わけがわからん。急に後輩がおかしくなった。


狗巻棘は、頭を抱えながらここ数日間の後輩とのやり取りを思い出していた。

「先輩って、最近どこかお出かけしましたか?」
「夜景が綺麗なところがあるそうですよ」
「このカフェ雰囲気いいですよね」
「髪は短いのと長いのどっちが好きですか?」
「自分より背の低い女の子ってどう思います?」
「ふわふわしたワンピース着てる子って女子力高めですよね」

マジで言ってることがよくわからなかった。いや、意味はちゃんと理解できている。外出したかどうか、これについてはどう思うか、同意よりは意見を求めているということだとか。
意味は理解できても、彼女の行動原理がわからなかった。
もしかしてついに自分が“攻略対象”にされたのかと動揺したけれど、どうやらそういうことではないらしい。
挙動不審な灯里はこちらを見てニヤニヤしていたかと思うと不意にどこかへ消え、近づいてきたかと思えば今度は妙な質問を投げかけてくる。



つい先日なんて、こんなことがあった。



「あ、狗巻先輩おかえりなさい! 任務お疲れ様です」
「しゃけ、」

任務から帰って灯里と顔を合わせたと思ったら、彼女の前髪が少し短くなっていた。散髪にでも行ったのだろう。耳の近くには可愛らしい髪留めを付けていて、明るい性格の彼女にはとてもよく似合っていた。
元々あまり興味が無いのか、目の周りに色を付けたりだとか、ひらひらふわふわしたワンピースを着たりだとか、ネイルアートに勤しんだりだとか、そういう姿を見たことは皆無と言っていいだろう。もう一人の後輩と比べると灯里は至って普通の女の子だ。そんな、本人曰く「平凡な」容姿の灯里がたまにお洒落をすると、なぜだかどうしようもなくどきどきする。
……恋の魔法? うるさい、なんとでも言え。

そんな灯里が、自分の顔を見た途端に何か含みのあるような笑顔でこう言ったのだ。

「ふふ、なんか気づきませんか?」
「め……、」

前髪切ったんだね、と声をかけるより先にそう問われ、一瞬頭の中が混乱した。

――――何かとは何だ?

普段は髪をちょっと切り揃えようが新しいヘアピンを付けていようがわざわざそうやって他人にアピールするようなことはなく、野薔薇に「あら、髪型変えたの? 似合うじゃない」なんて言われると、明らかに昨日までとは違うと百人中百人がわかるレベルの変化ですら「え、気付いたの? ありがとう!」と心底驚いたような顔をするのが神埼灯里という後輩である。

その彼女が言う、「なんか気づきませんか?」だ。
きっと髪以外にも変化があるのだろう。

そう思い、ほんの少し身を引いてまじまじと灯里の姿を眺めた。
いつも通りの高専の制服。靴も同じく普段通り。髪の色も変わってないし、爪にネイルを施しているようにも見えない。
少し短い前髪を触りながらそわそわと身を揺らしている以外には、特に違いが無いように見える。

「……、…………お、おかか」

数秒考えた後、正解がわからず白旗を上げた。
……これで「昨日までの私とは意気込みが違うんです!」なんてオチだったら、怒るぞ。
もちろん理不尽でもなんでもない。今までの経験上、そんなことが有り得るのが“神埼灯里”という女の子だからだ。
内心そんな失礼なことを考えていると、目の前の後輩は不機嫌そうな顔をしながら、ちょっぴり短くなった前髪を摘まんで言った。

「もー! 髪切ったんですよ?」
「…………」

どうやら、最初に声をかけようとした方で正解だったらしい。
それくらい気付かないワケないだろ。紛らわしい言い方をするな。
拍子抜けの答えに呆れていると、灯里はちょっと不満そうな表情を浮かべながら腰に手を当てて言う。

「狗巻先輩はニブすぎです! 女の子のちょっとした変化にも気付かなきゃだめですよ!」

その一言から始まった“説法”はこちらが困惑するくらい一方的に続けられ、最終的にはタイツとストッキングの見分け方にまで発展した。

「細かい単語までは憶えなくてもいいですけど、重要なのは薄さですからね!」
「……」

“薄さ”ね、知ってるよ。
君が言うのとは別の意味でだけど。

他にも、急に「狗巻棘がアパートに引っ越しをする」前提の話をし始めたりだとか、外出先で何かしらを見繕ってくれたお礼として渡そうと購入した商品に贈答用のラッピングをさせようとしたりだとか、「家庭教師役」を恵にお願いしたりだとか。
わざわざ高専まで時間がかかる場所に住む理由も無いし、紅茶もお菓子も灯里が受け取らないなら部屋に来た時に出そうと独り虚しく封を開けた。
……家庭教師役は、察した恵がこちらに押し付ける形で処理してくれているけれど。教え方が下手だから嫌がっているのだろうか、と落ち込みかけたが、部屋へ来る灯里は相変わらず「狗巻先輩って教えるの上手ですよね! 将来は先生になれるんじゃないですか?」なんて、心の底から信じ切っているような邪気の無い笑みと共に言うのだ。
――――そんなわけ、ないだろ。

