私には彼氏がいる。
そう、とっても可愛くてやんちゃでバカな彼氏。
愛おしくて優しくて考え無しで……私を怒らせるのがとっても得意な男の子。振替記念日
「いっくらぁー!」
「ちょっ……狗巻先輩ッ!」
今日も今日とて、棘の悪戯は留まるところを知らない。
どうやら今晩は、後輩である伏黒の首元へキンッキンに冷えた保冷剤を放り込んだらしい。
飛び上がって目を吊り上げている伏黒が、凍ったそれをなんとか取り出そうとトレーナーの裾をばたつかせては肩を竦めている。
ウンウン。後輩を揶揄うのって楽しいよねぇ。
人に害を成す方向の悪ふざけは嫌いだけど、笑って済ませられる程度のおふざけは私も大好きだ。こんな湿った世界では、そういう楽しさも大事だし。
でもねぇ棘、なんか忘れてないかなぁ?
「ツーナッ! ツナー!」
「集中してるんだから邪魔しないでくださいよ……」
「めーんたーいこぉ?」
「……ひとりでやっててください」
釘崎とは違って俺は煽られても平気ですから、と全然平気じゃなさそうな顔をして、伏黒が共同スペースのソファに座り直す。
「はぁー……虎杖、せめて三回聞いたら次は間違えないようにしろ」
「えー? だって難しいもんよ」
「間違えないようにする努力をしろって言ってんだよ」
後輩にそっぽを向かれ、しゅんと勢いを無くした棘が「ツナ……」なんて言いながら私の傍へ歩いてくる。
ここはテレビが見えて、その前に置かれているソファの背が見える位置。所謂ダイニングテーブルに肘をつき、ぼーっと二人のやり取りを眺めていた私は、やんちゃが過ぎる恋人へ「おかえり」と声を掛けた。
「しゃけ」
「もう伏黒たちはいいの?」
「すじこ」
一時休戦、と小さく伸びをしてから、棘は私の手元にあるチョコチップクッキーに手を伸ばしてきた。
彼から少し皿を遠ざけ、私は笑みを作る。
「……高菜?」
「んー? いやいや、楽しそうだなと思って」
私の発言と行動が合っていないことを、棘はどうやらただの意地悪だと捉えたらしい。
あざとい顔を作り「ねぇねぇ意地悪しないでよ、ひとくち食べたいんだけど」と言わんばかりに、わざとらしく上目遣いで私を見つめている。
「つ〜な〜ま〜よ〜〜」
「……クッキー食べたい?」
「しゃけっ」
「そうだなぁ、じゃあクイズに答えてくれたらいいよ」
「高菜?」
そうそう。そんなに難しくないからね、構えず気楽に答えてくれていいんだよ。
「しゃけ!」
「うんうん。じゃあ第一問、『私の恋人は誰でしょうか?』」
「ツナァーッ!」
そう言って早押しボタンを叩くような仕草をした棘は、そのままの勢いで立てた親指を自分自身に向けている。
「明太子!」
「幸先いいねぇ、正解」
「しゃけしゃけ」
「じゃあ続いて第二問」
チラ、と後輩へ目をやると、もう殆ど日付も変わりかけているのに宿題に取り組んでいる二人分の後ろ姿が見えた。
顔を顰めているのは主に伏黒だけど、なんだかんだ文句を言っていてもあの二人は仲が良い。根っこのところでは似てるのかも。
性格が割と別のベクトルを向いているはずの棘と憂太も仲が良いから、彼らと似たようなものだと言えるだろうか。
「『今は何時でしょうか?』」
「こんぶ!!」
今度は右手の人差し指と中指、左手は更に薬指も一緒に立てた棘は、顔の横に両手を添えてウィンクをしている。
私が数字を読み取ったのを理解した恋人は、更に右手でパーを作ってから、最後に両手を使って"六"を表現してみせた。
「合ってる合ってる。二十三時五十六……あ、今ちょうど五十七分になったね。おまけして正解にしてあげる」
「しゃけ!」
どやどやと胸を張って自慢気な顔をしている恋人へ、私は最後の質問を投げた。
「では最後の問題。『今日は何の日でしょうか?』」
「………………」
ぴた。
先程まで自信満々な笑みを浮かべていたはずの棘の顔が急に凍りついた。
私は天使のように優しく微笑んであげてるんだけど、おかしいなぁ。やんちゃな恋人はピクリとも動こうとしない。
「どうしたの? 思いつかない?」
「…………」
「じゃあ三択にしてあげよっか」
私が量産する冷え冷えとした空気に気付いたのか、ソファに座っていたはずの後輩たちがこちらを振り向いた。視界の端に映っているそれには目もくれず、私はただひたすら棘へ笑顔を向け、候補を挙げた。
「そのいち、『ただの木曜日』」
「…………」
「そのに、『伏黒が珍しく寝坊した日』」
「…………」
「そのさん、『もうそろそろ寝る時間のはずなのに、なぜか部屋から出てきた私が夜更かししてる日』」
「………………」
「どーーーーれだ。」
「……………………」
