「狗巻さんって、寡黙ですよね」
「は?」

ふいに言われた窓の子の言葉に、私は彼女の顔を二度見してしまった。
今日は土曜日の昼下り。ちょうど報告だか確認だかのために高専へ立ち寄っていたらしき窓のナマエを見かけた私が声を掛け、校舎の端っこでお互いの近況を話し合っているところだった。

「真希さんもそうですけど、やっぱり呪術師だからですかね……落ち着いてるっていうか、大人びてるっていうか。ふざけたりもしないし……私のクラスの男子なんて、毎日雑巾と箒で野球してますよ」
「……」

落ち着いてる。大人びてる。ふざけない。

……いやいや棘とは縁のなさそうな言葉だが。
アイツはしょっちゅう悟やパンダと結託して"バカなこと"をしているのに。

「物静かだし、思慮深そうというか」


…………それ、本当に棘のことか?


私が"狗巻棘"の概念を検討し直している中、ナマエが少し悲しそうな顔で「それに……」と呟く。
そこで一度言葉を切った彼女は、ちょっと不思議そうに首を傾げている。

「やっぱり、呪言師の狗巻さんは大変ですよね……語彙を『しゃけ』と『おかか』の二つに絞らなきゃいけなくて……」
「……は?」

なに? 語彙が『しゃけ』と『おかか』の二つ“だけ”?

「あ……もしかして、それで無口にならざるを得なかったのかなぁ。んん……皆さんはどうやってお話しされてるんでしょうか……?」
「…………」

……どうやら私は相当奇妙な顔をして彼女を見つめていたらしい。
ナマエは私の反応をマイナスな方向に受け取ったようで、少し肩を落としながら言葉をこぼす。

「あはは、ダメですね私。察しが悪くて……仲の良い同級生なら、狗巻さんの言ってることがわかって当たり前、ってことなんでしょうか」
「いや、まぁそりゃ……私達は棘の言ってることくらいはわかるけど」
「うーん……やっぱり、私はまだまだ狗巻さんとは距離がある、ってことなんですかね……」

ちょっと寂しそうに笑うナマエは、窓だ。確かに高専生ではないし、呪術師でもない。その点においては私達と大きな違いがある。
それでもナマエは普通の学生の窓とは違って、高専へ来る頻度が高い。補助監督には電話とかメールで報告すりゃいいものの……なんでわざわざ。
それに棘と話しているところもよく見かけるし、アイツがナマエを邪険にしている様子もないのだが……

と、私の後ろに視線を動かしたナマエが小さく手を振った。

「あ! 狗巻さん、お疲れさまです」
「……しゃけ」

買い出しに行くついでなのかただの散歩か、ラフな格好をした棘がこちらへ歩いてきた。
……いや、なんか手に持ってるし、どこかへ向かう途中だったんだろう。
棘が近付いてくるにつれて細かな表情が見えるようになってきたが、アイツの目元がなぜか少し赤くなっているのが目について声を掛けた。

「風邪か?」
「……おかか」

問いかけに答える声も控えめだし、いつもと比べるとちょっと元気がないだろうか?
……いやいや。今朝はパンダと二人、ゲームか何かでやいのやいの盛り上がってたはずだけど。

私が内心首を傾げながら見守っていると、棘はナマエの傍までやって来たかと思えば、右手に下げていた紙袋をすっとナマエへ差し出した。

「あ、ありがとうございます。……お土産ですか?」
「しゃけ」
「わぁ……クッキー? すっごく美味しそうですね。ありがとうございます!」
「……しゃけ」

たった一言だけ呟き頷いた、いつもと違う棘の様子を見て、私は違和感の正体に思い当たった。


…………まさかこれは、もしかしてアレか。


「あの、私もお土産あるんです」
「……しゃけ」
「これ……この間お友達と遊びに行ったので、」

彼女が差し出したのは、千葉県にある有名なテーマパークのイラストがプリントされた袋。どうやら中身はお菓子の缶か何からしい。
可愛らしいピンク色のクマがハートマークの形をした風船を持ってふわふわと浮いている。

