ある夕方のこと。
任務帰りの私は携帯片手に野薔薇ちゃんを探して高専内を走っていた。

たぶん夕飯を食べに、恵くんと一緒に食堂へ行ってるんだと思うんだけど……

「あ」

食堂の入り口、見覚えのある後ろ姿が三つ見える。
二年生の先輩たちだ。

「先輩お疲れ様でーす! 皆さんで晩御飯ですか?」
「おー灯里、任務帰りか。お疲れ」
「しゃけ」
「そんなに慌ててどうしたんだよ。腹ペコか?」

皆さん任務で忙しい人たちだけど、話しかければ笑顔で――疲れてない時とかイライラしてない時は除いて――応えてくれる。だからこの高専はとっても好き。呪霊とやり合って荒んだ気持ちになっても、また頑張ろうって思えるから。

「任務の後にコンビニで調達して食べちゃったので、特にお腹は……野薔薇ちゃん探してるんです」
「あぁ。確かさっきこっち入ってったから、先に中でメシ食ってんじゃね?」
「しゃけ」

真希先輩がこっち、と指差したのは食堂だった。やっぱり思った通りだ。近頃は先輩たちの体術訓練にひーこら言わされているので、私も含めて一年生三人は前より食が太くなっている。

「ありがとうございまーす!」

先輩たちに挨拶して横をすり抜けさせてもらうと、食堂の端っこに陣取っている同級生二人の姿はすぐに見つけられた。恵くんはジャージを着ていて、野薔薇ちゃんは制服のまま。早く可愛いジャージ買いに行きたいって騒いでたからなぁ……今度、真希先輩誘って下北とか渋谷とか連れてったげよっかな。

「野薔薇ちゃ〜ん!」
「あ? あー灯里、お帰りー」
「お疲れ」
「二人ともありがと!」
「ちょっと灯里、伏黒の話、聞いた? この間の任務でさ、窓の女の子に連絡先聞かれて仕方なく教えちゃったらデートのお誘いが」
「釘崎ッ」
「やだーコイバナ? 恵くんって顔が良いからねぇ……中学の時も結構モテたでしょ?」
「んなワケないでしょ。重油まみれのカモメに火つけて遊んでたような奴よ」
「根も葉もない過去を捏造すんな」

胡乱気な瞳で野薔薇ちゃんをねめつける恵くんの正面に腰を下ろした私は、野薔薇ちゃんに向かって今世紀最大のニュースを発表するように元気よく「はいっ!」と手を挙げた。野薔薇ちゃんはオホンとひとつわざとらしい咳をして、握った拳をまるでマイクのようにして私の方へ向ける。

「ん。なんだね、神埼灯里くん」
「国会答弁みたいな言い方だな」
「聞いて驚くなよ二人とも……私すごいんだよ、ついに――――」




「ついに、彼氏ができそうなんです!!!」
「あ?」
「マジでか!?」


私の報告に恵くんはポカンと口を開いてこちらを見つめている。
対して野薔薇ちゃんは前々から私の相談に乗ってくれていたから、この一言だけで理解してくれたらしい。

「前言ってたやつ? やったじゃん灯里!」
「そう! ありがとう! 夜も合間見て連絡し続けた甲斐があったよ〜!!」
「粘り勝ちね。で、こっからの予定は?」
「あーそこはまだなんだ。まだお付き合いって状態じゃなくて、二回デートに誘ってもらえたし、脈ありっぽいから……三回目でこっちから告白すれば決まりかなーって」
「なーるほど」

微妙そうな顔をしている恵くんを置き去りにしたまま野薔薇ちゃんへそんな報告をしていると、パンダ先輩が「面白そうな話してるじゃないか」と言いながらこちらに近寄ってきた。
この人は本当にそういう"面白い話"が好きなのだ。邪魔してやろうとかそういうわけじゃなくて、狗巻先輩同様に単純にそういう話を聞いて楽しみたいとか、アドバイスしてくれたりとか、イベント事とかに全力投球なだけである。

恵くんの隣に腰を下ろしたパンダ先輩と狗巻先輩、それに私の隣には真希先輩が昼食のプレートを持って座り、詰め寄ってくる。どことなく狗巻先輩の顔が強張っているように見えるが、きっとそれは今日の献立に先輩の苦手な食材が使われているとかそんなところだろう。狗巻先輩はよくゲーム大会に誘ってくれるし、昨晩も混ぜてもらってそこそこの時間までやっていたから、もしかしたらちょっと睡眠不足なのかもしれない。

