暗闇の中、小さく足元を照らす灯りがひとつ。
「やばい……これはやばい……」
人でなし担任五条悟。マジで許さんぞ。
私は手に持つ懐中電灯をギュッと握り締め、旅館へ戻ったらこれの四倍くらいの力でもって担任の首を絞めてやろうと強く心に誓った。

私が入学したのは東京都立呪術高等専門学校。ゴツイ名前にしては生徒数が少ないし、どうせ高専には修学旅行とか存在しないだろうと高を括っていたのに。人でなし担任は、昨晩急に寮へ現れたかと思うととてもいい笑顔で言い放ったのだ。
「明日の朝から修学旅行いくからね!」
「……は?」
「え?」
「聞いてねぇ」
「ウン。だって言ってないもん」
「明太子」
「もう決まっちゃったからム〜リ〜」
まぁパンダくんと旅行に行くのは、こういうタイミングでもないと難しいとは思うけれど。それより何より私には本当に嫌なものがある。
「こんぶ!」
じゃあ何か面白いものがあるんだろうな、と言わんばかりに半眼で担任を睨みつける狗巻くんの頭の中に浮かんでいたのは、どんな『面白いこと』だったんだろう。
――――まぁもちろん、私の嫌なモノも修学旅行の定番行事だった。その定番行事を五条先生が捨て置くわけもなく。
「やるでしょ。肝試し」
「っしゃけ!」
「はぁ? ……子供騙しかよ」
「あぁぁぁぁー……」