「……」

こく、と頷いた棘は、袋を受け取ったかと思えばスイっとナマエから視線を逸らした。なんとまぁ、目元だけでなく耳まで赤くなっている。

……流石に土産をもらっておいてその態度はねーだろ。

「……オマエな、ありがとうくらい言えねぇのか」
「っしゃ、け……」

呆れた私が横から肘で思いっきり小突いてやると、ハッとした様子で彼女の顔を見た棘が「たかな、」と小さな声でお礼を言った。

「……!」

棘の声をちゃんと拾い上げたのか、ふわっと花が綻ぶようにナマエが笑い、「私こそ、"たかな"です」と口にする。

「しゃ、しゃけ」

彼女の笑顔を正面からまともに食らったのはコイツにとって刺激が強すぎたのか、上擦った声で返事をした棘の視線が泳ぎに泳いでいる。



クソッ…………面白すぎだろ。

ホントにコイツ、新しいルールでもできたのかと思うくらい『しゃけ』と『おかか』しか喋ってねーな。

たぶんナマエは、“高菜”は棘が御礼の言葉として使用する“専用”の単語だと捉えているのだろうが、棘が発するそれには『待った』とか『任せとけ』とか、もっといろんな意味が含められることもあるのだ。

「……オイ」
「しゃっ――――しゃけ、」

ぽん、と棘の方に手を置くと、彼女曰く“寡黙”で“大人びている”らしい呪言師がぴゃっと肩をすくめた。
びっくりしている様子の棘に顔を近づけ、耳元で囁いてやる。

「オマエもっと喋れよ。たぶん語彙が『しゃけ』と『おかか』しか無いヤツだと思われてんぞ」
「おっおか、おかか、ツナマヨ」
「……? ツナマヨ、はどんな意味なんですか? ……お土産?」
「い……いくら、おかか」

高菜に引き続き、やっと『しゃけ』と『おかか』以外の言葉を聞けたからか、ナマエが棘の“新しい”単語を理解しようと目を輝かせて問いかけている。

「……いくら?」
「しゃ……け」
「ツナマヨは、“幾らですか?”ってことですか?」
「お、おかか」
「ご、ごめんなさい……“どれくらい?”でしょうか」
「おかか、」
「違いますか……」

腹が捩れそうなくらい面白い。

棘は助けを求めるような目で私を見ているが、知らんぷりして二人のやり取りを眺めてやる。

「めんたいこ、いくら」
「たまご?」
「おかか……」
「す、すみません……さかな?」
「おかかおかか」

たぶん永遠に当たらないだろうな。
正しくは「“それは困る”、“誤解だ”」と「“ツナマヨは意味とかそういうわけじゃなくて”」と「“わかりにくくてごめん”、“なんて言ったらわかりやすいかな”」だ。

棘は困り果てて私を睨んでいるけれど……なんとかしろよ、男だろ。

「なんかあの……すみません、察しが悪くて……、あ! 携帯でなら」
「しゃ、しゃけ」

たぶん棘とテキストで会話をしようと思ったのだろう。可愛らしいピンク色のケースに包まれた携帯電話を取り出したナマエが、再度「あ、」と声を上げる。

「よければ連絡先、交換しませんか?」
「……」
「真希さんも、ご迷惑でなければ」
「いいぜ」
「…………」

嬉しそうに端末を翳すナマエとは対象的に、耳まで赤くしたまま何も言えずにぎこちない仕草で自分の端末を触っている棘がめちゃめちゃ面白い。
ササッと交換した連絡先には、絵文字も何もなくシンプルに『ミョウジナマエ』とだけ表示されていて、それすら彼女の性格を表しているようで可愛かった。どうやらアイコンは自撮りらしい。写真の端っこに、誰か別の人の耳が写っている。

「これ、誰かと撮ったのか?」
「そうです。友達と合宿行ったときに……写真映えするところがあるって聞いて、あの、先生には内緒で」
「…………」
「ふーん、いい写真じゃねーか。なぁ棘?」
「しゃっ……! しゃけしゃけしゃけしゃけしゃけ、しゃけ」
「そ、そんなに言ってもらえると嬉しいです……」

棘が慌てて何度も首を縦に振っている。
……オマエは赤べこか。まぁ確かに顔も赤いしな。

目元を朱に染めている棘には気付かなかったのか、私達の連絡先を手に入れて喜んでいる様子のナマエが、嬉しそうに口元に笑みを浮かべながら言う。

「高専に来るか現地でばったり会うかしかなかったですけど、これで便利になりましたね」
「ん?」
「お土産がなくっても、狗巻さん達に『いつ空いてますか』って気軽に連絡できるから」
「しゃ…………け」

上擦った声をあげてこっくりと頷く棘は、わかりやすいくらいに恋をしていた。
ナマエは鈍いのかなんなのかわからないが、少なくとも棘に好意は持ってくれてるようだし……もっとちゃんと話して押せばいいのに。




それから一週間後、またもや高専で顔を合わせたナマエは、私と世間話をしながら「やっぱり狗巻さんってお忙しいんですね……」と申し訳無さそうな顔をしていた。
話を聞いてみれば、どうやら棘へメッセージを送ると数時間、遅い時は半日後に返信が来るらしい。
今日の午前に送ったものには読んだ形跡があるものの、まだ返信が来ていないのだとか。

……なるほど。

「ちょっと待っててもらっていいか」
「……? はい」

試しに私が「今起きてるか」と棘へテキストを飛ばすと、十秒で返事が来た。


――――なに?

