麗らかなある晴れた日のこと。
科学王国内にあるレストランフランソワで、私は恋人である羽京と一緒にお昼ご飯を食べていた。
海の近くでは造船作業が行われていて、どうやらあの大きな木の枠がいずれ船になるそうだ。千空と龍水の言葉は私にとっては俄かに信じがたくて、あのふわふわとした猫じゃらしがラーメンとかいう食べ物になった時よりも遥かに現実感が無かった。
クロムやカセキが嬉々として操っている妖術――否、科学――は、千空たちが生きていた三千七百年前は当たり前のように人々の身近に存在していたのだという。
『デンキュウ』も『ストーブ』も『クルマ』も『ラーメン』も『パン』も、復活者の皆にとっては極々当たり前のもの。
……つまりそれは、羽京にとっても。彼らにとって未来である今、この場所で。“懐かしいもの”に出会えたことは、涙が滲むくらいに嬉しいらしい。
それを自分のことのように嬉しく思う私と、すこし悔しく感じる私がいる。
前者は「自分の恋人が幸せそうな顔をしているのが嬉しい」という感情で、後者は「自分の恋人と同じ気持ちを共有できないことが悔しい」という幼稚な嫉妬心だ。
もちろん私だって、夜なのに昼間のように明るくなったり、冬なのに部屋の中だけは春のような暖かさになったり、荷物をいっぺんに凄い速度で運べることだとか、苦くていい香りがしてじゃりじゃりする初めての体験には本当に驚いたし、「これが科学か」なんて感動もした。
でも、羽京のそれは私とは違う。私にとって初めての体験は、羽京からすると『久しぶりに体験できること』であって、全てが『もう既に経験したこと』だったのだ。
もちろん知ってる。そういう時に懐かしいものを思い出すような顔をするのは、羽京が生きていた時代はとうの昔に過ぎ去っていて、同じものを手に入れることは難しくて、全てが石の海に消えた過去を……追想するのすら、難しいのだということも。
それなら私は、せめて羽京に同じものを見せてあげたい。私が見たことのないものだとしても、誰かに訊いて、教えてもらって、再現すればいいだけのことだ。
そういう時に私が頼る相手は決まっている。
千空、杠、龍水、あとは――――ゲンとか。
自称『じーまー』で『ごいすー』な『めんたりすと』のゲンは、私が三千七百年前のことについて質問するといつも楽しそうに話をしてくれる。
たくさんの動物を安全に眺めることができる場所のことや、大声で歌っても隣の家には聞こえない部屋とか、追放者を入れておく建物だとか。
そんなゲンに、昨日も私は相談をしていたのだ。
そして今。隣で食事を摂る羽京にそれを実践したところである。
「羽京の痴漢!!」
「――――はぁ!?」
私の知らない、旧世界の常識
耳のいい羽京には悪いけれど、こういう時は大きな声を出すのだとゲンに言われている。
だから力を振り絞って渾身の大声で叫んだのに、やっぱり私の声量に驚いたのか慌てふためいた様子で羽京がスプーンを取り落した。
「っちょ、あのナマエ、なに急に」
「痴漢!」
「待って落ち着いて、違うんだって」
「なにやってんだ羽京?」
私が勇気を振り絞って言ったのに、羽京はちっとも喜んでいないどころか冷や汗をかいていた。周囲からの視線が痛い。
――――これを言うと周りの目を引いちゃうけど、気にしなくていいからね。
そうゲンが先に言ってくれていなかったら、たぶん私は今頃机の下にでも隠れていたかもしれない。
近寄ってきたクロムが羽京のスプーンを拾ってくれて、でも羽京はそれどころじゃない様子で両手を顔の横に上げて、降参のポーズをとっている。
「いやっ僕は別になにも……!」
「羽京が痴漢する!!」
「え、冤罪だ!!」
もう一度言った方がいいだろうか。そう思って口を開きかけたけれど、私の声に反応した数人が近寄って来て、どうしたらいいかわからなくなって口を噤んだ。
私たちに近づいて来たのは男ばかりで、しかも復活者ばかりだった。その中には千空とゲンもいる。
「あ? チカンってなんだ?」
「定義としては合意もなく女子に淫らな行為をすること―――だったか?」
クロムの問いに答えるために千空が発したその言葉を聞いて、私は首を傾げた。
……おや? 話が違う。
「え? 私はゲンに『好きな人に“手繋いでほしい”って伝えたいときに言う』って聞いて……」
「……ゲン」
「あっれー? 羽京ちゃんドキドキしちゃった〜?」
「世が世なら犯罪でしょっ引かれてるところだよ……彼女に適当なこと吹き込まないでくれないかな……」
顔を顰めた羽京が大きく溜息を吐いた。女の子の体を無理矢理触る……なるほど。『痴漢』は良い意味の言葉ではなく、悪い意味の言葉だったらしい。