人でなしの言葉に思わず頭を抱えた私は、そういうわけでこの夜道を彷徨い歩いていた。

「むりむりむりむり暗すぎるし絶対お化け出る」
人間、不安な時は独り言が増えるらしい。もちろん私も人間だから、例に漏れず独り言を垂れ流しながら、懐中電灯であたりを照らしている。
旅館からそこそこ離れた山奥。「この道をずーっとずーっと行った先にある、こわーい廃寺の中に呪符置いてきたからぁ、一人で取りに行ってきてねっ」なんて言いやがって、本当に最低野郎だ。ロクデナシだ。そもそも私が寺まで辿り着いた時点で褒めてほしい。というかそこがゴールでいいんじゃない?
いっそのこと、ここに座っておいて後から来る人についていくという手も、無いわけではなかった。
……後から来る人がいれば、の話だ。
肝試しの順番は、悲しいことに私が最後のひとり。先鋒・狗巻くん。次鋒・乙骨くん。そのあとに真希ちゃん、パンダくんと続き、最後のトリが私だった。
五条先生には「大将じゃんヤッタネ」とか嬉しくもない言葉をウインク付きでもらったし、たぶんあの様子だと私が旅館に戻らなかったところで「え……? 僕の生徒は最初っから四人だったはずだけど……ちょっと、怖いこと言わないでよ憂太」とか言い出しそうで怖い。本当にあの人はクソなのだ。
ここで蹲って朝まで耐えるのと、怯えて半べそをかきながら夜道を歩くのと、どっちがマシか。
――――より短い時間で終わってくれる方が、よっぽどいい。
そう思い、諦めと共に私が一歩踏み出した瞬間、背後からガサガサと物音が響いた。
「ひえっ」
驚いた私は思わず足を止めてしまって、本当に後悔した。せめて走り出してしまえば多少なりとも前へ進めたのに、背後にいる何かが恐ろしくてもう動けそうにない。
高専に来るまでただの一般人だった私でも、呪霊とお化けの区別はついている。でも怖いものは怖い。呪霊は祓ってしまえばいいけれど、私にとってお化けは別物なのだ。
「…………」
頭の中に『わたしがかんがえたさいきょうにおそろしいおばけ』という無形の想像が広がっていく中、がさ、がさ、と音は続いている。
段々と近づいて来たそれは本当に私のすぐ傍まで迫っていて、遂に真後ろまで来たその恐ろしい何かは足をダンッと踏み鳴らし声を上げた。
「め゛ん゛た゛い゛こ゛ぉ゛!」
「わぁぁぁーっ……う、ぁ」
耳に響いた『恐ろしいお化けの声』に腰を抜かした私はぺたりと地面へ座り込んだ。ひぐ、と惨めに喉が鳴って、そのまま嗚咽へと形を変えて口から零れ落ちていく。
――――だめだ、わたしはきっとここでおばけにたべられてしまうんだ。
「うえええん……やだぁ、やだぁーっ……ひ、ぐ」
「お、おかか」
「真希ちゃぁん……ぱんだくん……わあぁぁん」
名前を呼んでも、先にミッションを終わらせた人たちが来るわけもない。
「……おっこつくぅぅん」
きっと乙骨くんなら里香ちゃんパワーでお化けを追い払ってくれるのに。
「狗巻、くん……っう、うえぇぇ」
……そうだ。狗巻くんなら、呪言で一掃してくれるかもしれない。
そう考えたら、この世界で頼れる人が狗巻くんしか居なくなったみたいに感じて、必死で名前を呼んだ。
「い、いぬまきくん……いぬまきくん、たすけてぇ」
「しゃけしゃけ、こんぶ」
そのお化けは、へたり込んだ私の顔を覗き込むようにして近づいて来たかと思うと、唐突に私の肩をポンと叩いた。
「や、やだぁ!」
「お、おかかおかか」
「いっ狗巻くんっ助け」
「しゃけ!」
「え……?」
思いきり突き飛ばそうとして突っ張った手は、何か温かいものに握られてピタリと止まった。
「わたしがかんがえたさいきょうにおそろしいおばけ」は氷のように冷たい手をしているはずだから、一体何が私の手を握っているのだろうと視線を上げて、私は二重の意味でびっくりした。
「い、いぬまきくん」
「しゃけしゃけ」
今さっきまで助けを呼んでいた相手が急に現れた。思いもよらないクラスメイトとの再会に、ぼたぼたと流れ落ちていた涙がほんのちょっぴり和らいだ。
でも、目の前に居る狗巻くんがちょっと申し訳なさそうな顔をしているのは、どうしてだろう?
「むかえにきてくれたの……?」
「しゃ……しゃけ」
なぜか狗巻くんは視線を逸らしている。……あ、そっか。きっと、『ピンチに颯爽と駆け付けたヒーローの自分』という立場に照れているんだ。
ハッとして辺りを見回すと、もうどこにもお化けは居なくて、私は感謝と共に狗巻くんに抱きついた。
「こ、こわかったぁ」
「ツ……、ナマヨ」
「ありがとうう……もう少しでお化けに食べられちゃうところだったぁ……っ」
「しゃ、しゃけ」
私がぐしゃぐしゃな顔をして泣いているからだろうか、狗巻くんはそわそわと落ち着かない様子で視線をうろつかせ、最後に小さな声で謝罪の言葉を口にした。
「……すじこ」
「なんで? 助けに来てくれたのに、」
むしろお化けに遭遇して手間を掛けさせた私へ、手間賃を請求したっていいくらいなのに。
「わ、私お礼する!」
「っい、いくら?」
「私にできる事ならなんでもする!」
だって、狗巻くんは命の恩人だ。あんなに恐ろしい唸り声を上げていた「わたしがかんがえたさいきょうにおそろしいおばけ」を呪言抜きで追い払ってしまえるんだから。感謝したってしきれない。
「お……か、……たかな?」
なんでも? と困惑した様子で繰り返す狗巻くんへ、涙でぐしゃぐしゃになった顔に精一杯の笑顔を浮かべながら頷いてみせる。
「うん、何でも言って」
「…………」
ほんの数秒沈黙していた狗巻くんは、スイっと視線を逸らしながら私へ手を差し出す。
「……?」
「た、高菜」
手を繋いでほしい、と消え入りそうな声で言った狗巻くんは、本当に紳士だった。
「そんなことで、いいの?」
「……しゃけ」
帰ったら肩もみしろよとかジュース買って来いよとか、もっと他にもあったはずなのに。
私は紳士な狗巻くんの手をぎゅっと握り、「助けに来てくれて本当にありがとう」と心の底からの感謝を口にする。
「もう絶対に食べられちゃうと思ってたのに……狗巻くんって、やさしいんだね」
「め、めんたいこ」
肝試しの帰り道、至極申し訳なさそうな声で私の言葉に答える狗巻くんは、どこからどう見ても私のヒーローだった。



私のヒーロー


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お題:帰り道/知らない

2021.03.26



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