「で?」
「詳しく聞かせろよ」
「……」
「先輩たち、食いつきすぎです」

恵くんが指摘したとおり、三人の圧力が怖い。後輩を可愛いと思ってくれて見つめているのか、ただ単純に面白そうな話を聞きに来たのか……やっぱり後者だろうな。

「どこから聞いてました?」
「『彼氏ができそうなんです!』と『三回目で告白しようかな』ってとこだけ」
「お前ら声でけーんだよ」
「スミマセン……」

御尤もなお叱りを受けつつ、先輩たちに大まかな経緯を説明してみせる。

「悠仁くんのことが起きる少し前からなんですけど」
「……しゃけ」
「最初は顔がいいなーとか背が高いなーとかそんな感じでロックオンしたんですけど」
「見かけによらず肉食系じゃねーか」
「そんでそんで?」
「英集の後からあんまり会えてなくて……でも、久しぶりに会ってみたら顔だけじゃなくて性格まで優しいんだなってことに気づいて」
「……」
「例えば?」
「夜寝る前にどうでもいい話したり、任務帰りに連絡すると『お疲れ様』って言ってくれて、ちょっと素っ気ないんですけどそれがまた良いっていうか」
「ほーぅへーぇなるほど」
「釘崎は会ったことあんのか?」

恵くんの問いかけに、野薔薇ちゃんは堂々と胸を逸らせて勝ち誇った笑みを浮かべる。

「あったりまえじゃない。アンタとは違ってずっと相談されてたんだから」
「ちょっと、写真見せただけじゃん」
「いや……俺は別に、むしろ相談されても困る」
「でしょうね。重油カモメ男には乙女の心の機微なんて理解できるわけないじゃない」
「おかか」
「今は恵の話はいいんだよ。で、どうなんだ? イケメンなのか?」
「パンダ先輩、それ聞いちゃう?」
「あーダメダメ野薔薇ちゃんやめて恥ずかしいから」

超超超超イケメンよ、しかも真正のクソ男。と野薔薇ちゃんが言うと同時に、私は顔を覆って俯いた。頬が、というか顔全体が熱い。真っ赤になっているのが自分でもわかるから、野薔薇ちゃん以外にお見せできる面ではなくなっていることだろう。

「あーーーー内緒だって言ったじゃん! 野薔薇ちゃんの裏切者!」
「別にいいじゃないの。どうせ付き合ったらおしまいにするんでしょ」
「うん」
「は?」
「……?」
「ん?」
「え?」

それはそうなんだけど……と呟きながら指の隙間越しに皆の顔を見ると、想像していたのとは全然違う光景が目の前に広がっていた。
恵くんは顔を顰めて虫を見るような目をしているし、狗巻先輩はいつもの眠たそうな目を見開いていて、真希先輩は何言ってんだコイツと言う表情を隠しもしていない。
一足早く動き出したパンダ先輩が、「パードゥン?」と言いながら耳に手を当てる仕草をする。パンダ先輩って、妙なところでそういう言葉遣いをしがちなんだよなぁ……

「ゲームですよ?」
「……なんて?」
「付き合ったらというか、相手を落として惚れさせたらゴールなんです」
「そのあとは?」
「何も無いよ?」

真希先輩も恵くんも、私が質問に答えるたびに眉間の皺を深くしていく。

「え、私何か悪いことしてます……?」
「神埼……念のために聞くが、今回が初犯か?」
「初犯て。人聞きが悪いなぁ」
「……」
「いいから言えって。今までどんだけ被害者が居たか、先輩として把握する義務がある」
「被害者?」
「パンダ先輩、ほんとにそう思ってる? 本音は?」
「一番まともそうに見えた後輩がどうやら一番のクズだったらしい驚きの展開にワクワクしてる」
「だと思ったわ」

パンダ先輩の言葉を聞いた野薔薇ちゃんは、ニヤニヤしながら椅子の背もたれに身を預けて私を小突いた。言ってやりなさいよ、とその顔が言っている。

「……中学の時からやってますよ。面白いんですよねぇ、最初はツンケンしてた人がだんだん手懐けられていって、いい雰囲気の中で告白してきてくれるのって。あと、お金とか女性関係にルーズな人との駆け引きとか、賭け事にズブズブに嵌りきってる人をヒモにしてあげたりとか、あとはこっちから逆告白した時の反応とか」
「ダメ男のテンプレみたいな奴ばっかだな……で、オッケーして付き合ったらポイなのか?」
「ですです。過程が面白いんであって、その先は特に重要なイベント事も無いというか、また別の人攻略したいなーって気持ちが勝るというか」

ニヤニヤしている野薔薇ちゃんと、寝不足からか表情が硬くなっている狗巻先輩を除いた三人は、何故か目配せをし合っている。
先輩たちはその後私への興味を失ったのか、なぜかお通夜のような雰囲気の中で黙々と夕食を摂り終わるとさっさと立ち上がる。

