――気付けばいつも、先輩のことを見ていた。

「オマエ流石に見すぎ」
「や、やっぱり気付きますか」
真希先輩に指摘されたのも無理はない。一、二年合同体術では先輩の少し後ろに立ってその背中を眺めてしまうし、放課後に皆で集まってゲーム大会をする時もほんの少し後ろの席に座るようにして、まあるい後頭部を見つめてしまう。
つまり体力づくりを兼ねた鬼ごっこでは必ず一番に捕まえられ、毎回レースには負け、上Bの復帰に失敗し、スターを交換する選択肢を間違えて先へ進む。
伏黒には「ふざけてんのか手ぇ抜いてんのかどっちだ」なんて訊かれるし、野薔薇ちゃんには「アンタ下手すぎ。いろんな意味で」なんて鼻で笑われてしまう。
一番最悪なのは、ゲームの内容がババ抜きになった時だ。信じられないことに私は運も悪いので、どれだけ狗巻先輩と離れた席に座っていようと先に両隣の人が抜けてしまえば避けられようもない。先輩と一騎打ちになれば、私は負けたも同然だった。
つまり、今日が最悪の日だった。ババ抜き、狗巻先輩と一騎打ち。つまり、詰み。
「……いくら」
「そ……じゃあ、左で」
裏向きで差し出された二枚のカードの内、片方を選べば毎回外す。私が狗巻先輩の前にカードを掲げてみせると、真剣な顔をしてどっちがジョーカーかを見抜こうとする先輩の眠たげな瞳とカード越しに目が合う。
……つまり、目が泳いでしまう私がなんとか正気を保っていられるのは、手元にあるジョーカーの絵柄を見つめている時だけなのだ。
「高菜っ」
「最弱王決定戦で毎回こいつら二人が残って、毎回棘が勝つのは最早東京高専七不思議のひとつなんじゃねぇか?」
「……ツナ」
確かにそうかもしれない、と口にする先輩は目元に笑みを浮かべ、私に向かって両手でピースをしてみせる。
「ツ〜ナ〜マ〜ヨ〜!」
「煽るな」
ぽこん、と真希先輩に頭を叩かれた狗巻先輩は、不服そうな目で「明太子」と零し、机の上に放られたカードを集め始めた。
「あ、いや私がやります」
「おかか」
「せ、先輩にやってもらうわけには……」
三分の一を手に取った私が視線を上げると、こちらを見つめている狗巻先輩と目が合った。ふわ、と顔が熱を持ったのが自分でもわかり、慌てて視線を机の上に落として顔を伏せる。
「……すじこ」
「あ……」
私がまとめて持っていたカードをするりと抜きとった狗巻先輩は、何ともない風で今日の罰ゲームについてパンダ先輩へ声を掛けている。
その間にス、と近寄ってきた野薔薇ちゃんが、私の肩に手を置いて溜息を吐きながら囁く。
「……アンタわかりやすすぎんのよ。もっと堂々としてないと『ここにジョーカーがあります』って大声で言ってるようなもんよ」
「わか、ってるけど……だって、」
……だって、いつも狗巻先輩を見ているのは私なのに。そもそも先輩を見ているだけでも色んなところで失敗してしまうのに、逆に見られてしまうと恥ずかしくて居られないのだ。
「ハイ、今日の罰ゲームを発表します」
「しゃけ」
「よ、待ってました」
「ハイ……」
小脇に小さなティッシュボックスを抱えたパンダ先輩は、本日の準優勝……伏黒に中身を引くよう声を掛ける。中から出てくるのはティッシュではない。頻繁に催される『大会』に付随する罰ゲームのお題が書かれた紙片が入れられているのだ。昔使っていた箱は、私が滑って転んで下敷きにしてしまったからめしょめしょに形が歪んでしまって、敢え無くご臨終となった次第である。……私がなぜ滑って転んだかというと、もちろん狗巻先輩を見ていたからだ。スリッパでカーペットとフローリングの微妙な隙間にガクリと躓いて、踏みとどまろうとしたもう片足でしっかりと滑った。そのまま運悪く、真希先輩が持っていた箱に手を掛けて――――つまり、そういうことだ。
『読み上げられる罰ゲームの内容』イコール『私がこれからやること』なので、皆さんはそれはそれは楽しいことでしょう。何が起きても、自分に火の粉が降りかかるわけでは無いとわかっていて楽しめるからだ。
「――――にらめっこ」
「え?」
思ったよりも軽い罰だった。引いて読み上げた伏黒はどうでも良さそうな顔をしているけれど、パンダ先輩と野薔薇ちゃんは「がっかりしました」という感情を隠しもしていない。
「つまんな……」
「そう言ってやるな」
「……あ!」
半眼になった野薔薇ちゃんは直後に顔色を変え、喜色満面といった様子で悪い笑みを浮かべてパンダ先輩を見る。
「にらめっこって、相手が必要ですよね?」
「うん? まぁそうだな」
「ハーイせんせい、ドベふたりでやるのがいいと思いまーす」
「えっ」
ま、待て待て待て待て。野薔薇ちゃん止めよう、それは良くない。さっき私が誰と一騎打ちをしてたと思う?
「……しゃけ」
最下位の私の次の順位にいた狗巻先輩は、まぁそうだろうなという表情を浮かべると、ソファに座っている私の隣に腰を下ろす。
「や、あの、罰が軽すぎるのではないでしょうか……」
「はぁ? ……つまり?」
「ひきなおしを……しょもうします」
「却下」
悪魔のような笑みを浮かべる野薔薇ちゃんは、狗巻先輩を前にした私がどんな顔をしているのかを見るのが好きなのだ。
……悪魔め。絶対にノート見せてやらないからな。
「ツナマヨ」
「き、棄権し」
「おかか」
そもそも、この罰ゲームをして勝ち負けを決めて、その先に何が待っているというのか。新しい罰が下されるだけなのでは?
それなら私の棄権が認められてもいいはずなのに、先輩はあくまで乗り気らしい。私の方を向き直り、ソファの背に左手を乗せると楽しそうに私の目を覗き込んでくる。
「どうせ二人とも笑わなさそうだし、目を逸らしたら負けってことで。よーい、はじめ」
「……」
「……」
必死に狗巻先輩の瞳から目を逸らさないように努め、『お願いしますから先に目を逸らしてください』と先輩へ心から精一杯のテレパシーを送る。
じわじわ、と頬が熱くなって、目が潤み始めた。だっていつも先輩を見てるんだから……見つめ返されるのは、慣れていないのだ。
永遠とも思える時の中、真っ赤になった私が限界を訴えようとしたその瞬間。狗巻先輩がフイっと顔ごと視線を逸らした。そっぽを向いてしまった先輩の耳は、なぜか少し赤く染まっている。
「か……勝っ……た?」
「なんだ棘、恥ずかしくなっちまったのか? ン?」
「……お、かか」
「照れんなよ、正面から見れるチャンスだろ」
「ツナマヨ!」
パンダ先輩が楽しそうにオラオラと狗巻先輩の肩を小突いているけれど、私はそれどころではなかった。顔が熱くて、今にも泣いてしまいそうで。いてもたっても居られなくなって、「顔洗ってきます!」と言い置いて共同スペースから走り去る。

――気付けばいつも、先輩のことを見ていた。

でも私が見ていたのは先輩の後ろ姿や横顔ばかりで、本当は狗巻先輩も私を見ていただなんて、露ほども思っていなかったのだ。



気付けばいつも、


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お題:いつも

2021.03.13



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