そんなことが一週間近く続き、あの子が何を企んでいるのか全く検討もつかない、と真希に弱音を吐いたのはついこの間のことだった。恋愛は惚れたほうが負けだとよく言うけれど、灯里に出会って早数ヶ月。もうずっと負け越している。きっと自分はこれから先も、永遠に敗者の称号を戴いたままなのだろう。
何度追求しても意味深に笑う同級生は何も教えてはくれなかったし、どうせ本人に訊いても明確な答えは返ってこないだろうし。考えても踊らされるだけだから、と思考を深いところまで泳がせるのは諦め、結果的には「どうせいつもの思いつきで動いてるんだろうな」と呆れ半分傍観の構えで見ることにしたのだ。


……傍観。
そう、灯里の勉強を見てやっているだけだったのに、そこに思いもよらぬ“爆弾”が投下されたのだ。

「先輩、好きな人いますか?」





狗巻先輩応援PJ!

  〜それっていったい何の話?〜




そして話は冒頭に戻る。

なんだって? 恋愛なんとかゲーム? 乙女? 攻略? 選択肢? 殺し屋? 恋愛指南書?
頭を抱えながら唸る。王子様系って、なんの話だ。語彙のことも忘れて「嘘だろ」と言ってしまったのも無理はないと言い訳をさせてほしい。
……それほどまでに、彼女の言っていることは四次元の向こう側の話だった。

「ちょっ、先輩大丈夫ですか!? えっと、その、横になります? ベッドありますし……いや先輩のベッドなんですけど、」

慌てたような灯里の言葉を聞きながら、あー……と口から意味のない音が漏れていく。

だめだ頭がついていかない。
え? 男を落とすゲームって、そんなに高度なテクニックが存在するのか? 自分には見えないだけで、灯里から見るとこの顔の前には設問と番号が表示されているのだろうか。もしかしてそういう呪霊でも憑いているのか、もしくは彼女の術式か何かか。

現実逃避気味の思考を無理矢理レールの上に戻し、声をひっくり返らせつつも「男遊びは飽きたのか」と訊けば、憤慨したような顔つきで彼女が頬を膨らませた。

「あー、それ! いっつも皆が男遊び男遊びって言いますけど、私はゲームやってるだけですからね!? 人聞きが悪いんですけどぉ」
「……すじこ」
「いやいやゲームはゲームですよ? モンハンと同じです!」

いつもパンダと恵を含めた四人でプレイしている、飛竜を狩るゲームと同じだと?
本当にそれってゲーム機の“ゲーム”のこと言ってる? 現実世界の男心を弄んで楽しむ爛れた意味での“ゲーム”じゃなくて? と念押しして尋ねると、後輩はキョトンとした顔で数秒口を噤んでから、心底傷ついたという表情を浮かべて言った。

「え………………エ〜〜ッ?? 私がそんな破廉恥なクズだとお思いで!? 流石の神埼もショックです……それってガチのクズ野郎じゃないですか! 私は二次元のクズキャラを攻略したいだけであってクズになりたいわけじゃないですし、三次元のクズは普通に嫌です!!」
「…………」
「……っじゃなくて、今は私のことはいいんですよ! 狗巻先輩のことです! ふふ。で、結局のところ誰が好きなんですか?」

そろそろ教えて下さいよ、とニコニコした顔で言い放つ後輩。自分のことだとは少しも思っていないその笑顔。脈の無さを見せつけられているようでちょっぴり悲しくなる。
半分やけくそで「誰だと思う?」と質問で返してやると、邪気のない表情が途端に渋面に変わった。

「それが……全く検討もつかなくて」
「……」
「真希先輩でも野薔薇ちゃんでもないし、最終的に五条先生か恵くんかってとこまで行き着いて、二人の性別を疑う一歩手前まできたんですけど」
「おかか……」

