五日目
夕食時。トトト、と肩を叩いた真希が、どうやら今日は真希とパンダと憂太が揃ってここで夕飯を摂るつもりなのだと教えてくれた。
「そ、そうなんだ」
三人が楽しく会話していても私にはわからないから、正直なところ真希と二人で食べているのとそう変わらないけれど……でも、なんだか楽しそうな空気を感じて、いつもより美味しい夕食だった。
目も耳も機能していないとなんだか味気なくて、本当は今までちょっと寂しかったのだ。時間が経つにつれて自分の声はハッキリとわかるようになったし、もしかしたら周囲の音が聞こえるようになる日もそう遠くはないかもしれない。視力の方は、好転どころか依然として変化の兆しすらないけれど。
「ん?」
と、ツンツンと私の肩をつついた真希が「ちょっと雑談しないか」と暗号を送ってきた。この数日間で、真希も私も新しいコミュニケーションにはだいぶ慣れたものだ。
付き合わせてしまった真希には悪いけれど、もしかしたら任務でも使えるかもしれないし、怪我の功名と言ってもいいのかもしれない。
私の呪いが解けたら、伏黒も含めて皆で勉強会を開こうかな。
「雑談? なんだろう、そうだな……皆は今日なにしたの? 授業とか、任務とか」
私がそう訊くと、おっかなびっくりという手付きで誰かが私の手を握った。
ふわふわした毛皮じゃないからパンダじゃないし、真希はモールス信号で会話してくれるから……きっと憂太だろう。
ボク タチ ハ ジュ ギョウ イヌマキ クン ハ ゴゴニン ム
「あ、そうなんだ。えーっと憂太たちは……授業、で、何したの?」
ジュギョウ ハ ジュ レ イガク ト ジュグノテ イレ ト
辿々しい上に文章が長くて、読み解くのが大変だ。
「待って待って。どうしたの憂太……今日は随分話下手じゃん」
そう言って憂太をからかってみると、なんだか妙な間が空いた。優しい憂太の機嫌を損ねたくなくて、慌てて口を開く。
別に非難しようと思って言ったわけじゃなかったけれど、怒らせちゃったかな。もしくは憂太なりのユーモアだったのかも。
毎日欠かさずに来てくれるし、今朝も来てくれたし。憂太は根っからの善人なのだ。
「ごめんね、冗談だよ。今朝もありがとね。スプーンだって、見えないとアイスもプリンも掬えないし、吸うやつならゼリーも食べれるから。嬉しいな」
トントン。
憂太の手が動く。
チガウヨ
「…………え?」
ヒヤ、としたものが背筋を這う。
「ぜ……ゼリーじゃ、なかった? あ、あは……あれ? アイスだっけ?」
ソレ ボクジャ ナイヨ
「じょ、だん……やめてよ……」
トントン。
「………………」
私が喋らなくなると、本当に静かになるのだ。
怖くなって、憂太の手をぎゅっと握ったところで、やっと違和感に気付く。
指輪の感触がない。
「……憂太。指輪、は?」
シテナイ
――――そうだ。憂太は里香のことがあって、上層部からいい顔をされていなかった。だから年が明けてからこの方、指輪はつけずに首から下げているのだ。
こうなる前までほぼ毎日見ていたはずなのに、今の今まで忘れていた。なんで気付かなかったんだろう。
じゃあ、今朝来た人は誰? 昨日も、一昨日も。私のところに花を届けに来てくれた人は……私の好きな、花を……毎日、毎日。
「はっ……、はな、花、ある?」
トン、と私の手の甲を叩いた憂太は慌てたように追加で指を滑らせる。
アルヨ
幻でも夢でもない。誰か、憂太を騙っているモノが私のところへ来ていたのだ。
何も聞こえないはずなのに、ざぁっと血の気の引く音が聞こえた気がした。
夕飯を食べ終わったタイミングで真希がトレーを下げてくれて、私はたぶん部屋に独りになった。
今晩も偽憂太が来るかもしれない。そう思ったら怖くて気味が悪くて、流石に部屋に鍵をかけようと思ったけれど、結局平気なフリをして、訝しがる皆に大丈夫だよと言ってしまった。
「今朝来てくれたのは、たぶん寮母さんだったと思う」「たまに見に来てくれるんだよね」「指輪も、思い返してみれば勘違いだった気がしてきた」「そういえば憂太とは手の大きさが違うね」……なんて、一欠片も思っていないのに、皆に心配をかけたくなくて嘘を吐いた。
だって、今ですら気遣ってもらってるのに、これ以上心配をかけて部屋に鍵までかけてしまったら……そんなことをしたら、様子を見に来てくれる真希たちに迷惑がかかってしまう。
大丈夫。相手はただの愉快犯に違いない。だって、私を害そうとするならいつだってできたはずだから。それをしないということは、私の姿を見て嘲笑っているだけ。
手では心配しているフリをして、本心ではいい気味だと思いながら私を観察して、聴こえないのをいいことに嗤っている。
大丈夫。まだ学生だけど、私も呪術師だ。術式を使って身を守るか相手を圧し潰してしまえば問題ない。
……大丈夫。大丈夫。
その時。ふわりと空気が動いた気がして、息を呑んだ。
……きた。
花の香りと共にやってきた偽憂太は、たぶんいつものように私のベッドの傍にある椅子に腰掛けたのだろう。来訪を知らせるためにぽすりと優しく布団を叩かれて、シーツが少しだけ波打った。
「っ……憂太?」
トン。
もしコレが呪霊だとしたら、高専の敷地内に入った途端誰かに見つかって祓われておしまいだから……相手は人間のはず。
私に呪いをかけた人だろうか? 指輪をしているならきっと成人。しかも手先の感覚からすると男で、花を持ち歩いても誰にも咎められない立場の人間で、真希たちの名前も知っているから、まず高専関係者に違いない。
「…………」
ドウシタノ ?
「……」
グアイ ワルイ ?
「……、……憂太、今日は……なにしてた?」
私の問いに少しだけ間を置きながら「授業」と答える彼へ「なんの授業だっけ?」と訊いてみれば、彼は戸惑ったのかゆっくりと指を動かして「呪霊学」と返してくる。
この人は、授業のスケジュールまで把握しているのか。
「……真希に聞いたけど、明日は呪具の手入れするんだってね」
トン。
ダウト。これは真っ赤な嘘だ。
今日も明日も手入れをするなんて聞いてない。
「――――ッ嘘つかないでください!!」
私は偽憂太が居るらしきところへ両手を突き出して、相手を突き飛ばし、迷わずベッドの周りに呪力製の檻を作る。
ガタ、と変な具合にベッドが揺れた。見えていないせいで、私を起点にした術式の座標指定が少しズレたのだろう。
何かあった時に、と渡されたピッチをこんな用途で使う羽目になるとは思わなかった。
いつも使っているスマートフォンとは違い、小さくて使い慣れていない機械にもどかしさを覚える。
手探りでボタンの位置を確認して、なんとか数字の五を探し当てたところで急に私の体が動きを止めた。
「――――、」
「っえ、」
何か、薄っすらと声のような音が聴こえる。呪いが薄らいだのか、はたまた幻聴か。教えられた短縮ダイヤルのボタンを押そうにも、指が石のように固まって動かせなかった。
内心慌てているうちに私の術式が解けていたのか、するりと手から端末が抜き取られて、ネックストラップも首から抜かれてしまう。
これじゃ誰かを呼ぶこともできない。
相手を刺激するだけだとわかっていても、考えるより先につい口が動いていた。
「……私を呪って楽しいですか」
+++++
2021.07.28
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