星に願い事をすれば叶うかもしれない、と初めに言い出した人は誰なんだろう。
何度やったって、私の願い事が叶いそうな気配は無い。確かにここは東京だけれど、寮は山中にあって、星なんてバケツ一杯掬えるくらいに空で瞬いているのに。
来る夜も来る夜も空を見上げて、流れ星を探す。雲が渋滞を起こしかけている夜空でも、灰色の隙間から見えるんじゃないか、なんて一縷の望みを抱きながら。
毎晩毎晩、星に祈っていた。

いつか夏油くんと二人でお出かけができますように、と。

彼を好きになったのは、もういつのことだったか憶えてもいない。五条くんとくだらないやり取りをしてつつき合って笑っている、年相応な表情だとか、一年先輩である私に丁寧な言葉遣いでお願い事をしてくるところだとか、偶に寮の共有スペースで寝落ちている時の、ちょろんと跳ねた生乾きの黒髪だとか。たぶん色んな所に、恋の欠片は落ちていた。
私はそれを律儀に拾って集めて、そうして出来上がったのはやっぱりというか、後輩に対する恋心だった。
そもそも夏油くんは五条くんと、あとなんだかんだ言って硝子ちゃんとも仲が良いから、三人で外出している姿もよく見かける。この間なんて、両手に山ほど駄菓子を抱えて帰ってきたものだから、私も私の同級生も目を丸くして驚いてたっけ。
五条くんは確かにそういうどうでもいいことに全力をかけそうな子だったし、五条くんと仲の良い夏油くんも、礼儀正しいけれど根っこのところは似ているのだ。頻繁に校舎を十分の一程半壊させる喧嘩を繰り返していても、あの二人は仲が良い。

仲が良いからこそ、いろんな噂は耳に入ってきた。

……主に、五条くんの口から。

「センパイさぁ、知ってる? 傑こないだ窓の女に告られてさぁ」
「傑宛てにラブレター届くんだぜ。しかも寮に、毎週、別々の女から」
「これ、土産。昨日傑がカノジョと原宿行ったんだって。センパイにもあげといてって言われたから……ハイドーゾ」

ありがと、と言った私の顔は、ちゃんと笑顔を作れていたと思う。ポーカーフェイスは大の得意科目なのだ。
きっと五条くんは、私がそういう話をちゃんと聞いてくれる先輩だから話しに来てくれるんだろう。話しにというか、硝子ちゃんに拒否られた結果というか。たぶんこの子に後輩ができたら真っ先にそっちへ迷惑をかけに行くんだろうな。
お土産なら夏油くんの手からもらいたかったな、なんて贅沢なことを考えつつも受け取った可愛らしいキャンディはとてもとても美味しかった。可愛い小瓶に入っていたから、部屋に飾って眺めては、夜空の星に向かってお願い事をしていた。

いつか夏油くんと二人でお出かけができますように。

先輩なんだから、声を掛ければいいじゃないかと思うかもしれない。自由な五条くんはさておき、確かに夏油くんの性格なら、先輩が「出かけようよ」と声を掛ければ二つ返事でついて来てくれるだろう。
でもそういうことではないのだ。私は夏油くんを連れまわしたいわけじゃなくて、ただ本当に……二人で外出を、デートを、したい、だけ。強制してついて来てもらうことは、デートではなく荷物持ちと言うのだろう。
同級生の男の子は、やっぱり同性だからか夏油くんと五条くんを誘ってボーリングに行ったりだとか、カラオケに行ったりだとかして「なぁ羨ましいか?」なんて写真を見せてくることもある。まぁ私が夏油くんを特別に想っていることは微塵も気づいていない様子だから、私には硝子ちゃんと歌姫先輩がいるからそこまで羨ましくは無いよ、と返事をするだけだ。
…………普通に羨ましいのにね。

