ことのおわり
あの日棘の声が聴こえてから、私にかけられた呪いは糸が解けるように緩んで消えていった。
「少し聞こえるようになったみたい」とその晩のうちに真希を呼んで、やっとトンツーや手のひらに描かれる文字から解放されて、翌日には聴力が完全に元に戻り、その次の日には光を知覚できるようになって、ぼんやりと皆の姿が見えるようになった。視力も数日で元に戻った。
……ひどいことに、同級生はみんなして棘のことに気付いていたにもかかわらず、隠していたらしい。いや、隠していたと言うと語弊があるか。みんなは棘がちゃんと“狗巻棘として”見舞いに来ているものとばかり思っていて、まさか憂太の名を騙っているとは思ってもみなかったそうだ。
だから本物の憂太に指輪のことを尋ねたあの時に、変な間があったわけだ。棘のばか。ちゃんと自分だって言ってくれれば……いや、言ってくれたとして、私はきっと冷たい態度を取っていただろう。結果として上手く着地しただけに過ぎない。
そしてついさっき、大きな花束を持って来た棘に「誠意」を見せてもらったばかりだ。
「申し訳ございませんでした」
「棘、ちゃんと反省してる?」
「しゃけ」
「……じゃあ、まずは友達からね」
「しゃけ……」
「…………『まずは』、友達から。ね」
「っしゃけ!」
床に引いたラグの上。要求通り律儀に土下座を披露してくれている棘と、その正面に座って見守る私。私の歩み寄りをちゃんと理解してくれたのか、ガバッと頭を上げた棘が大きな声で言う。
どうやら、私に恨みを抱いていたのはアカデミー賞主演女優賞を惜しくも逃したハンカチ交換馬鹿女でほぼ確定のようだ。昨日、棘宛に送られてきた着払いの荷物の中に、私が新潟出張土産で棘にあげて、あのふわふわ男ウケ狙い女優もどきが持ち去ったハンカチが見るも無惨な姿で入れられていたからだ。
「見る目がないクソ男」なんて捨て台詞のテンプレートのような言葉が書かれた、見覚えのある白い封筒と一緒に。
無意識であっても、窓の彼女が私に呪いをかけるなんて、相当悔しかったか腹が立っていたのだろう。
きっと彼女は棘を諦めて、次のターゲットへ狙いを定めたに違いない。
そこでやっと、私に対する感情が薄らいだということなのだろう。
本当に失礼な女だ。アレに気に入られてしまった棘も災難だったと言えるだろうけれど……まあ、下心に気付かない棘のお人好しと博愛主義がそれに合わさった結果、今回のことが起きたのだから、差し引きゼロどころかマイナス。身から出た錆だ。
「……」
「ん。なに?」
「すじこ」
遠慮しながら、私の首筋へと手を伸ばしてくる。それがすんでのところで止まったから、どうぞ、と許可を出した。さらりと髪に手が触れて、棘の目がちょっと寂しそうな色を帯びる。
「……」
「……短いの、イヤ?」
「ツナマヨ」
可愛いよ、と髪を指で梳いて、頭を優しく撫でられて、私をちゃんと大切にすると棘が誓ってくれているみたいで、少しだけ安心した。
でも、こんなので調子に乗らないでよね。
「付き合うまでは、これ以上はお触り禁止です」
「しゃ、しゃけ」
早く口説いてね。前みたいに。
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2021.09.16
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