「いーぬまーきくん!」
「高菜?」

「トリックオアトリート!」




かえるのおうじ





きっと言われるだろうな、とわかっていたので、お菓子は用意済みだった。
小袋に分けてあるやつだ。パンダや五条、真希にも言われるだろうし、なんなら前者二名は一日に三回でも四回でもいたずらの機会を伺って仕掛けてくると思ったから。
だって、自分もそういうイベントごとは好きだし、いたずらを仕掛けてやるのはとても楽しいので。

でも目の前で両手を広げるナマエは、純粋にお菓子が欲しいだけであろうことが一目で見てとれた。
裏地が紅色になっている黒いマントを肩にかけ、前髪を後ろへ撫でつけたその様は、古今東西色々な話に出てくるバンパイアのイメージそのものだった。
マントの中に着ているのは燕尾服のスーツ……と思ったが、ここは費用をかけられなかったらしい。高専の黒い制服のままのようだ。

「もしかして狗巻くん、お菓子持ってないの?」

残念、と肩を落とすナマエに向かって、仕方ないなという風を装ってポケットから飴を数個取り出し、その手に握らせた。

「わ、やったー! ありがとう!」

私、レモン味大好きなんだ。と嬉しそうに笑う顔を見ていると、胸がほこほこと温かくなる。


ナマエを好きになって、どれくらい経つだろうか。
少し遅れるように入学してきたナマエは天真爛漫、善人を絵に描いたような女の子だった。
パンダと乙骨とゲームをするから、と談話室を占拠していれば、「やったことない! やりたい!」と乱入してきてはパンダと自分の間に収まるようにちゃっかり座っている。
てっきりやったことがあるのかと思いきや、「やり方がわからないから教えて?」と上目遣いでお願いしてくる。
その眩しさに思わずほんの少し仰け反った自分を見た、パンダと乙骨が笑いをみ殺す。
コマンドがわからないならと自分の手元を見るように言えば、「見てるだけじゃわからないよ〜」と泣く。
仕方なくコントローラーを持つ手を上から包むようにして教えていると、「狗巻くんの手、おっきいねぇ」とこちらを振り返って至近距離で嬉しそうにはにかむ笑顔が目に毒だった。
ただ、あざとくボディタッチをするため、などという不埒な理由でそんなことをしているわけではない。
ちゃんとゲームをやろうとしているし、なんなら上達はとても速い。
すぐにパンダや乙骨と同じくらい戦えるようになって、そういった至近距離のコミュニケーションは無くなってしまった。
それを少し残念に思う自分と、これでパンダや乙骨、真希に揶揄われずに済むじゃないかと思う自分。板挟みになるといろんなものがどこかへ吹き飛んで行ってしまいそうだった。

皆でゲームをやっていて急に静かになったなと思えば少し重くなる肩。
そちらを見やれば、自分の肩に寄り掛かるようにして眠っているナマエの姿があった。
これ幸いと自分たち二人を残してそそくさと部屋へ引き上げるパンダと乙骨に、「お持ち帰りすんなよー」「風邪ひかないようにね」と言われれば、無下に置いていくこともできない。
どうせ風呂上がりの真希が回収するだろうと思ったけれど、幸せそうに眠っているナマエの顔が間近にあると思うと心臓がばくばくと煩かった。
後から来た恵に「先輩百面相してなにやってんすか」と言われて睨み返したのも、真希と一緒に風呂から帰ってきた野薔薇に「うわっまじ寝てる! かわいい〜〜」と動けずにいるところを写真に撮られたのも、すべて自分に体重を預けるナマエの所為なのだという顔をしないと耐えられなかっただろう。
「重いから無理〜」と女性二人に押し付けられて背負う羽目になったナマエの髪からは、とてもいい匂いがした。シャンプーの香りだろうか。
さすがに女子寮を一人でうろつく勇気はないので、真希と野薔薇に先導してもらって廊下を進む。
ナマエの部屋は小綺麗で、ベッドの壁際にちょこんと置かれているぬいぐるみを見て変な声が出そうになった。
これは、出会ってすぐに二人で行った任務の帰りに、たまたま帰り道で見つけたゲーセンのUFOキャッチャーで取ってやったものだ。
あの時はナマエのことをなんとも思っていたかったし、なんならUFOキャッチャーのことすら忘れていたのだが、今まで大事に持っていてくれたのだと思うとこそばゆかった。
毎晩ナマエと添い寝しているこのカエルのぬいぐるみに嫉妬してしまいそうだ。

