「あれ? 伏黒どっか行くん?」
「ちょっとそこまで」
「コンビニ?」
「……まぁ」
「うそよ。そいつ彼女とデート行くんだから」
「えっ伏黒彼女いたの!?」

うっせーなという感情を隠さぬまま、伏黒恵は背後の同級生二人を振り返り、切れ長の双眸を細めてみせた。
釘崎は何が楽しいんだか俺が出かける度に根掘り葉掘り聞いてくるし、虎杖は虎杖で俺が興味もないグラドルがテレビに映る度に「伏黒この子どう思う? 可愛くね?」だのやたらと煩いのだ。
前者はワザとで、後者は本当に何も知らないだけなのだが。

「いる」
「えーどんな子どんな子? 可愛い? 大人っぽい? 年下?」
「……別にいいだろ」
「ハイハイ、蝶より花より可愛いカノジョ待たせてるんだから、あんまり足止めすると馬に蹴られるわよ」
「確かに。帰ったら教えろよー!」

にまにま笑っている釘崎は、どうせこの後あることないことコイツに吹き込むつもりだろう。
帰宅後に待っている尋問を想像してげんなりしながらも、同級生二人へ背中越しに手を振り寮を後にした。




君と見る一番星







彼女――――ミョウジナマエとは、九州への出張任務の帰りに出会ったのが始まりだった。
夜道を覚束ない足取りでふらふら歩く女と、今にも飛びかかろうと電信柱の陰から身を乗り出している呪霊。
どんなバカな呪術師でも助けるだろう。
俺が喚んだ玉犬が見えたのか、「わっ犬だ、あれ?」なんて間抜けな声をあげてきょろきょろと辺りを見回していたその女は、背後で呪霊を祓い終わった俺を見てから声も出さずに固まった。

「……」
「夜道、独りじゃ危ないですよ」
「あ、ははは……そうですよね、びっくりしたぁ」

寒い冬の夜。グレーのコートにショートブーツを合わせ、冷気の所為だろうか鼻の頭と耳の端が赤く色づいている。

「……ワンちゃんとお散歩ですか?」
「え?」
「や、その……私も犬飼ってるので。昼間だとはしゃいじゃって大変ですよね」

どうやら玉犬が見えるらしい彼女は柔らかい笑みを浮かべ、「触ってもいいですか?」と小首を傾げてみせた。了承の意を伝えると女性は嬉しそうに微笑んで膝を折り、もふもふと玉犬の黒い毛並みを撫ではじめる。
彼女はそのまま俺を見上げてこう言った。

「あの……コンビニって、近くにないですか?」

地元住人かと思いきや、彼女は旅行でここへ来たのだという。
一緒に来ていた友人と別行動をとり、この周辺にある煎餅屋へ買い物に来たものの、想像していたより店が混んでいて夕暮れ時を迎えてしまい、駅への道に迷っているうちに暗くなってしまったのだとか。

「……コンビニでいいんですか?」

別に駅まで送っていっても構わないのだが、という意味を込めてそう言いながら手元の端末で周囲のコンビニを検索していると、小さな呟きが聞こえた。

「たぶん、大丈夫です。懐中電灯が欲しいので」
「懐中電灯?」
「私のスマホ、ライト点かないんです……早く機種変したいんですけど、この間変えたばっかりだから」
「これからどっか行くんですか?」

既に駅まで辿り着けないほど迷っているのに? 懐中電灯を買ってまで行きたいところがあるのだろうか。

「駅に戻るんです」
「は……?」
「その、私……目が悪くて」

言い辛そうな表情でそう言ってこちらを見る彼女は眼鏡も何も掛けていないが、コンタクトでもつけているのだろうか。

「見えないんです、夜道」
「……スマホの画面で照らせば、」
「それだと光量が足りなくて……旅行だからって鞄変えたら、いつものライト忘れちゃったんです」

鳥目なのだろうか。夜目が利く自分にはいまいち想像ができなかったが、無灯火運転の自転車が自分たちの横を通り過ぎていく時に目の前の彼女がびくりと肩を揺らせたのがよく見えた。

「そんなに見えないんですか」
「人が多い所だとあんまり苦労しないんですけど。田舎は街灯が少なくて、困っちゃいます」

この調子だと、コンビニまで連れていっても駅まで戻るのに何時間かかることかわかったものではない。それに、万が一また他の呪霊に襲われないとも限らない。
駅への同行を申し出た俺に恐縮しながらも、彼女は安堵の笑みを浮かべてみせた。



ミョウジと名乗った彼女は、なんと俺と同い年でしかも東京に住んでいるのだという。彼女もまた、玉犬を見て俺を地元住人だと勘違いしたらしい。呪術師の職業にも理解を示し、玉犬が普通の犬では無いことを説明すると目を丸くして驚いた。
駅までの道のりを歩きながら、自分の携帯電話のライトで足元を照らしてやっていたが、どうやらこの田舎道には不十分だったらしい。
ちょっとした段差にもミョウジは躓き、極偶にすれ違う通行人の影に驚き、ついには彼女が側溝に落ちかけたところで俺はやっと理解した。


本当に彼女には、夜道が見えていないのだ。


「ミョウジさん、俺の腕掴んでていいですよ」
「え?」
「旅行先で側溝に突っ込んで服汚して、最悪な思い出にしたくないでしょう」
「……伏黒くんは、優しいですね。モテるでしょ?」
「別に、そういうの興味ないんで」

