「憲紀の髪ってさ、すごいストレートだよね」
寮内の憲紀の部屋。先程まで幼い子供みたいに黙って私に髪を乾かされていた部屋の主は、その言葉で「急にどうした」と言わんばかりに振り返った。
私は癖毛がひどいから憧れるな、と口にしてみると、至極不思議そうな顔で彼が言う。
「……君の髪は綺麗だと思うが」
「そういう話じゃないのよ」
ぴしゃりと言ってやると憲紀は口を噤み、じゃあどういう話なんだと不服そうな声を出す。
「梅雨時は湿度が高くてぼわっと広がっちゃうし、毛量が多いから結ばないと広がっちゃうし、でも結んだら結んだでゴムとか切れやすいんだから」
「……短く切ればいいんじゃないか?」
「そういうのをデリカシーが無いって言うのよ。短くすれば楽とかそういう話じゃないって言ってんのに」
だから同級生の桃ちゃんを始めとした女子たちには面倒くさがられるのよ。
仮にも天下の加茂家。しかもわざわざ高専に入学するだなんて、道楽が服を着てふんぞり返っているような男が相手だとばかり思っていたのに、高専に入るときに婚約者だなんだと引き合わされた私はあまりの堅物さに仰け反ったものだ。
卒業後はこんな人と一生を添い遂げなきゃいけないだなんて、まるで修行僧みたい。在学中に一生分笑っておいた方がいいだろうな。
会って一時間もしない内に抱いた一番最初の感想がそれだった。
それから二年が経ち、あら不思議。「仮にも婚約者ならもう少しコミュニケーションを取るべきだ」とかなんとか言ってバカ真面目に距離を詰めてきた加茂憲紀という男と、今ではちゃんとした恋人をやっている。
婚約者なのに恋人ってわけわかんないと言われるかもしれないけれど、旧い呪術師の家系にはよくあることだ。情もなにもないのに夫婦になって、家を存続させるために子を作る。そこに愛が生まれるかは運次第。
その点、私は運が良かったというべきだろうか。
……いや、この場合は憲紀の方が運が良かったと言うべきだろう。こんなノーデリカシー・イエスポンコツ男を可愛いと言える人間は、たぶん世界中探し回っても私くらいだろうから。
「シャンプーが合ってないのかなぁ。もしくはヘアオイルを変えるか……」
「それなら私が使っているものと同じものを使」
「却下。石鹸だけで頭から身体まで全部洗ってる人なんて、たぶん東京校の人たちも含めて貴方一人だけよ」
「そうか……」
ここで彼が東堂の話を持ち出さないのは、流石に二年間で私という女のことを理解したからだろう。恋人から「良い香りのするゴリラに身だしなみの相談をしてみろ」と言われる身にもなってほしい。もはや躾の域だけれど、憲紀がそうやって悪意なく東堂の話題を放り込んでくる度に私が機嫌を損ねているので、流石の憲紀も学習し――――
「それなら東堂に訊いてみればいいだろう」
――――ていなかった。まだ教育が足りていないらしい。これが加茂憲紀という男である。
「毎度毎度、あれだけ色々と男風呂に持ち込んでいるんだ。女性の髪のことにも詳しいんじゃないか」
「……」
女には女のプライドってもんがあるのよ。それに、自分以外の男が選んだもので恋人が着飾って、平気な顔でいられるの?
「あのねぇ……憲紀は、私が東堂にそういう相談しても気にならないの?」
「ん?」
「東堂に、綺麗になりたいから私に合うシャンプー選んでほしいの、って相談しても、良いの?」
「……気にならないが?」
「……」
「そうだな……強いて言うなら、私は今の君で充分魅力的だと感じているから、特段東堂に相談する必要性は無いと思っている。だが君がもっと素敵な女性になりたいと思っているのなら、君の考えを尊重する」
「……」
これも憲紀クオリティである。
「ああ、でも髪を切ってしまったら、君の髪を乾かす楽しみが減るな」
「またそういう……もう。私怒ってるんだからね」
「そうなのか?」
キョトンとした顔が憎らしい。私が何に怒っているかわかっていないのに「機嫌を直してくれないか」と口にするところも、ちょっと困ったように眉尻を下げて私の指に触れるところも、優しい手付きで私の髪を梳くところも。
「そんなに私と同じメーカーの石鹸を使うのが嫌なのか?」
「違います」
「……白無垢にはどうしても洋髪がいいと言うなら、なんとか家の者を説得し」
「そういうことじゃないのよ……」
下手くそなご機嫌取りも、少しズレた気遣いも。
「それなら今度、二人で買い出しにでも行こうか」
たまに正解を引き当てるところも。
すべてが憎らしくて可愛い、私の恋人。
婚約者で恋人
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加茂くんお誕生日おめでとう!ヨッ糸目!(誉め言葉)
2021.06.05
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