夜が怖くないだなんて、ただの一度も思ったことはない。
呪術師やってるくせに暗闇が怖いのかって?
そうじゃないの。どこまでもずっとずーっと静かで、まるで世界中が死に絶えたみたいな静寂が恐ろしい。
高専に入るまでは本当にひとりぼっちだった。私の視界を理解してくれる人はただの一人も居なくて、親にも「そんな変なことは言わないで」と懇願されて口を噤んで生きてきた。
ここへ来て友人ができて、私は独りじゃないんだって知って、ほんの少しだけ闇のベールが薄らいだ。
それから何年か経って、高専を卒業して、恋人と同棲して。
それでもまだ、世界には恐ろしいものばかりが蠢いている。
例えばそう――――深夜に見るホラー特番とか。
『わたし、途中でおかしいなって気付いたんです。友人と二人で歩いてるはずなのに、もう一人分足音が聞こえてて、しかもそれはわたし達が向かってる先からしてるんです。おかしくないですか? 目的地は廃トンネルなんですよ? 誰もそっちから来るわけないのに……しかもわたし達が立ち止まると向こうも一歩遅れて足音が止むんです』
「……」
「……」
私も棘も、無言で肩を寄せてテレビ画面に食いついている。まるで目を逸らしたら、その薄っぺらい液晶から何かが飛び出てきそうとでも言わんばかりに。ゴールデンタイムに放送されていた番組のはずなのに、私の彼氏はわざわざ深夜の時間帯に見れるよう録画しておいたらしい。雰囲気が大切だからとか尤もそうな理由を並べ立てて棘が部屋の電気を消してしまって、光源は目の前にあるそんなに大きくはない液晶テレビだけ。
その小さな画面を二人揃って見つめて、ホラー特番に出ている話者の語りを息を殺して聞いている。背中はいつも二人で眠るダブルベッドの枠が守ってくれていて、右肩は棘の体温でほのかに暖かい。
流している番組はそこそこに怖かった。一般家庭の出である私も普通に怖い。棘は……わからない。でも一言も発さずに食い入るように見ているようだから、たぶん怖いか興味津々かのどちらかなのだろう。
だいぶ前に開けたポテチの袋の中身もまだ半分以上残っているのに、緊張感で何も口にできそうになかった。
『だからわたし、もう帰ろうよって友人に言ったんです。先に向こうで待ってるっていう人たちには電話で連絡でもして、体調が悪くなったから行けなくなっちゃいましたって……嘘でもなんでもいいから引き返そうよって』
「……」
『そしたら彼女、そんなのは約束が違う、裏切者、向こうでみんなが待ってるんだ、どれだけ待たせたら気が済むのよ、ずーっとあそこで待ってるのに、って言って、わたしの腕を思いっきり引っ張るんです』
じり、と隣に座っている棘が身じろぎした。きっとそろそろオチの部分だから緊張してきたのだろう。かくいう私もさっきから心臓がバクバク鳴りっぱなしで、次の話が始まる前には恥を忍んで手を握ってくれないかお願いしようかな、なんて本気で考え始めている。
『ねぇ――――ほら、あんなに大勢待ってる。友人がそんな風に言った瞬間、わたし気付いたんです。さっきまで聞こえてた足音が一人分だけじゃなくて、もっともっと何人も何十人もの音に増えて』
――――ガサガサガサッ
「ひっ!」
急に傍らから聞こえたその音にびくついて恐る恐る隣を見ると、開けかけたポテチの袋を手にしてきょとんとした顔でこちらを見る棘と目が合った。
「いくら?」
「ばっ……ばかばかばか!! なんで今このタイミングで開けるの!?」
「……高菜?」
「まだ半分残ってるじゃん!」
食べたかったから? じゃないよ絶対嘘でしょ、だってその証拠に机の上に置かれたうすしお味のそれは半分も残ってるし、棘が開けたやつも別メーカーのうすしお味だ。
そのまま最後までバリッと袋を開けた棘は、ニヤニヤした顔つきで「あーん」なんて言って袋の中身をひとつ差し出してくる。
「ツ〜ナ〜」
「信じらんない! 私が一生夜眠れなくなったら棘の責任だからね!!」
「……しゃけ。ツナマヨ」
それは責任を取らねばなりませんな、なんてもったいぶった言い方で頷いた棘は、ぱくりとポテチを自分の口の中に放り込む。そのままサッと立ち上がると、私たちが背にしていたベッドからボックスシーツをバサッと剥ぎ取って私を抱きしめると、私ごと頭からシーツを被った。
「ちょっと! 怒ってるんですけど!」
「すーじーこーぉ」
「棘!!」
ぎゅうぎゅうと抱きつかれて身動きが取れなくて、しかも真っ白で歪なシーツが私たちを覆っている。
一生懸命身を捩らせて元凶の顔を正面から睨みつけると、ひひ、と悪戯っぽく笑う棘が居た。
「……」
「……しゃーけ」
薄いシーツが、テレビ画面から発せられる不揃いな光を柔らかな明るさに調光して、棘の横顔を照らしている。
「む……」
「ツナマヨ?」
「じゃあどうやって責任取ってくれるの」
「いーくらっ」
今日は朝までずっと一緒に居てあげるよ、だなんて上機嫌そうに答えてるけど、そんなのどうせ今日だけでしょ。
「じゃあ明日は?」
「いくら!」
「明後日の夜」
「いくらぁ」
「明々後日は?」
「いーくーら! 明太子ツナマヨ!」
怖くなくなるまでずーっと責任取るよ、なんて言うものだから可笑しくなってしまって、怒っていたことも忘れてついつい「なにそれ」と笑ってしまう。
「任務だってあるくせに……なんだかプロポーズみたい」
「……しゃけ」
「…………正気?」
私が訊き返すと、ゆっくりと身を離した棘が頭にシーツを被ったまま神妙そうな声で「しゃけ」と再度頷く。
「っふ、ふふ……」
「?」
「やだもう……シーツ被っちゃってさ。棘、花嫁さんみたい」
「おっおかか!」
そんなくだらないやり取りをしているうちに、先ほどのホラー特番はスタッフロールまで過ぎ去っていたらしい。
ほらもう寝るよ、と声を掛けてシーツを元に戻させ、寝る支度を整えてから棘をベッドに追いやった。
「はぁーあ、誰かさんが怖がらせてくれたお陰で肌寒いなぁ」
「明太子」
「ね、朝まで添い寝してくれるんでしょ?」
「……いくら」
「ぎゅーってしてよ。そしたらたぶん怖くないから」
「しゃけ!」
言葉の勢いそのままに抱きしめてくれる棘におやすみなさいのキスをして、耳元で囁いた。
「朝になったら、さっきのプロポーズもう一回して?」
「こんぶ」
「もしカッコよくできたら……オーケーしてあげる」
それを聞いた棘は「ちょっと待って」とか「カッコよくって何」とか騒いでいたけれど、私はそのまま知らんぷりを決め込んでやった。
箪笥の上から三段目の左奥に隠してる箱、私が知らないとでも思ってた?
私を脅かした罰だ。さっきまで被ってたシーツを身体の下で温めながら、朝まで悶々と『カッコいいプロポーズ』を考えて眠れなくなるがいい。
まぁ、私の答えはもう決まってるんだけどね。
シーツオバケのプロポーズ
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お題:冷えたシーツに君はいない
2021.05.01
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