そんな中、私が毎晩夜空を見上げていることに、夏油くんは気付いたらしい。隠すつもりはなかったけれど、おおっぴらに「お星さまにお祈りしてるの」なんて言う必要性も無かったから、言ってなかっただけだ。
たまたまその日は気温が低くて、寮を出て少し開けたところに立っている私はぶるりと身を震わせた。
寒いな。
「……先輩、寒くありませんか?」
「え?」
思考を言い当てられたのかと思って振り向くと、そこには夏油くんが立っていた。ラフな部屋着にパーカーを羽織っているから、任務帰りでもなんでもない筈なのに。
そう思っていたら、彼が何かを手に持っているのがわかった。紺色に黄色い縞模様の、私が着るよりも少し大きめなサイズのもの。
「私のでよければ、着てください」
「あ……」
ふわ、と肩に掛けられたそれは、夏油くんの上着だった。私の横に並んだ彼は既に一枚パーカーを着ているし、きっと部屋に戻って取ってきてくれたんだろう。こういう気を回してくれるところだとか、紳士的に上着を貸してくれるところだとか……私はそんな後輩の、夏油くんの、そういうところが好きだった。
「ありがと」
「いえいえ。私はたまたま夜の散歩でもしようかと思って出てきただけなので。……先輩は、よく星を見てるんですね」
「……」
よく、ということは、以前にも何度か私の姿を見たということなのだろう。思ったよりも見られていたのだということを知って、仮面の下の私は少し頬が熱くなるような感覚に苛まれる。
「よく知ってるね」
「まぁ、私も……偶には、その辺をぶらつきたくなるので……」
なんだか歯切れの悪い返事だった。いつも要領よく言葉を選んで会話をする夏油くんには珍しいことで、自然と私のポーカーフェイスも崩れていたのかもしれない。間抜けな顔をしている私に視線を固定した夏油くんに「そんなに星が好きなら、見に行きませんか」と言われて、つい聞き返してしまった。
「え? どこに?」
「どこって……その……」
すすす、と夏油くんの視線が泳ぎ、そのまま天まで逃げて行ってしまう。
「……星が、見えるところに」
「…………」
星が見えるところ。
「例えば?」
「た、例えば……その、プラネタリウム、とか、」
先輩が嫌なら、高専からちょっと山に登ったところとかでもいいです。と彼に言われて驚いた。
……外出のお誘いをしてくれているのだ。
「あ、あぁ……いいけど、硝子ちゃんはよくても五条くんはつまんないって言って騒ぎそうじゃない?」
「え? あ、その……悟と硝子は、また今度というか、先輩と二人で、じゃ……ダメですか?」
「……夏油くん、そういうとこは彼女さんと行った方が良いんじゃないの?」
せっかくのお誘いなのに、自分からチャンスをふいにしようだなんて何やってるんだ私。
つい口から転がり出た言葉を後悔していると、瞠目した黒髪の後輩は少し恥ずかしそうな顔をして「私は、恋人はいませんから」と漏らす。
「げ、夏油くん彼女いないの?」
「いません」
「この間、五条くんが散々私に愚痴ってったんだけど」
「アイツ……いえ、本当にいません」
心底厭そうな顔をして「悟め」とここには居ない自分の親友を睨みつけるような目をした夏油くんは、スッと表情を元に戻すと小さな声で言った。
「……私は、先輩と、二人っきりで、出かけたいんですが」
「…………は、」
星灯りの下、私を見下ろすその顔が夕焼けのように赤くて、言葉を失った私の肩からずるりと夏油くんの上着が滑り落ちた。
持ち前の反射神経で、地面に落ちる前にそれを拾い上げた夏油くんは、真っ赤な顔のまま、もう一度上着を私の肩に掛けてくれる。
「お願いします。私と、デートに行ってくれませんか」
「げ、夏油くん……」
「星でも何でも、先輩が好きなものを一緒に見に行きたいんです」
私のポーカーフェイスが崩れて、ついでに先人の言葉が正しいものだったのだと証明された瞬間だった。
星に願い事をすれば叶うかもしれない、と。
私がこっくりと頷くと、夕焼けのように真っ赤な顔をした夏油くんがおっきな手を差し出してくるものだから、何をするんだろうと見守っていると、彼は親指を握り込んで、次いで人差し指、中指、薬指を折り曲げ……
「……指切り、してくれませんか」
「…………うん」
星空の下、指切りをした私は、きっともうポーカーフェイスの仮面なんて全て消え去っていたのだろう。彼と同じくらい、夕陽の色をしていたに違いない。
週末の土曜、朝九時に高専の正門で待ち合わせ。
その約束をし終わるまで、夏油くんは絡めた小指を離そうとしなかった。

いつか夏油くんと二人でお出かけができますように。

きっと、毎晩のように私が見上げるものだから、それを鬱陶しく思った星が願い事を叶えてくれて、夏油くんと私の小指を繋いでくれたのだ。
「寒いので、手を繋いでも良いですか」と言った夏油くんの手は私の手よりも断然あったかくて、そんなところにすらときめいてしまいそうだから……私はポーカーフェイスの仮面を被り直し、「夏油くんの手はあったかいね」とだけ返すので精一杯だった。



星に願う仮面


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お題:願い事を黄色の紐で結んで

2021.04.13



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