※明日へ滴る残滓の小話。最終話後。
「あれ?」
「どうかしたんですか先輩」
どこか建物のあたりで、私の術式に何かが引っかかった。
「私の折り紙、誰かが触ってる」
「コレですか?」
これ、と言って伏黒くんが持ち上げているのは折り紙で作られた小さな蛙。
今は伏黒くんと二人して術式練習の真っ最中。運動場から林の中、校舎の壁近くまで散らせて配置した折り紙たちに、遠隔から呪力を流し込んで操る方法を模索しているところだ。
ちなみに、さっきまで体力づくりのためにマラソンをしていた野薔薇ちゃんは、力尽きて運動場の隅で休憩中である。
「うん。そうなんだけど……伏黒くんが触ってる子じゃなくて、もっと遠くの建物の方」
「どっち側ですか?」
「私の背中側かな。誰かが持って、移動してるみたい」
別に触られてる感触がわかるわけじゃないけれど、私が呪力を流しているから多少の違和感や移動させられていることくらいは感知できる。
私の折り紙を拾い上げた人はゆっくりとこちらへ向かってきているようだ。……速度からすると、たぶん歩いている。
「……あ」
「結構近くまで来たね……伏黒くん、私の後ろに誰か来てるの見える?」
「はい。でも……あー」
なんだか煮え切らない答えだなぁ。
流石にそれが誰かを感知できるほどの腕前は無いし、仕方なく目視で犯人を確認すべく後ろを振り向いた。
――――その瞬間。
「ッギャアーー!!」
「高菜っ」
休憩していたはずの野薔薇ちゃんが悲鳴を上げた。驚いて目を凝らしてみると、どうやら彼女はジャージの襟もとに私の折り紙をポイっと放り込まれたらしい。
犯人の棘くんを振り返った野薔薇ちゃんはキッと目をつり上げて怒っている。
「この……よくもやったわね襟巻呪言師!」
「しゃけしゃけ」
「しかもカエルじゃないこれ! 待ちなさいよ滅多打ちにしてやる!!」
「狗巻先輩ですね」
「また後輩にイタズラ仕掛けて……」
しかも私の折り紙をそんな風に使わないでいただきたい。今回の練習は野薔薇ちゃんが蛙嫌いだってことを前提としたチョイスじゃないし、そもそもマーキング済の折り紙を遠隔操作できるかという試みなのに……近くまで持ってこられてしまったら全然練習にならないじゃない。
イタズラを成功させて楽しそうにぴょんっと跳ねた棘くんは、ひらひらと野薔薇ちゃんの追撃の手を避け、なぜかこちらへ向かって走ってくる。
「明太子ー!」
「え」
「なんか狗巻先輩こっちに向かってきますけど」
「待てやコラァ!!!」
私たちへ手を振りご機嫌な様子でこちらへ来る棘くんの後ろには、「狗巻許すまじ」という強い決意を漲らせた野薔薇ちゃんが物凄い速度で追ってきている。
「ちょ、棘くん! 私のこと盾にしないで!?」
「ツナツナ」
「もう逃がさないわよ……女の背中に隠れるなんて卑怯な真似してないで、観念してこの野薔薇様に一発殴られなさい」
「おかか?」
私を野薔薇ちゃんとの間に挟んで立つ棘くんは、ケロリとした顔で「このカエルを折ったのは自分じゃありませんけど?」とでも言いたげに首を傾げている。
「つ、罪を私になすりつけるなんて」
「ツナマヨ、こーんーぶ」
「ハァー? 二人の愛の共同作業ゥゥ? 寝ぼけてんじゃないわよ」
「伏黒くんなんとかして……」
「いや、正直関わり合いになりたくないです」
「そんな無慈悲な」
いつの間にか私たち三人からちょっと距離を置いて傍観の姿勢に入っていた伏黒くんは、そんな冷たいことを言ってから私の折り紙を摘まみ上げた。
野薔薇ちゃんに放り投げられた後、こちらに近寄ってきていたその子は私の呪力でもぞもぞと動いている。
伏黒くんは、カエルの足をちょいちょいと触っては興味深そうに矯めつ眇めつ眺めているようだ。
「もー棘くん! 私の術式はイタズラ用の玩具じゃないんだからね!」
「しゃけしゃけ」
「本当にわかってる?」
「しゃけ」
「狗巻先輩確信犯なんだから、言うだけ無駄ですよ」
不満そうな表情を浮かべた野薔薇ちゃんが大きな溜め息を吐く。
……仕方ないなぁ。