人騒がせな奴らだ、とかなんとか言いながら、復活者の皆は各々の席へ戻っていく。
……ひどい。騙したゲンも悪いけれど、騙されて羽京へ酷いことを言った私の方がもっと悪い。
「う、羽京、ごめんね……あの、私、羽京のこと困らせたかったわけじゃなくて、その……」
「いや大丈夫。わかってるよ」
苦笑して帽子の位置を直し、羽京が私の手を取った。少し握って、彼はすぐに手を放してしまう。
「昼ごはん。食べ終わったら、少し散歩でもしようか」
「え?」
どういうことだろう、と羽京の顔を見ていると、私の反対側、羽京の隣に腰掛けたゲンが答えを教えてくれた。
「ま、手ぇ繋ぐなら? 歩いてる時の方が自然だし?」
「ゲン」
「こーやって座ってお喋りしながらおてて握るのは恥ずかしいもんね〜?」
「ゲン」
「あはは、羽京ちゃんメンゴ〜」
「……」
「そ、」
そうなの、と訊こうと思ったけれど、悪い顔でニヤついているゲンとびっくりしている私、両方の視線を感じている羽京がチラリとこちらに目をやって、ほんの少しだけ頷いたのがわかった。
ぶわ、と自分の顔に熱が集まるのがわかって、慌ててお昼ごはんを平らげることに集中する。
「え〜? そんなに急いで食べちゃって、二人でドコ行くのぉ?」
「……ゲンの知らないところだよ」
「なに、エッチなことしちゃうんだ?」
「ゲン」
「バイヤー! 羽京ちゃんのすけべおと」
「ゲン」
お皿の上をキレイに片付けた羽京に倣って「ご馳走様でした」と手を合わせた直後、私の右手がするりと攫われていく。
「あ、羽京、」
「……じゃあね、ゲン」
「ハイハイ。ラブラブ見せつけちゃってまぁ」
もし嫌なことされたら、今度こそチカンって叫ぶんだよー! と置いて行かれたゲンが言って、私の手を引く羽京がハァと溜め息を吐く。
「……羽京は嫌なことなんてしないから。もう痴漢なんて言わないよ」
「ほんとにね……そういうプレイならまだしも」
「――――ソウイウプレイ?」
「あ。」
しまった、と羽京がもう片方の手で自分の口元をパシリと押さえ、曖昧な笑みを浮かべる。
「……ええと、それじゃあどこに行こうか?」
「羽京とならどこでもいいよ。それよりソウイウプレイって何? どんなこと? 乗り物?」
「あぁー……うーん、そこは誤魔化されてほしかったなぁ」
「……羽京のこと、知りたい」
「ごめん。ナマエに教えてあげたいのは山々だけど……ちょっと、女性には言いづらいかな。その、別に疚しいことが……いや、疚しいことではあるんだけど、犯罪ではなくて、…………犯罪だな」
「悪いことするってこと?」
「ちが、くは、ない……かな」
こうやって会話を重ねれば、いつかは羽京の言うことが理解できるようになるのだろうか。それは復活者がエイゴとか呼んでいる“別の言い方”を自由自在に操る羽京と……ゲンや千空、龍水やフランソワが通じ合うみたいに。たまに交わされる新しい言葉は、旧世界では当たり前のように使われているものだったらしい。
除け者にされているわけではないけれど、旧世界の常識を知りたいと思うのはごくごく普通のことだ。
……そうだよね?
「そう……ならゲン」
「ゲンに訊くのはやめてね」
「ヨ」
「陽もダメ」
「……、じゃあ羽京が教えてよ」
「えっ……そ、そうか。そうきたか……いや、普通はそうなるよね」
数日後、ソウイウプレイを実戦形式で教えてもらった私は、その難解さに首を傾げていた。
デンシャという乗り物に乗って、人前で、でも誰かにバレないように、女の子のお尻や胸を触る。女の子が恥ずかしくて抵抗できないのをいいことに、言葉で辱めたり、際どいところを触ったり…………
「……これって、楽しいの?」
「僕は別に興味ないけど、こういう性癖の人は一定層いるらしいよ」
「セイヘキ?」
「えーっと……性的なことに於いての趣味、みたいな」
「嫌だったら嫌って言えば、みんな助けてくれるのに」
「見ず知らずの人に助けを求めるのは抵抗があるんだよ。そもそも自分の恥ずかしい姿を見られたくないからね」
「ふーん」
やっぱり旧時代は複雑怪奇だ。でも、羽京にひとつずつ教えてもらうのは楽しい。
今度はデンシャについてもっと詳しく教えてもらおうと思いながら、私は正面から羽京に抱きついた。
愛を確かめるのは、やっぱり“石神村”の常識の方が百億倍良いに決まっている。
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羽京くんの夢を書くなら復活者もいいけど子孫もいいよな、と思ってちびちび書いていました。早く年齢教えてくれ
2021.07.28
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