……いろいろと察されている野薔薇からは、後日その写真が送られてきたけど。
待ち受けにしてうっかり五条に見られでもしたら死んでしまうから、無難な名前を付けたフォルダに保存してこっそりと見返すことにしている。


「狗巻くんの仮装、似合ってるね」
「こんぶ」
「別に名前がどうのってわけじゃなくて、普通にオオカミ! って感じ。ね、ガオーってやってみて?」
「……ツナマヨー」

言われたとおりに両手を顔の近くに上げ、声を出してやる。
やる気のなさが伝わったのか、ナマエは不満の声を上げた。

「もっと本気でやってよ〜。せっかくかっこよくキメてるのに」
「高菜」
「うん、かっこいいよ? ワイルドだぜぇって感じ!」

あははと屈託なく笑って、ナマエは携帯を手に取った。

「写真、撮ろ?」
「しゃけ」
「ほらもっと近づいてくれなきゃ入らないよ」

ナマエの小さな手が、自分の右肩に回る。
そのままぎゅっと引き寄せられて、左頬にくっつくんじゃないかと思うくらいの近さでナマエが喋っている。
ふわんと香る匂いにどぎまぎしているのがバレないように、奥歯に力を込めるのに必死だった。

「真希ちゃんもパンダくんも遅いねぇ」
「……しゃけ」
「お菓子すこししかないから、帰ってくる前に調達しに戻らなきゃ」

腕をめいっぱい伸ばして、自分たち二人が画面に入るように奮闘するナマエの仕草を目に焼き付けながら考える。
今のうちにさっきのナマエと同じ言葉を言えば、今彼女が持っているお菓子を独り占めできるだろうか。
子供じみた思い付きだったが、やるなら今のうちだ。

「ほら、撮るよ!」

はい、ちーず! と可愛らしい合図と一緒にカシャリとシャッターの音が聞こえた。
狗巻くんに送っとくね、と言いながらナマエが携帯を操作すると、やや時間があってから自分の携帯電話がメッセージの着信を振動で告げる。

「……高菜、すじこ、明太子」
「え?」

できるだけリズム良く言ったつもりだったが、伝わりにくかっただろうか?
今度こそは、ともう一度口を開こうとしたとき、ナマエが恥ずかしそうに視線をそらした。

「……ごめん、実はいまお菓子持ってないんだ……」
「た……たかな」



「いたずら、していいよ?」



頭が真っ白になるかと思った。
すこし頬を紅潮させながらこちらを見るナマエの姿から、目を背けることができなかった。

そのまま動けないでいると、ナマエが近づいてきて制服のジッパーをゆっくり降ろしていく。

「前から思ってたんだ。狗巻くんって、優しいなって」

露わになった口元の呪印をその細い指でするりと撫でて、もう一度ナマエが言った。


「いたずら……して?」



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「棘ぇ〜見ちゃったぞぉ〜」
「やっとくっついたか」
見えないところで見守っていたらしきパンダと真希に揶揄われて、パッと身体を離す。
それでも繋いだ手だけは、しっかり握って離しはしなかった。

……後で聞いたところによると、あの案は野薔薇の入れ知恵だったのだという。
まんまと乗せられてしまった自分の隣で、他の誰にも聞こえないようにナマエが囁いた。
「狗巻くんは忘れちゃったかもしれないけど、あのカエルの人形ね……ほっぺのところが狗巻くんの呪印にそっくりなんだよ」
その言葉に驚いてまじまじと見つめてしまったナマエの耳は、マントの裏地よりも赤かった。


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2020.11.26




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