ひとつ苦笑した私はくるりと後ろを振り向いて、棘くんに正面からぎゅうっと抱きついた。彼はびっくりした様子で一瞬身を固くしたけれど、すぐに抱きしめ返してくれる。
「棘くん」
「ツナマヨ?」
「大好きだよ」
「……しゃけ」
棘くんは少し照れながら、上機嫌で私を抱きしめている。そんな様子についつい笑ってしまいながらも、棘くんと場所を入れ替わるようにしてくるりと半回転し、彼の肩を軽く押して突き放した。
――――私たちに向かって呆れた表情を浮かべている、野薔薇ちゃんの方へ。
「はい。野薔薇ちゃん。パス」
「おっおかか!?」
「ありがとうございまぁーす…………オラ、正義の鉄槌だゴラァ!」
「お゛ッか、か……っ!」
ゴチン、と野薔薇ちゃんの制裁を頭で受け取った棘くんは痛みに呻きながら蹲り、恨めしそうな目で私を見上げている。
「…………」
「裏切ってないよ? 私も被害者だもん」
「すじこ」
「私の蛙! 伏黒くんと術式練習してるんだから!」
「いくらっ」
「……た、確かに……ってそうじゃなくて! 元のとこに戻してきてよ〜」
「おーかーかぁ」
「もぉー……仕方ないなぁ」
何かが棘くんのイタズラ心に火を点けたのか、私のお許しを得て伏黒くんの手から紙製の蛙を回収した彼は満足そうに目を細めた。たぶん、虎杖くんか真希ちゃんにでも同じドッキリを仕掛けに行くんだろう。
上機嫌で手を振りながら走り去っていく棘くんの背中を眺め、仕方なく思いながらそちらにも術式のリソースを裂く。ぴょこぴょこ動かすくらいだったらそこまで負担にはならないかな。
棘くんに連れ去られていった子の代わりに、ともう一匹カエルを折ってマーキングを付けてから、伏黒くんの鵺にそれを預けた。
「さっきのとこだと、また棘くんに捕まっちゃうかもしれないから……もう少し西の方に落としてきてもらっていいかな?」
「まぁいいですけど……」
少し離れたところに飛んでいった鵺がポイっと私の蛙を放るところを眺めていると、後ろで野薔薇ちゃんが溜息を吐いて「狗巻先輩って、」と口を開く。
「なーんか恋人っていうよりも、フリスビーに喜ぶわんこみたいよね」
「……やっぱり野薔薇ちゃんもそう思う? 新しい種類の折り紙折るとね、いっつもあんな感じなの」
どうにかしてイタズラに転用できないか、どれそれをしたいからこんな感じのものなら代用できないか。棘くんはそんなことを考えて、いつも虎視眈々と私の新作を狙っているのだ。
……まぁそれも、付き合い始めてからのことなんだけど。
伏黒くんと野薔薇ちゃんにそんな話をしていると、私の携帯電話に棘くんからのメッセージが届く。
――――大成功!
そんな言葉と共に、驚いた様子でカメラの方へ顔を向けている虎杖くんと、その手前でピースを作っている棘くんの写真が送られてきた。たぶん棘くんの自撮りだろう。
虎杖くんの制服のフードの中からは、私の折り紙がぴょこんと顔を覗かせている。
任務帰りなのに先輩の悪ノリに付き合わされて可哀そうに……これが真希ちゃんだったら、たぶん棘くんは確実に拳骨二回は貰っていただろうな。
「……っふふ」
「先輩どうしたんですか。急に笑って」
「どうせ狗巻先輩の写真よ。はぁーアツイアツイ」
「あ、ごめんごめん。伏黒くんも野薔薇ちゃんもありがとね」
「いえ、俺は別にいいです。前の狗巻先輩に比べたら断然」
「まえ?」
「……こっちの話です」
まだ何か言いたげにしていたけれど、伏黒くんは口を噤んでプイッとそっぽを向いて、優雅に舞い降りてきた鵺の頭を優しく撫でた。
私も棘くんの写真をしっかりと端末に保存して、また術式の練習に励むべく気合を入れる
…………今日の棘くんは、一体どんな理由を付けて私を部屋に誘ってくれるだろうか。
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2021.01.30-2021.05.22
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