にこにこ。そんな擬音が口から出てきそうなくらい私が優しく訊いてあげているのに、棘は一言もどころか微動だにすらしない。青褪めたその顔を見るに、どうやら冷や汗をかいているようだ。
仕方ないので私は携帯を取り出して、ロック画面を表示させる。
「制限時間はね、この時計が零時になるまでだよ」
「…………」
二十三時五十九分。私が使用しているスマホの液晶オフタイマーはジャスト一分だから、この画面が消えれば時間切れ。
背景画像には、楽しそうにキャラもののカチューシャをつけている仲の良さそうな二人が頬を寄せて恥ずかしそうに笑っている。
「ヒントあげよっか」
「……」
「この写真ねぇ、去年の今日撮ったんだよ。この時は私たちだけじゃなくて真希と憂太も一緒だったよねぇ」
「……しゃけ」
「あれ? 憶えてたんだ? じゃあもうわかるよね」
まるで錆び付いたロボットのようにぎこちなく首を縦に振った棘は、消え入る寸前の猫のような声で「すじこ」と鳴く。
「ん? 謝ってほしいわけじゃないんだよ、ただクイズに……あ、もう零時になっちゃったのか」
チラリと見た液晶画面は真っ黒になっていて、私たちの楽しそうな笑顔の写真も消えていた。
「答えは四番の『一周年記念日』だよ。残念だけど時間切れだね」
そう言って私が立ち上がると、今度はもう少し大きな声で「すじこ」と棘が謝罪の言葉を口にする。
「そんなこと言ってもダメ。正解できなかったからお菓子は無しだよ」
「おっおかか、」
「いやいやいや。もう夜も遅いしね、私は寝るから」
「いくら明太子おかか」
「おやすみ〜」
ひらひらと手を振りその場を後にしようとすると、急に腕を掴まれる。
「おかか」
「……もう眠いんだけど」
「すじこ」
「何に対して?」
「いくら、ツナマヨ」
――――記念日忘れててごめんなさい。
……それ、もう少し早く気付いてほしかったんだけどなぁ。そんな思いを込めて、私はもう一度棘に笑いかける。
「謝ってもねぇ、"昨日"は戻ってこないんだよなぁ」
「しゃっ、けいくらすじこ」
「記念日は祝日とは違ってね、振替日っていう概念はないんだよねぇ」
「しゃけしゃけすじこ」
「授業があるのは仕方ないからねぇ、放課後は一緒に出かけようよって前々から約束してなかったっけ?」
「しゃ」
「暇すぎて忘れちゃったかな? 記念日のはずなのに『ちょっと今日は忙しいから』とか言って断られるとは思ってなかったよ」
「す、すじ」
「ぶいちゅーばーだっけ? 生配信楽しそうに見てたよねぇ」
「……」
ああいう動画って、結構長尺で話したりするもんなんだね、勉強になったよ。せっかく棘の部屋に二人っきりで居るのに、気づいたら二十三時半なんだもん。
バカな恋人はそれから「ちょっと夜食」なんて言って出てったかと思えば全然戻ってこないし、迎えに来てみたら今度は私を放置して後輩二人にちょっかいかけてるし。
「ほんの一年前の昨日の話だよ? 『毎日でも好きって言うし、大事にするし、泣かせないし、記念日だって大切にするから』って……棘、言わなかったっけ? あれ? もしかして私の気のせい?」
ふるふると首を振ったかと思えば黙り込んでしまった棘に向かって、私はできるだけ完璧な笑みを作ってみせて、とどめの一撃を放った。
「それじゃ、私は寝るから。おやすみなさい"狗巻くん"」
翌日、朝から寮の出入り口で私を待ち構えていた棘は、私の顔を見るなり「おはよう、今日も可愛いね、大好きだよ」と少し上擦った声を出した。
「……おはよう、"狗巻くん"」
「す、すじこ」
思い出したようにそんなこと言うだなんて、わかりやすいご機嫌取りですね。
「昨日はあんなに楽しく夜更ししてたのに……朝から元気だねぇ」
「しゃけ、」
手を繋ごうと思ったのか、絡められそうになったそれをスルリと避けた私は、手を制服のポッケに突っ込んで棘と少し距離を取る。
「なに?」
「こんぶ」
「……今日は"なんでもない日"だからヤダ」
「お、おかか」
こんなのは八つ当たりだ。なんでもなくたって恋人同士は手を繋ぐし、好きだよと言ってもいい。
私だって楽しいことをしていれば予定が頭からすっぽ抜けることもある。きっと棘も、わざと忘れていたわけじゃないだろう。
……まぁ流石に記念日を忘れることはないわけだが。スケジュール帳にも入力してあるしね。
「……」
「ツナマヨ」
「……」
「ツナマヨ、こんぶ」
「……」
隣を歩く棘が渡そうとしてくる"好きだよ"の言葉を無視して前を向いていると、後ろから駆け寄ってくる足音がひとつ。
「狗巻先輩、ミョウジ先輩、おはよーございまっす」
「あ、虎杖。おはよう」
「しゃけ」
「っうわ、」
並んできた虎杖に挨拶を返すと、何を思ったか棘が私の肩を抱いて頬を寄せ、虎杖に向き直る。
「い、いくら、ツナマヨ」