なに、じゃねーよ。うるせぇっつってんのに朝からパンダと騒いでやがったんだから、オマエが起きてて寮にいんのは知ってんだよ。

――――今ナマエが高専来てる

今度は既読がついてもなかなか返事が来なかったから、『オマエがなかなか返信よこさねーって落ち込んでるぞ』と追撃をくれてやると、今度は二秒で返事が来た。

――――いま行く
――――どこ

どこ、じゃねーよ。"どこですか"だろ。

私がそれに対してわざと返信せず無視してやっていると、一分も経たないうちに"物静かで思慮深そう"なバカから電話が掛かってきた。
絶対に面白いことになるのは目に見えていたので、応答のアイコンをタッチしてから即座にスピーカーに切り替える。

『――――おかか!』

電話が繋がったと同時に、少し怒ったような棘の声が響く。私が今どんな顔をしているのかも知らず、バカはとても不服そうな声色で私に向かって不満を捲し立ててくる。

『おかかすじこ!』
「なんだよ。“こっちは”忙しいっつの」
『明太子いくら、ツナマ』
「あれ、狗巻さんですか?」
『……………………』

ナマエが言葉を発した瞬間、あんなに喧しかった電話越しの声がぱたりと静かになった。
バーカ。焦ってるオマエが何を言うかだなんて、こっちにはお見通しだっつの。

訊いてるのになんで無視するんだ、場所くらい教えてくれたっていいのに、こっちだって急いでるんだけど――――とか。私が想像した通りの内容ばっかり棘が言うもんだから、今にも笑ってしまいそうだ。

「午前はすみません、お忙しいのに連絡しちゃって」
『お……おかか』
「あの、真希さんとお約束してるなら私はそろそろ」
『おおおおおかおかかおかか、ツナ』

電話口の棘は慌てた様子で「ちょっと待って」と言っているけれど、たぶんナマエには伝わってない。

そこそこ楽しんだ私はスピーカーを切ってから携帯を耳元に当て、一言だけバカに言葉を投げつけて電話を切ってやった。

「校舎前」
『しゃ――――』

ピ。


それから二分後、パタパタと走ってきた棘はナマエに向かって「しゃけ」とだけ口にした。ナマエを前にすると、少ない語彙が更に数を減らすらしい。

「お疲れさまです、狗巻さん。お忙しいのに来てくださって……"たかな"、です」
「……しゃけ」

…………オイ、真っ赤な顔した恋する呪言師。せっかく連絡してやったんだから、私にも何か言うことあんだろ。

「おせぇ」
「……いくら」

言い訳してんじゃねぇよ。教えてやったんだから感謝しろ。





口下手な蛇






ナマエが帰った後で棘に話を聞いてみると、どうやらナマエに返す文章に悩んでしまって、なかなかメッセージを送れずにいたらしい。

…………いやいや、せめてなんかあるだろ。

オマエがパンダとやり取りしてる時にしょっちゅう使ってる「OK」の札上げてるアザラシのアレとか、木に引っかかって下りれなくなったタヌキのアレとか、ダン箱でできた車で爆走してるペンギンの無意味なアレはなんなんだよ。

「オマエな……次にナマエと顔合わせたら、まずは『高菜"イコール"ありがとう』じゃないってとこから説明しろよ」
「しゃけ……」

そもそもなんで窓がわざわざ高専くんだりまでやって来てると思ってんだよ。山の中だし。都心からは遠いし。……ナマエにも普通の生活があるんだから、別に暇なわけじゃないのに。
語彙を絞ってる棘と円滑に話をする“だけ”なら、携帯電話に打ち込んだテキストで事足りるはずなのにな。
なんのためにナマエがオマエの言ってることを理解しようと頑張ってると思ってんだ。


……ナマエの性格が良いから?
んな単純な理由なワケあるかバカ。


そう心の中で棘を詰っていると、ぶぶ、というバイブ音と共に、手に持っていた端末へナマエからのメッセージが飛んできた。


――――真希さんお忙しいのにすみません。明日の狗巻さんのご予定とかって、わかったりしますか?


「……棘、明日の予定は?」
「すじこ。……、ツナマヨ?」
「いや別に。聞いてみただけ」


――――明日は丸一日オフ。

――――ありがとうございます! 遊びに行きますね!




でもそれを教えてやった結果、“寡黙な”バカが調子に乗るのは癪だから――――やっぱり言うのはやめておこう。




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2021.03.18




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