
「すじこ?」
「今でも、好きだよ……」
それならいいじゃんと言って、手をぎゅうっと強く握られた。
あの世に行くにはまだ早いから、せめて最後まで手を放さないでいようよ、なんて……少女漫画でも見ないセリフだよ。
恥ずかしかったのに涙が出ちゃいそうで、痛みで誤魔化せないかと悪あがきのように布団を引っ張り上げた。
もう一度お付き合いしてくださいって言うのは、少し待ってからにしようかな。
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2023.06.13
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