「…………よーっし。これから俺たち先輩は緊急男子会議だ、恵も強制参加だぞ」
「はぁ……」
「ホラ棘、」
「……ツナマヨ」
「誰のための会議だと思ってんだよ。行くぞー」

何故かご飯を食べている途中からどんどん元気を失くしていった狗巻先輩を引きずるようにして、パンダ先輩と恵くんは立ち去っていった。
私はというと、残された真希先輩と野薔薇ちゃんに両側から抑え込まれるようにして拘束され、食堂に居残りさせられている。

「ッはぁーー! 面白ぉ!」
「急になに? 裏切者の元親友、釘崎野薔薇さんよぉ……」
「あんなん裏切りでもなんでもないでしょ。細かいとこ気にしてんじゃないわよ」
「で、あの話マジなのか?」
「マジ話です。写真、見ます?」

まぁイラストなんですけど、と呟きながら私が携帯電話の画面を真希先輩へ渡すと、先輩は「はあ?」と声を上げた。
はっきりと副音声が聞こえてくる。「コイツマジで何言ってんだ?」と。

「オマエこれ……どう見ても漫画か何かのキャラクターだろ」
「だからゲームだって言ったじゃないですか! 女性向け恋愛シミュレーションゲーム、通称『乙女ゲーム』です」

カメラロールに映っているのは、私が現在絶賛攻略中のトーリくんだ。サラサラしたマッシュの髪は銀色で、おっとり優しそうな瞳をこちらに向けている。学ランを着てはいるけれど、私服もかなりカッコいいのだ。ちなみにこの人畜無害そうな顔とは裏腹に、内面はしっかりとしたクズである。そこがまた良い。

「こっちが私服で、デートの時の勝負服がこっちです」
「おま……いや、確かに言ってたことは間違ってねーな……」
「ですよね? やっぱりカッコいいですよね!? 見た目が私の好みドストライクすぎて、広告見た時『あっこれ恋だな』って思うくらいヤバかったんです! 学校の女の子とっかえひっかえ何人も侍らせてて、不良を纏め上げるくらい腕っぷしが強くて、人のことパシらせて何でもかんでも奢らせて……でもリアルタイムでイベントが進むから、攻略するためにはそこそこ時間が必要で……。夜寝る前に連絡してあげたりとか、夕方下校時刻に合わせて会話イベントがあったりとか。不規則なタイムスケジュールの呪術師には結構攻略難しいんですよー……」

しかも、時間の早回しと主人公の私服ガチャには課金要素がある。呪術師とは言えど学生の身分で、そんなにたくさんお金をつぎ込むわけにもいかないから、だからこんなに時間がかかってしまったのだ。だいたいは一週間くらいでどの乙女ゲームも攻略してしまう私だけれど、このリアルタイム型恋愛システムにはなかなか手こずっている。

「……ね? 面白いでしょ真希さん」
「悪い顔してんな。野薔薇オマエ本当に呪術師向いてるよ」
「褒めても何も出ないですよぉ」
「ハイハイ。……んで、これがアプリゲームだってことは野薔薇以外には言ってなかったんだよな?」
「ですよ? 普段はVITAとかですし……さっき皆に言ったのが初です」
「やっべぇムネアツ展開。パンダにだけはキャラとアプリの名前教えといてやるか」
「ちょあーーーーーーっ真希先輩やめてください男性陣には見せないでくださいお願いします私のタイプがモロバレしちゃいます!!!!」
「ダイジョーブだって、灯里がこういう見た目が好みど真ん中だってことはパンダにはちゃんと口止めしといてやるから」

嘘だ、絶対に揶揄われるに決まってる……! 灯里の好きなタイプってこんなやつだったんだなぁとか、ゲームのキャラクターにマジ恋しちゃってんのかよとか、おかかおかか明太子とか、空き時間に乙女ゲームやるなんて暇があるなら受け身百回コース行っとくか、とか。

「あーーーー終わった……私の乙女ゲーエンジョイライフが今終わりを告げた……最後の晩餐がコンビニ飯だなんて……」
「いやいやこれからマジで面白いこと起きるから」
「……ほんとに?」
「マジマジ。棘と同期の私が言うんだから間違いねーって」
「ほんとですか? いいことあります?」

イイコトかどうかはわかんねーけどな、と真希先輩が笑ったのが見え、私はがっくりと肩を落とした。
ちょうど通知が来た自身の携帯画面を見た真希先輩が、「ホラ言った通りだろ」と言って野薔薇ちゃんへ端末を手渡している。

「やっっっば。ウケる」
「なになに? 何の話ですか?」
「オマエには内緒の話だよ。それより、そのトーリくんとやらの次のデートはいつの予定なんだよ」
「明日です!」

