「あ、の 私、好きです」
「は?」
「ばくごうが、すき」
「……じゃあ俺と、付き合うか」
「…………うん」

そうして始まったこの関係は、恋人ではないのだと最近になってようやく気づいたのだ。



勘違い




「オイミョウジ、帰んぞ」
「あ、ごめん相澤先生に呼ばれてるから、さき行ってて」
私がそう言うと、そーかよなんて言いながら、爆豪はさっさと教室を出て行ってしまった。
このそっけない感じが、爆豪っぽい。

私が提出し忘れたノートを受け取った相澤先生が、「ミョウジは忘れ物が多いのが合理的じゃないな」とひとこと言った。
「いや、忘れないようにしてるんですけどね」
「落ち着きもない、決めつけて行動する、人の話を聞かない」
そこがおまえの弱点だな、とさらに追撃がきた。
「みみがいたいです」
「絶対思ってないだろ」
ほら早く帰れ、と先生は私を追い出しにかかった。暗くならないうちに、という配慮だということはわかって、私は素直に教職室を後にする。
てこてこと廊下を歩いて、教室へ向かう。そのまま帰ろうとバッグを持ってはきたものの、案の定ふでばこを忘れていたことを思い出したからだ。
窓の外できらきら揺れる木陰が目に入って、私は外へ視線を向ける。
窓の外にはちょうど校門が見えていて、色素の薄い後ろ姿が見えた。
「あ……」
爆豪だ。もしかしてもしかすると、待っててくれてるんだろうか。
それなら待たせちゃいけないと教室へ急ごうとした矢先に、爆豪の背中にするりと絡む腕が見えた。
「……ぁ」
今まで爆豪の影になっていた向こう側には、ちょっと性格のきつそうな美人が見えた。にこにこと爆豪へ話しかけている様子の彼女はとてもうれしそうで、
「――――っ」
私はバッと目を逸らした。腕がすうっと冷えて、冷たくなっていく。


気づくと私は教室の前で、ドアの取っ手を見つめて立っていた。
どうやってここまで歩いてきたか、あんまりよく覚えていない。
考えがまとまらない頭を置いて、身体は扉を開ける。
「あれ、ナマエちゃん?」
女の子の声が聞こえる。ナマエちゃんて誰だ。あ、私の名前か。
「どったの? なんか忘れ……」
覗き込んでくる彼女の顔の方へ目を向けると、心配そうな目が私を見つめている。
「え、ねぇナマエちゃん、顔真っ青だよ」
「本当ですわ、どこか具合でも悪いのですか?」
お茶子と、百だ。私ははっとして、表情を取り繕う。
「あ、あぁうん、なんかちょっと貧血っぽくて」
へらっと笑うと、心配した様子の二人がわたわたとお菓子やら飲み物やらを勧めてくれる。
今見た光景を脳が整理しきれなくて、そうやってちょっと時間を潰していると、窓の外をちらっと見たお茶子があれっと声を上げた。
「爆豪くん、校門のとこいるけど…」
しかも女の子と一緒に、とお茶子が言った言葉に、私はびくりと固まる。
「ナンパでもされてんのかなぁ、爆豪やるじゃん」
私はできるだけなんともない風を装って、「そろそろ帰るね」と腰を上げた。
「あ、うん…」
「お気をつけて、また明日」
何か言いたげなお茶子に気づかないふりをして、教室を出る。
でも校門の方なんかに行く勇気はなくて、私はこっそりと裏門から帰路につく。
帰る途中、思考を占めるのは爆豪の表情ばかりだ。
用件だけの、簡潔なメール。
授業中、隣に座るとびくりと身じろぐ背中。
一緒に帰る途中、たまたま触れた手に舌打ちした彼の横顔。
混み合う電車の中、見上げた先で顰められていた形のいい眉。
食堂で向かい合いながら目が合うと、何か言いたげに開かれて閉じる口元。
怒鳴ってくることはないけれど、先に帰ってていいよと言うとさっさと教室を出て行ってしまう後ろ姿。

そういえば、一度も好きだって言ってもらったこと、ないな。

そこまで考えて、すとんと胸に何かが落ちた。
それを見なかったふりして落っことしていくことはできなくて、私は足を止めて俯いた。

そういうことだ。つまり爆豪は、私のことを好きだとは、思ってなかったのだ。

なるほどなるほど、そういう感じか。
付き合うか、って聞いたのも、そうかよなんて言って去って行ってしまうのも、つまりつまるところ、私に合わせてくれていたからなのだ。

気づいた私は、走って家へ帰り、ベッドへもぐりこんだ。
誰にも聞こえないように顔を枕に押し付けて、思いっきり泣いた。
優しい爆豪に、どうやったら泣かずにうまくサヨナラを言えるかな、なんて考えながら。




「ミョウジ、帰んぞ。はよしろ」
「あ、ごめん、今日もちょっと用事あるんだ」
「あ?」
「また明日ね」
私がそう言えば、爆豪はすこし不服そうな顔をしてから「わかった」と言って行ってしまう。
こんな状態が、2日間は続いている。
「ね、ねぇナマエちゃんなんかあったん?」
「え? 何が?」
何も心当たりがないよという風に、すこしまばたきして見せる。そして目を逸らさずに、お茶子の目を見つめる。
嘘を吐くのには、自信がある。
あとはちょっとズレたことを、例えば前髪切ったの気づいた? とかそういうことを言っておけば、うまく誤魔化せるだろう。
「爆豪ちゃんのこと、避けてるわね」
私が口を開く前に、梅雨がずばりと核心をついてくる。
結構手ごわい。先手を取って言われてしまったら、誤魔化すのなんてできないだろう。こういうときは、
「んーちょっとね、話しづらくて」
さっさと認めてしまうに限る。
「喧嘩でもしたの?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
なんて言おうか。別れを切り出す勇気がなくて、それどころか爆豪から別れの言葉を聞くのも怖くて、それでこんなになってますなんて
「ゲコ…気になることは本人に直接聞いた方がいいわよ」
聞く勇気が、ないんだよ、梅雨。
でもそんなことは言えなくて、私はそうだねと頷きながら席を立つ。