「…………」
「え? あ、あぁ、え? その、知ってま、す……けど?」
「……」
自分たち付き合ってるんです、なんて棘の発した言葉に困惑した様子で頷く虎杖に、同情と申し訳無さが湧き上がってくる。
「何やってんだオマエら」
「パンダ先輩! なんか狗巻先輩が急に」
「すじこ! ツナマヨ!!」
「……」
この子は大事な恋人だから、手出さないでね。
私の肩を抱いたまま、パンダにそう言って「おかか!」と恥ずかしそうに威嚇している棘は――――控えめに言って最高に面白かった。
"好き"って言っても私が喜ばないもんだから、わかりきった事実を大きな声でアピールして……これで私の機嫌を取ってるつもりなんだもんなぁ、笑っちゃう。
まぁ棘のそういう単純なところも好きだしホントは嬉しいんだけど……教えてあげない。呪術師の恨みは普通の女の子に比べて深いんだってこと、棘に思い知らせてやる。
「オマエ今更なに言っ…………あーーーなるほどなぁ」
「……あのね"狗巻くん"、肩痛いんだけど」
「ツ、ツナ」
私の一言でパッと手を退けた棘は放置して、私は校舎に向かって歩きはじめる。
「……おい棘、今度は何したんだよ」
「い、いくら」
「なに? 先輩たち喧嘩?」
……聞こえてるんだよなぁ。
私の後方数メートル、ぽそぽそと小声で喋る男子三人の声くらいは、流石にパンダじゃなくても拾えるだろう。
でもこの状況を棘がどう説明するのかに興味が湧いて、私は必要もないのに聞き耳をそばだてた。
「……高菜、すじこ」
記念日、忘れてました。
素直にそう白状している棘に対して、虎杖とパンダは呆れた様子で溜息を吐いているようだ。
「ナマエそういうの気にするって前から言ってただろ」
「しゃけ……」
「ミョウジ先輩って朗らかなタイプだと思ってたけど、やっぱ呪術師なんすね……怒るとめっちゃ怖いヤバい」
「ツ、ツナマヨ」
「いや誰も盗るつもりないけどな」
「てか狗巻先輩も狗巻先輩じゃん? 彼女との記念日忘れるってそりゃ怒るよ」
「しゃけ」
「棘オマエあれ買ったっつってたろ、なんとかっていう……」
「……明太子!」
またゲームか何かの話か。いつまでも同級生の痴話喧嘩に付き合っていたくないのか、パンダが話題を変えたらしき辺りで私は注意を前方に向けた。
私の正面、ちょうど入り口をくぐろうとしていたのは……どうやら昨日の寝坊がそこそこショックだったらしい、後輩の伏黒だった。ぴょんぴょん好き勝手な方向に跳ねている髪を揺らして会釈をし、「おはようございます」と声をかけてくる。
「ん。おはよ、伏黒。今日はちゃんと起き――――」
「いっくらツナマヨおかか!!」
伏黒とのあいだに割り入ってくきた棘が大きな声で言った。
「は……? いや知ってますけど……」
「……あのね"狗巻くん"。私は、今、伏黒と、二人で、喋ってるんですけど」
「おかかおかかおかか」
一言ずつ区切って言ってやると、私に顔を向けた棘が物凄い勢いで首を振って否定の単語を繰り返す。
おかかおかか、高菜おかか。
聡い伏黒は、どうやら私たちが醸し出す雰囲気にすぐに気付いたらしい。「ミョウジ先輩……もしかして昨日の夜のですか」と訊かれ、特に誤魔化す理由もなかったので「まぁね」と肯定する。
「すじこ、」
「んー? 謝んなくていいよ。気にしてるし怒ってるけど、それ以上にすっっっごい悲しかっただけだから」
「お、おかか」
顔を強張らせた棘へ笑顔を向け、私は教室の方へ視線をやる。どうやら親友の真希は先に教室へ来ていたらしい。廊下での騒ぎ――主に棘の大きな声だが――を聞きつけて、煩いなぁという顔つきでこちらへ近寄ってくる。
「朝っぱらから何してんだオマエら」
「朝の挨拶だよ」
「いくらいくらツナマヨ!」
「……はぁ?」
やっぱり従姉弟同士、似るものなのだろうか。
棘の「自分たち付き合ってるんで!」という発言を受け、一瞬"わけがわからない"という顔で伏黒とおんなじようなリアクションを見せた真希は、それでも付き合いの長さの為せる技なのか……棘の言葉の裏に隠された意味を正確に理解したらしい。
真希は急にスッと表情を変えてこう言った。
「え、そうだったのか? 早く言えよ水臭ぇなぁ」
――――流石は私の親友だ。理解
っている。
真希は別に悪ふざけが嫌いなわけではなく、銀髪バカ教師と同じ土俵に立ちたくないだけであって、普通にノリはいいのだ。
「いつからだよ?」
「すっすじこ」
棘は目を泳がせながら「いやぁ一年前から付き合ってて割と自分たちラブラブだったんだけどそうか気付かなかったかごめん隠してたわけじゃ」なんて謝っている。
おいおい……まさかこの状況下で"悪ノッてる"ワケじゃないだろうな?