駅まで送り届けて踵を返そうとすると、ミョウジが俺の服を掴んだまま「今度、お礼させてください」と消え入りそうな声で言った。




それから東京で再会して何度か食事をするうちに、俺は自然と彼女に惹かれていった。
お礼と言いつつ一度や二度で終わらなかったのは、彼女も自分に興味を持ってくれていたということだったのだろうか。
自分と会う時には必ず手を繋ぎ、陽が落ち始めると懐中電灯を出すよりも先に自分を頼ってくれる。
それがとても嬉しくて、少し恥ずかしい。それでもミョウジと手を繋ぐ口実にするには充分だ。

「伏黒くんが行ってる学校って隣の県だっけ?」
「いや、東京」
「これ四捨五入したらほとんど山梨だよ……遠いねぇ」

暗くなる電車の車窓を眺めるミョウジの横顔には、出会った頃のあの不安そうな表情はもう無い。

「見えるかなぁ」

ぽそりと呟いた彼女の声は、静かな車内でも消え入りそうなほど小さかった。
星空を見ようと言い出したのはミョウジの方だったが、俺の方はあまり乗り気ではなかった。何かと理由をつけては都心へ彼女を連れ出し、プラネタリウムで誤魔化してはやんわりと断っていた。
それでも今回高専の近くの川へ行くことにしたのは、ミョウジの涙交じりのお願いに負けたからだ。


――――伏黒くんと、同じものが見たいの。


そう言われても拒否できる奴は、きっと誰かを好きになったことが無い奴だ。

「別に、見えなくてもいいんじゃねぇか?」
「んー……そうなんだけどね」

闇の中でのミョウジの視野は、片目を瞑って五円玉の穴を覗いた程度しかないのだという。それが生まれつきだというのだから驚きだ。
……まぁ、そういうことをする時に煌々と電気を点けていられるのは、俺にとっては利点でしかないのだが。

高専の最寄り駅も通り過ぎ、街灯もほぼ無い夜道を歩くと駅のホームの灯りが懐かしく思える。
さすがにここまで暗いと、ミョウジのためにもライトを点けざるを得ない。街中では見ることのない小さな灯りが自分たちの足元をしっかりと照らしている。


舗装されていない川の傍は、木々が途切れていて空が良く見えた。ミョウジが手にしていた懐中電灯を消すと、墨で塗りつぶしたような暗闇に包まれる。
北極圏やらオーストラリアだかには負けるかもしれないが、それでも十分に美しい夜空を見上げた俺は、隣のミョウジが微妙な顔をして空の方を向いていることに気づく。

「……」
「……見づらいか?」
「うん……でもね、ちょっとだけ見えるよ。あれは一番星かな?」
「あぁ。そうだな」

一番星どころか百番くらいまでは数えられそうだけどなと思いつつも、俺はそれを伝えることはせずに口を閉じ、肩にかけていたボディバッグを漁った。

「どうしたの? 忘れ物?」
「いや、俺もミョウジが見てるのと同じものが見たい」

そう伝えて、俺は取り出したモノをミョウジの手に握らせた。
灯りが無ければ手元すら見えない彼女は、驚いたようにソレに指を這わせて正体を探ろうと一生懸命になっている。
まるでバラエティ番組で箱の中の物を当てるタレントのようなその姿に、思わず笑みがこぼれてしまう。

「……メガネ?」
「惜しいな」
「じゃあ、サングラス?」
「正解」

俺がそう言うと嬉しそうにミョウジは笑い、次いで不思議そうに首を傾げた。

「何に使うの? 掛けたらいい?」
「あぁ。俺に、掛けてくれ」
「……伏黒くんに?」

不思議がりながらも彼女は俺の腕を伝って顔を探し当てると、ぺたぺたと頬骨と耳の位置を確認しながら手探りでサングラスを掛けようとする。

「目、大丈夫? 刺さっちゃわない?」
「問題ねぇよ。そのまま、」
「ん……」

少し耳からずれているテンプルを自分で直し、ミョウジの手を取って空を見上げる。

「……全然見えないな」
「何が?」
「星。これがミョウジが見てる世界なんだよな」

ミョウジの方を向いても、ぼんやりとした輪郭しか認識できない。
確かにこれは不安だろう。

「ふしぐろくん……」

ミョウジの涙声が聞こえて、表情が見たくて顔を近づけた。

「ん?」
「そんなに優しくしたら、わたし泣いちゃう」
「泣くなよ」

ここでミョウジに泣かれてしまったら、黒いガラス越しの視界では涙を拭ってやることもできやしない。

俺は少し考えて、ミョウジの唇にキスを落とした。
想像してたよりもだいぶ硬い感触に眉を顰めると、ミョウジが困ったように笑うのがわかった。気恥ずかしくなって、自分の口が自然と歪んでいくのを感じる。

「ふふ……そこ、鼻だよ」
「……見えてねぇんだよ」
「じゃあ、次はちゃんと口にしてくれる?」

仕方ねぇなと呟いて、それから幾度も口付けた。ミョウジの唇を探し当てても尚、何度も何度も。

サングラス越しの真っ暗な闇の中でも、不安はなかった。
見えなくても確かに感じられるミョウジの体温が愛おしくて。

すべてを塗りつぶす漆黒の帳の中で、時間も忘れて口付けていた。




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見える人には不思議だと思うのですが、夜盲の視界はガチのやつです。
マグライトもおすすめですが嵩張るので、スマホとかカメラで撮影モードにして、レンズを通して画面を見ると案外よく見えますよ。
夜道が苦手な方はぜひ。




2021.01.02




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