ここ2週間、ほとんど毎日一緒に帰ってたものだから、一人で歩く道はなんだかさみしい。
「付き合って2週間で破局とか……デートくらいしてみたかったな」
そもそも付き合って、いたのか?
付き合ってもらってた、って言った方が正しい気がする。
「もうちょっと夢見たかったなぁ」
キスをしたことも、デートをしたことも、手をつないで帰ったこともない。かろうじて、一緒にご飯を食べて、一緒に下校するくらい。
こんな状態で恋人同士なんて、笑ってしまう。
あーぁ、明日にはいい加減、爆豪に言わなくちゃ。
優しい彼に、これ以上私の我儘を聞いてもらうわけにはいかないから。
でももう恋愛は、いいかな。ヒーロー科なんだし、勉学優先でヒーローを、どうせならスーパーヒーローを目指そう。
相澤先生にもよく注意されることだし、ひとつの目標に向かって全力で進むのが一番いい。
そう、爆豪みたいに。
そう思ったらまた、みぞおちの下がぎゅうと痛んだ。
私は気づかないふりして、家路を急いだ。


「ね、放課後時間ある?」
「……ある」
食堂で切島や上鳴を含めたみんなとご飯を食べて、トレーを返しながら爆豪に近づく。
前みたいにびくっと爆豪の身体が固まることはなくて、むしろ私をじっと見降ろしてくる彼に、もしかしたら私が言おうと思っていることはもう心当たりがあるんじゃないかとうっすら感じる。
「そしたら図書館の裏のとこ、待ってるから」
「わかった」
目を見るのが怖くて、私はそのまま返却口の向こうへご馳走様でしたと声をかけて、逃げるように食堂をあとにする。
もうお腹が痛い。これから言わなきゃいけないことを考えると。じくじくと胸が痛んだ。


放課後爆豪を呼び出した図書館裏で、私は爆豪と向き合っていた。
「爆豪、今までありがとう。もう私につきあわなくて、いいよ」
「……はァァ?」
心底呆れたという顔で、彼は私を見ている。
私も自分に呆れている。なんでもっと早く気づかなかったんだとか、あの時好きだなんて言わなければよかったのにだとか。後悔先に立たずとはこのことだ。
「ミョウジ、何」
「付き合わせて、ごめんね」
これ以上、優しい爆豪の顔を見ているのに耐えられなくて、私は言葉を遮ってから目を伏せた。
きっと爆豪は、ため息をついてからこう言うんだろう。「わかった」って。
「……」
「……ミョウジ」
はあ、と爆豪がため息をついた。
あぁきっと次は、こう言うんだろう、
「バカかてめェ」
「うん……、?」
「俺のことアレだっつったのは嘘だったんかよ」
「あ、アレ?」
「――っ! 好きだっつったことだクソが!!」
そう怒鳴った爆豪の顔は、見上げると目と同じくらい真っ赤に染まっていた。
「え、えっと爆豪、」
「認めねェぞ」
「なんっなに」
「別れねえっつってんだろ聞けやアホ!!」
ど、どういうことだ。全然イメージとは違う結果に……
「待って待ってだから付き合わなくていいって」
「聞いてたわ!」
「だ、だから」
「断る!!」
あ、あれか、付き合ってやってるけどやめるタイミングは自分で決めたいとかプライドが許さないとかそういう
「好きだ」
「……え」
「っ一回で聞き取れや!! 好きだ!」
「――」
真っ赤な顔の爆豪が、むっすりとした顔で私の腕をつかんだ。
「三回目は、言わねぇからな」
「爆豪、私のこと、好きじゃないんじゃ」
「あ? 誰が言った」
「だって、好きとか言わなかったし」
「今言った」
「手も、つないだことないし」
「おら」
腕をつかむ手を緩めて、するりと私の手を握る爆豪の大きな手。
「これでいいか」
「う、え……」
「ミョウジ、俺と付き合え」
とっておきの秘密を打ち明けるように、私の手をぎゅっと握った手はすごく熱くて、ちょっと震えていた。
「俺と、付き合え」
「ば、ばくごう」
「返事は」
「はぇ」
「返事は!!」
「は、はいっ!!」
「よし」
ちょっと満足そうに鼻を鳴らした爆豪の顔はまだちょっと赤いままで、私の手を握ったままだ。


どうやら爆豪は、私の手を握るタイミング、話しかけるタイミング、どうやって距離を詰めるか、いろんなことを考えていたらしい。
私が先に帰ってと言ったときも、わかったと言って校門で待っていたらしい。
野暮用がたまたま終わったらちょうどいい時間だっただけ、別にわざわざ待ってたわけじゃない、という言い訳まで用意して、私を待ってくれていた。
あの性格のキツそうな美人の女の子は、前から爆豪のことが好きだと告白してきたらしい。もちろん断ったと言っていたけど、向こうから勝手に抱きしめてきたからぶっとばしたと白状した。ぶっとばしちゃダメだよと私がもっともなことを言うと、「ミョウジ以外に抱かれても嬉しくねぇからいい」なんてとんでも理論だった。

つまりつまり、私は早とちりしていただけだった。
私の勘違いを聞いた爆豪は、最大級に呆れた顔をしてから、思いっきり抱きしめてきた。
「嫌になっても、絶対別れさせねぇ」




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