顔が引き攣りそうになって、なんとか動かした私の口から出たのは呆れが混じった低い声だった。
「へぇ……隠してたから、昨日の一周年記念日忘れてたんだ?」
「………………」
強く瞑られた棘の目元が『地雷を踏みました』と語っていた。
「ツ、……ナマヨツナマヨツナマヨこんぶ」
「好きって言われてもなぁ……私とあのよくわかんないアバターの……ぶいちゅーばーだっけ? アレと比べたら向こうの方が大事だし、もっと見てたいわけでしょ?」
「おおおおおかか」
「"投げ銭"とかいうの、したらいいんじゃない? "記念日投げ銭"。『今日は彼女と付き合ってから一周年の記念日なんですよ、まぁすっかり忘れて放置してましたけど。それはさておきアナタのことは応援してますね』ってさ」
「おか」
「じゃ、私授業だから先行くね、"狗巻くん"」
慌てふためく棘をバッサリと切り捨て放置して、私はニヤニヤと笑っている真希と一緒に教室へ向かう。
「オイ、いいのか? あれ相当ヘコんでるぞ」
「……いいの。どうせ『好き』とか言っとけば私が喜んで赦してくれると思ってんだから」
私の見立て通り、休み時間も手合わせの合間の休憩にも事あるごとに「好きだよ、ごめんね」と言ってきた棘が段々としょんぼりし始め、声に元気が無くなってきた辺りで漸く放課後の時間と相成った。
寮へ戻ろうと席を立った真希とパンダに倣い、私も立ち上がろうとするけれど何故か棘は動こうとしない。
「すじこ……」
私の隣。自席に座ったまま、蚊の鳴くような声で「本当に反省しています」と言葉にした棘を正面に見据え、私の口から溜息と共に言葉が漏れる。
「……そんなに面倒くさいならさ、廃止にする? 記念日」
「お…………おかか」
「別に要らないんじゃない? イベント事なんてぜーんぶ無くしちゃえばさ、忘れて私に怒られることもないよ」
「いくらこんぶ」
「年に一回しかないし、忘れるのも仕方ないよねぇ。楽しみにしてるのは私だけみたいだし」
「おかか!!」
大きな声で私の言葉を遮った棘は、ウロウロと視線を彷徨わせた後に妙案を得たりといった顔をして、パッと私の肩を正面から掴む。
「ツナマヨいくら! 明太子!!」
――――今日は『好きって百回言った』記念日にする!!
鳩が豆鉄砲を食らったような、とはきっと今の私のような人のことを言うのだろう。
あまりにもおバカな答えについつい失笑が漏れてしまった。
「そんな適当な記念日……忘れるくせに」
「おかか、高菜」
「……で、あと何回言ったら百回?」
「…………ツ、ツナ、こんぶ」
数えてなかったので今日これから寝るまでの間に百回言います。
あと、プレゼントも買ってあるので寮に戻ったら部屋に来てくれませんか。
どうやら棘は、記念日のために贈り物を用意したのにそれすら忘れ去っていたらしい。とことんバカだ。もう狗巻じゃなくて鳥巻棘に改名したらどうだろう。
「っふ……ふふ」
「おかかぁ」
「まぁプレゼントに免じて赦してあげるよ。でも今度忘れたら、ねぇ? "棘"――――わかるよね
?」
「しゃ、しゃけ」
仕方ないから、今回は特例として振替記念日も許可してあげようかな。
今年だけは特別だよ?
来年同じことしたら……容赦しないからね。
+++++
ワンライの「ね、仲直りしよ?」と同じ夢主(のつもりで書き始めたのに何一つそれっぽい要素が無いのであくまで主観に過ぎなかった……)
2021.04.20
△
×