どうしてそうなるんだ。出会った頃と比べれば彼女の突拍子もない舵の切り方には慣れてきていたものの、今回のは特別酷かった。手漕ぎボートで沖へ出て、舵を誤って前後がくるりと入れ替わったみたいに。遭難どころか座礁して困り果てている。
何をどうすればあの二人を恋愛対象として見ているように見えるというのか。語彙もそうだがこの子はまず初めに観察眼を養った方がいい。

「んー、パンダ先輩をメスとしてカウントしていいなら選択肢が一つ増え」
「おかか」
「そ、そうですよね」
「……」
「あの、大丈夫ですよ?」

放たれた灯里の言葉に眉を顰めると、言い訳をするみたいに彼女は言葉を続ける。

「こうやってお部屋にお邪魔するのも、先輩と話すのも、楽しかったですけど。お相手の方がゲームできるなら……、余っちゃうから、私はオンラインで……独りで、ソロプレイしますし、勉強は恵くんに教えてもらいますから……っ」
「……」
「い、狗巻先輩と距離が、できちゃうのは……っ寂しいですけど。……あの、私……応援してますから、」

そう言う割にはなぜだか灯里は涙目になっていて、「あれ、や、やだ、なんで私泣きそうになっちゃってるんだろ」なんて慌てた様子で手をぱたぱたと振っている。

「先輩だったら、どんな子でも喜んで頷きますよ。普通の子でも、高専の人でも……誰でも。」
「………………」

灯里の言葉を聞いて、ぴくりと頬が引き攣った。
どんな子でも、だと? 自分が対象だとは露ほども思っていないくせに、“誰でも”喜んで頷くだなんて無責任なこと言うんじゃない。

――――こうなったらいっそ派手に散ってやる。
気付けばそんな馬鹿な考えと共に腹を括っていた。

中途半端に告白して微妙な空気になって、残りの二年半をギクシャクした関係のまま続けるよりも、インパクトを与えてその場ですっぱりと終わらせて、後々の笑い話にでもした方が絶対にいい。今後ふたりきりでの任務が無いとは言い切れないし、その時に今日のことを引きずっていたりなんてしたら文字通り命に関わるからだ。

玉砕ついでにここまで振り回された意趣返しをしてやろう。
もうどうにでもなれという気持ちで「もうひとり女の子が居るでしょ」とヒントを与えてやると、灯里は口許に手を当て真剣な表情で悩み始めた。

「えぇ……もうひとり……? ってことは……私がわかる人間関係でしょうし、つまり高専関係者ってことですよね! ……でも新田さんじゃないし、京都の人も違うし、真希先輩でも野薔薇ちゃんでもなくて……うーん?」

そんなこと言ったら私しか残らないですよ、恥ずかしいからって嘘ついちゃダメです。と灯里が困ったように笑うから、「じゃあ写真見せてあげるよ」と溜め息と共にポケットから端末を取り出した。

「エッ、いいんですか!? ……というか写真持ってるんですね? ま、まさか盗撮し」
「おかか」
「え? じゃあツーショとかですか!?」
「しゃけ」
「なーんだぁ、思ったよりも大胆じゃないですかせんぱ――――」

頷いてから液晶画面を見せると、写真を覗き込んだ灯里はワクワクとした感情を顔全体に行き渡らせたままフリーズする、という高等技術を披露していた。

「……」

今見せているのは、前に『下見』と称して水族館に行ったときの写真だ。カワウソに餌やりをして上機嫌そうに笑う灯里と、自分の写真。
そういえばあの日を境に発生した、下見デートのお礼として灯里から貰う『神埼灯里になんでもひとつ言うことを聞かせられる権利』はいくつになっただろうか。誰にも教えていない秘密だけれど、灯里と外出した日だけは卓上カレンダーにそれとわからぬようマークをつけているので、振り向いて机の上を見てみればすぐに計算ができる。
……そのカレンダーも、後輩への想いを自覚したのと同時期に灯里から貰ったものだが。パンダにも真希にも、ついでに恵にも「センスがない」と酷評を頂いたのは懐かしい話である。

「…………?」
「すじこ」

もう一枚、と指で横にスライドさせて出てきたのは、姉妹校交流会に向けての特訓で組手をしたときのものだ。
悔しそうに地に伏せる灯里と、その腕をがっちり抑えてマウントを取っている自分の姿。
前よりかは断然動けるようになったが、まだまだ身体が硬い。柔軟の酷さを鑑みるともうひとりの後輩とどっこいどっこいといったところか。
まぁ、これはパンダから横流ししてもらった写真だが、出所はどうでもいい。今は答え合わせの時間なのだ。

