*若干のじゅじゅさんぽ要素



「最近、おっぱい大きくなった気がする」
「……神埼、本当に今その話題出していいと思ったのか?」
「え?」

高専寮の一角にある、畳敷きのこじんまりとした部屋の中。六人でちゃぶ台を囲んで鍋をつついている最中、耳を疑うような単語が聞こえて一瞬手が止まった。


――――おっぱい大きくなった。


聞き間違いだと信じたかったが、きっと自分の耳が都合よく単語を変換したのだ……なんてことは無いだろう。
目の前にはカセットコンロに乗せられた鶏団子鍋。先ほどまで美味しい美味しいと言って真希が褒めていたこれは、自分たちが顔を合わせる前に亡くなったという虎杖悠仁が恵に教えていたレシピだという。

手元の鶏団子に集中しているフリを装うことに成功して、灯里の顔を凝視しなかっただけ褒めてほしい。

「ごめん、なんかお気に召さなかった感じ? 食後の方がよかった?」
「ちげーよ」
「じゃあ文句なくない?」

ある。とツッコミたい気持ちを抑えてチラっと視線を上げると、自分の斜向かいに座っている恵が冷ややかな目で右隣の灯里を見つめていた。
『虎杖悠仁直伝の鶏団子鍋を食す会』の配席は、自分から時計回りに真希、灯里、恵、野薔薇、そしてちゃぶ台の下にのんびりと寝そべっているパンダ。
爆弾発言をかました当の後輩は、恵の視線を気にすることなく野薔薇へ言葉を続ける。

「……野薔薇ちゃん、今度新しいブラジャー買いに行くの付き合ってよぉ。体術の時に着てるやつ、サイズ合わないから新調したい」
「いいわよ。ついでに夏物見に行っていいなら」
「もちろん! あー、それなら私もTシャツとか買おっかなぁ……ブラジャーだけ新調しても寂しいよね」
「確かにそうだけど……いっそ全部買い替えなさいよ。アンタのブラ、無地ばっかりじゃない」
「え、えへ……ホントはもっと可愛い柄のが欲しいんだけど……いつものとこには置いてないというか……その辺も野薔薇ちゃんにお任せしたいというか……」
「……」

後輩の恵に「もっと強く言え、そしてこの話題を変えさせろ」と目で訴えかけるが、諦めの速さが玉に瑕の後輩はどうやら同期二人の会話を黙殺することに決めたらしい。黙々と、故・虎杖悠仁の遺作を口元へ運んでは咀嚼している。

誰も踏み込めない領域の会話が自分の眼前、つまり恵を挟んで繰り広げられていた。
針の筵だ。誰かこの地獄に終わりをくれ。

「……置いてないぃ? 灯里いつもどこで買ってんの?」
「ゆ……ゆに、く……ろ…………と……しまむら」
「ハァー? アンタ仮にも女子でしょ。もっとあるだろ候補がよ」
「いや安いし! あと……可愛いお店とかのは憧れるけど……ちょっと入るのが恥ずかしいというか……勇気が要るというか」
「じゃあ何の心境の変化があって? 男?」
「ちがっ、ヨースケくんは今は関係ないの! 体術の時だけはスポブラ着てたんだけど、ちょうどサイズ合わなくなったから……いい機会だし、いっそのこと卒業したいなーって思って……っだから野薔薇ちゃんお願い! お洒落な下着屋さん連れてって!」
「オッケー任せろ。この野薔薇様の選別眼でアンタの『無地ダサ下着』を『超可愛い下着』にクラスアップさせてやるわ」
「やったー! これで長年連れ添ったスポブラともおさらばだ! あばよ相棒、達者でな!」

スポ? と内心首を傾げた時、ふは、と足元に寝そべっているパンダが小さく吹き出したのが聞こえたものだから、この行き場の無い居心地の悪さをぶつけてやろうと箸頭の方を先にして机の下に差し入れ、横っ腹を突き刺してやった。

「おかか、」
「ぅぐっ…………灯里、鶏肉って胸が発達する成分が含まれてるらしいぞ」

またそんな嘘っぱちを……流石に灯里だってそんな――――

「え!? ほんとですか! ちょっと頑張って食べよっかな……どれくらい食べたらいいですか?」
「……いっぱい、じゃないか?」

――――頼むから信じないでくれ。そして話題に乗るな。

「灯里あのねぇ、すぐそうやってホイホイ騙されるからこの人たちの玩具にされんのよ……パンダ先輩って性自認ありますよね? セクハラでは?」
「んー……パンダ先輩のはセクハラとは言わないんじゃないかな? どっちかって言うとセクハラより先に公然わいせつ罪が適用されるんじゃない? だって先輩いっつも全裸で歩いてるし」
「呪骸に法律は適用されないんじゃないか? それに、俺だったら通報されてもぬいぐるみのフリして誤魔化せばモーマンタイだろ」