今からどんな選択肢が出るか、どんなスチルが見れるのか本当に楽しみだ。
気を取り直してトーリくんのスクショを眺め始めた私の横で、カシャリとシャッターが切られる音がした。ハッとそちらを振り向くと、真希先輩がニヤニヤした悪い顔で画面を眺めている。

「ちょちょちょちょちょ何撮ったんですか今」
「あ? 灯里の気持ち悪いくらいのニヤケ顔」
「わーっ早く消してください! それが流出したら私の人生が終わります!!」
「やーだね」

私のような雑魚の力では真希先輩に敵うわけも無く、腕を押さえられている隙にその写真を誰かに送り付けたらしい。

「あぁーっ真希先輩の人でなし!! 鬼!!!」
「はっはっは何とでも言え」
「か、怪力呪具使い!」
「アンタそれほとんど誉め言葉になってるわよ」

私が涙目になって怒っているからか、真希先輩はごめんごめんと言いながら押さえていた腕を開放してくれる。謝られたって、拡散された私の写真はもう回収不可なのに……

「銀髪で髪が短くて長身でダメ男がいいのか?」
「……別に髪の長さは関係ないですけど」
「じゃああのバカは? 外見と中身は完璧に要件満たしてるよな」
「五条先生は中身がロクデナシなので絶対に嫌です。二次元だから良いんであって、三次元のダメ男は普通に無理です。私は人間がいいです」
「ナチュラルに五条先生を人外として扱ってんのマジウケるわね」
「ふーん。じゃあ学生の中なら誰が一番いいんだ?」
「えー……」
「京都のヤツでもいい」
「向こうの人は遠征先でたまたま遠目にすれ違ったくらいしか面識ないですよ……」
「卒業生、先輩呪術師、教師でもいいわよ」
「……うーん?」

知っている人の中で、誰が一番理想に近いか? 乙女ゲームばかりやっていて、現実の恋愛に一切興味が無かった私にとっては結構ハードルの高い質問だ。
五条先生は判定外として、七海さんは優しくて背が高いけど愛想が悪いからちょっと怖いし、恵くんは時折重い物を持ってくれたりするけれど女の子の扱いは雑だし、猪野先輩は喧しいから苦手だし、この間ペア組んだ二級術師の人は過度のシスコンだし、前に同行してもらった補助監督の人は彼女持ちだし――――

「…………消去法でいくなら、狗巻先輩……ですかね」
「ハァーン?」
「せっかく人が頭悩ませて答え出したらそれ!?」
「なんで棘なんだ?」
「んー……優しい、から?」
「無難な答えマジ萎えるわー」
「野薔薇ちゃん!!! 仮に野薔薇ちゃんが求めてる答えと違ったとしても!! せめて大事な親友がちゃんと回答したことだけは!!! 褒めよう!!!」
「ハイハイ解散解散。アンタがプリント提出忘れてるって夜蛾学長がカンカンになってたわよ」
「――――アッ」

乙女ゲームの攻略に夢中で、すっかり傀儡呪術学のことを忘れ去っていた。怒った学長は怖いし正論で諭して拳骨を降らせてくるから気をつけよう、とこの間自分の胸に誓ったばかりなのに……

「神様野薔薇様、答え写させてくださいお願いします」
「手元にあるわけないじゃない。提出したっつの」
「真希せんぱぁい」
「あー……」

視線を向けられた真希先輩はめんどくさそうな表情を浮かべて顔を逸らし、何かを思いついたように「そういえば」と口を開く。

「呪骸の成り立ちと各国の外見的特徴についての穴埋めだよな?」
「はい……」
「確か棘がおんなじ問題で再提出くらって苦しんでたから、アイツに聞けば一発じゃねーかな」
「ほんとですか!?」

まだ遅い時間じゃないし、明日の朝イチで学長へ提出すれば拳骨だけで済ませてくれるかもしれない。

「今からお願いしに行ってきます!!」
「おー。連絡しといてやるから行ってこい」









幻の2と現実の3








「真希さん、狗巻先輩の話って……」
「ありゃ嘘だ。再提出くらったのは憂太で、棘はそこそこ問題なくこなしてた」
「わぁ、悪い顔」
「というか呪骸のことならパンダに聞きゃいい話だろ」
「確かに……灯里って案外抜けてんのよね。で、パンダ先輩はなんて?」
「『棘がショック受けすぎてて恵がオロオロしてるのが面白すぎ』だとよ。ご丁寧に隠し撮り付き」
「いっつも悪ノリして被害被ってんのはこっちなんだから、少しくらいやり返してやったってバチ当たりませんよね」
「やったれやったれ。後は棘の頑張り次第だ」


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2021.01.19


  

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