「ツナツナ」

次に見せたのは、かき氷を食べている灯里と野薔薇の写真。確かこれは、自分が任務で出ているときに『先輩お疲れさまで〜す!恵くんがかき氷機当てたのでひと足お先に夏を満喫してます!』というメッセージと共に、灯里本人から送られてきたものだ。
この後、帰りにコンビニに寄って手持ち花火を買い、なんとか夜の花火会には滑り込むことができた。花火と夏を満喫したぞ、という顔で笑う灯里の隣に腰を下ろし、二人で線香花火をしたことはつい昨日のことのように憶えている。
……その後に「狗巻先輩のかき氷はスペシャルなのでレインボーにしましょう!」なんて言いながらこれでもかとシロップをかけられたことも、忘れてないからな。すべてのシロップの色が混じり合ったしゃびしゃびのかき氷は、この世界のどんなフローズンアイスよりもひどかった。

「……こんぶ」

これでわかっただろ、と視線を移せば、画面を見つめる後輩は片手で口元を押さえて頬どころか耳までも赤く染めていた。
その様を見た自分の方が動揺しそうになって、慌てて頬の内側を噛む。

……何その反応。

自惚れてもいいのかな、なんて期待してしまうからやめてほしい。

「ちょ……や、ま、待って、待ってください」
「おかか」
「……、え? ほんとに、これですか」
「しゃけ」
「う、写ってるの、私なんです……け、ど」
「……」

無言で首肯してみせ、灯里の瞳を見つめた。
視線が交差する。……綺麗な目だ。黒と茶色の混じったような、大人びた宝石の色。それでいて性格は明るくて、陽気で。ちょっとズレたことを言うところも、突拍子もないことを言っては楽しそうに笑うところも魅力的で、誰にも物怖じせずに周囲を笑顔にするような……天真爛漫を絵に描いたような子。

君が好きだよ、と声には出さずに呟く。緊張しすぎているのか、口元を隠していることをすっかり忘れていたと遅れて気付き、部屋着の襟を引いてもう一度唇を動かした。どうだろう、ちゃんと正しく読んでくれただろうか。
万が一ではあっても呪いたくはないから『付き合ってください』とは言えなかったけれど、伝われ、と思いを込めて、机の縁を掴んだままでいる灯里の手に触れる。

「そ、そんな……そんなの、勘違いしちゃいますから、」
「こんぶ」
「えう、え、っわ、わた、私のこと、どうしたいんですか……?」
「…………、」

――――どう、とは?
それはつまり、“どこまでの関係になりたいか”という意味だろうか。

「……手、を」

こうやって手を繋いで、なんでもない日に外出して、…………、……、別に部屋でだってどこだっていいけど。二人きりになりたい。

「そ、れって、その……つまり、『そういうこと』です、か?」
「しゃけ」
「わ、いぬ、わたし、っせん、先輩とだなんて、考えたことも、なかった…………」

す、と灯里が顔を伏せて、表情が見えなくなる。

「……や、」
「……、…………」

やっぱり、駄目か。
というか、了承も得てないのに女子の手を触るだなんて、気持ち悪いと思われても仕方がない。
玉砕した心の痛みを隠しながら少しだけ微笑んでみせ、謝ろうと思って灯里の手を放す。
と、消え入りそうなほど小さな声がした。



「やぶさか、では、ない……、です」



一瞬、周囲の音が完全に消え去ったような錯覚に襲われる。

なんて言った?

耳で聞いた言葉が信じられなくて、なに、と短い単語で尋ねてしまう。もう少し優しく尋ねてみればいいものの、そんなことに気を配る余裕なんてもうどこにもなかった。

何がやぶさかでないだって?
手を握られることか?
部屋に二人きりでいることか?
それとも――――付き合うことが?

何も言えぬまま、頭の中でそんな言葉がぐるぐると回る。
見つめる先。いちごのように頬を紅く染めた灯里が小さく口を開いた。


「か、かれ…………恋、び、その、つまり……アレですよ……ね?」
「……しゃけ」
「…………ふ、ふつ、つ、ふつつか、もの、です、が。……よろしく、お願い……いたします……」
「ツナ……!」



狗巻棘、十六歳の春。
人生で初めての恋人ができた。

いやもう実際には夏だが。むしろ夏も終わりに近づいているが。


……自分が春と言ったら、それは春なのだ。


+++++
灯里、ゲットだぜ!

2021.07.01

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