違う、そういう問題じゃない。双方向へのセクハラが今まさに起きている。
パンダから灯里へ、灯里から男子三人へ。……いや、楽しんでいるパンダは除外しよう。
気にせず会話を続ける灯里と野薔薇、そして唯一この後輩二人の会話に参加していい立場のはずにもかかわらず、何も言わずに鍋をつつく真希。

女子三人からの、恵と自分へ対する逆セクハラだ。


横文字のブランド名を挙げ終わって一息ついた野薔薇の「あ。伏黒ぉ、そろそろシメは?」という言葉でどうにか会話は終了したが、慰謝料なんて請求できるわけもない。

結局、二晩はこの話題が自分の頭から離れず苦しむ羽目になった。








その、四日後。

「なんで柔軟って体術とか基本的な運動にセットでついてくるの? どこもハッピーじゃないし……もー飽きたんだけどぉ」
「……じゃあ俺が押してやろうか?」
「ヤダ! 恵くん思いっきりやるんだもん」
「なら棘にやってもらえ。恵には最低限呪具扱えるようになってもらわなきゃ話にならんから、私はコイツと組む」
「明太子」

一番うるさいパンダと野薔薇が揃って不在にしている中、比較的静かなはずの体術修練。グラウンドで四人仲良く準備運動をするはずが、このままではいつまで経っても始められそうにない。

「おかか、いくら」
「うー……それはそうなんですけど」

飽きようと何をしようと、怪我をしてしまっては元も子もない。つい先日すっ転んで足首を挫き、反転術式のお世話になっていた後輩を窘めながら二人でペアストレッチを始める。

「狗巻先輩は優しくしてくれますもんね! ほんっと恵くん雑なんだよなぁ」
「すじこ」

それはどちらかというと、身内に姉がいるからこその女子に対する気安さと、同期に対する遠慮の無さによって為せる技……というものではないだろうか。
思っても口には出さないが。

悲しいことに野薔薇を除くと灯里と身長が近いのは自分なので、背中を合わせて伸ばすストレッチは体格差が無くてやりやすい。

「んー……、……うおぉ。先輩って、結構……重いですね……うっ」
「しゃけ」

鍛えてるし。というか、灯里の方こそ想像していたよりずっと軽くて心配になる。
……思っても、口には出さないが。

「いくら、」
「えー……前屈苦手なんですけど……優しくしてくださいね?」
「……」

いくら可愛い後輩のお願いだからといっても、体を動かす点においては手を抜くつもりは全くない。もちろん手加減しすぎても無意味なので、そこそこの圧をかけて背を押してやりながら、真希の呪具指南を受ける恵の姿を見守る。
苦痛からか息を止めてしまっている灯里へ「すじこ」と声を掛け、後輩が息を吐くのと同時に背中へ優しく体重を乗せる。

「う……ぐ……っひーきつい」
「おかか」
「……あ? あー! もしかしたら私、この間より柔らかくなった気がします!」
「?」

ほら見てください! なんて言ってひとりで前へ伸びているが、自分にはよくわからなかった。微々たる差なのだろう、きっと本人にしか体感できないに違いない。
適当に返事をしてやりながら背を押す作業へ戻る。

「ツナマヨ、おかか」
「えー……ぜっ、たい……ん、柔らかく……なりましたよ、ぁ……うー」

――――頼むから喋らないでくれないか。リズムをつけて背を押している最中に話されると、変に言葉が切れていかがわしい気持ちになりそうだ。
そう思って、1から順番に数字を足していく作業に脳のリソースを割いて雑念を振り払う。

そのまま91まで数えたところで、ぐっと圧を加えた手の下に硬い感触があることに気付いた。

「……?」

押すのを止め、気になって親指でその部分をなぞると、なんとなくデコボコしているのが布越しに伝わってくる。

「こんぶ」
「ん? どうしたんで――――」

またぞろどこか怪我でもしていたのかと問いかけたところで、ソレが指に少し引っかかって、ぺち、と小さな音が鳴った。
……と、同時に「キャアッ」と叫び声を上げた灯里が思いも寄らない素早さで転げるように立ち上がり、脱兎の如く走り出したかと思えば恵に指南をしていた真希の背中に隠れてしまう。

「ツナ?」
「あ?」
「ど、どうした灯里」
「ああああああああのあのあのあのどこ触っ……さ、さわ……っ狗巻先輩やだ、なんで!?」
「お、おかか」
「なにしたんだよ棘……」

誓ってなにもしていない。いや、してはいるがただの準備運動である。叫ばれるほど強く押したつもりもないし、ましてやそんなに怯えられるほどの何かをした記憶もない。
真希の手合わせを邪魔された恵が面倒くさそうな顔をして灯里に近づくと、ポコンと彼女の頭を叩く。

「オマエ柔軟ひとつで騒ぎすぎだろ。身体硬いんだからもっと真面目にやれ」
「ちがっ……!」

顔を真っ赤にした灯里がぱくぱくと口を開いたり閉じたりしてこちらを見つめている。

まるで――――

「せっ……せくはらです!!!」
「!?」
「狗巻先輩が私のブラジャー触った!!」
「おま……前屈で背中押してりゃ当たり前だろ」
「……まさか受け身で先輩にキャッチされるのもセクハラだとか騒ぐんじゃねぇだろうな」
「ちがっ! 違う! 違います!! だって私の……わた、わ……」

真っ赤になって黙り込んだ後輩の態度を見て流石に不審に思ったのか、真希が訝し気な顔をして耳を近づける。

「"私の"、なんだよ? …………は? いやそれ……あ? そ……ハァー?」
「……」

何の話だ、とそちらを見つめていると、隣で二人の会話が聞こえていたらしき恵が半眼でこちらへ視線を寄越し、身を起こした真希が腰に手を当てて言い放った。

「――――棘が悪い」
「おっおかか!?」
「言い訳すんな。ストレッチで背中撫でる必要あるか?」

どうやって触らずに柔軟の手伝いをしろと? 念力か何かを会得しろと言うつもりなら流石の真希でも横暴が過ぎる。そんなものは来世に期待するしかないし、そもそも真希や野薔薇と自分がペアを組んだ時だって、二人の背中にも同じように触って手伝っているではないか。

「おかかおかか! 明太子いくら、ツ――――」

そこまで言って、はたと思い至った。先ほどの妙なおうとつが気になって、親指でするりと触ったことを。
そして思い出す。数日前、食事中に自分たちへ為されていた灯里の逆セクハラ発言。

『今度新しいブラジャー買いに行くの付き合ってよぉ』

つまりあれは灯里の下着の――――

「…………」
「性犯罪者予備軍だな。今日は私と二人で組手すっか」
「はい……」

硬直した自分を置いて、女子二人は遠ざかっていった。

いや、そんなつもりは、まさかそんなものだとは、というか今まであんな感触無かったわけで、

硬直した自分の脳内をぐるぐると言い訳が走り回っていたが、近寄ってきた恵にぽんと肩を叩かれたところで現実に戻ってきた。

「お、かか……」
「いや、普通に今のは狗巻先輩がアウトです」

でもアイツ馬鹿で現金なんで、貢ぎ物でも持っていったらすぐに機嫌治しますよ、と呆れ顔で言う後輩に無言で首肯し、放課後は灯里の好きそうなコンビニスイーツを全種類揃えて提出することでなんとか通報は免れた。


――――スポーツブラジャー? んなもん保険体育の授業で真っ先に取り扱うべきだろう。

それからというもの妙に彼女の背中が気になって、灯里とのストレッチに限っては肩に手をやり押す羽目になった。






…………そして本日、今週二度目の"アウト"を引く。


「?」

前屈させるために手を置いた彼女の肩に、妙な段差がある。

「……先輩? どうしたんですか?」
「こんぶ――――、」

不思議に思ってそれをするりと撫でた瞬間、ハッと"前回"の記憶が脳裏を過ぎった。


しま、った。


ビクリと身をすくめた灯里が悲鳴を上げる前に一瞬にして距離を取ったものの、時すでに遅し。

涙目で振り返った後輩に、今度は躊躇いなく叫ばれた。


「――――ッッッ狗巻先輩の変態セクハラ呪言師!!!」
「…………め、めんたいこ」



言い訳のしようもなかった。





段差に注意@後輩





+++++


2021.03.08


  

×
- ナノ -