「神埼……オマエ今なにしてんだ」
「ん?」

夕食後。誰も居ないけれど何だか寂しくて、ダラダラと共有スペースで乙女ゲームをプレイしていた私を見た恵くんが、地面よりも低く唸るような声を出した。

「何って……ゲームだけど?」
「なんか忘れ物してるよな?」
「えー?」

この台詞、聞いたことあるなぁ。
俺になんか言うことあるよね? 今日なんの日か憶えてるよね? 僕に隠し事してるよね?
……あ、そうだ乙女ゲームでやったやつ!

脱線しかけた思考をレールに乗せ直すかのように、恵くんが眉間の皺を深くして私を睥睨し、ギャンと吠える。

「提出課題!!」
「……アッ」
「何回忘れたら気が済むんだよ!」

ぽこ、と私の頭を小突いて「こんなもんやってる暇あるならもっと真面目に勉強しろ」と言ったかと思うと、恵くんは私が手に持っていた携帯ゲーム機をするりと優しく取り上げてから電源ボタンをポチリと押した。
ひ、酷い。一生懸命私の推し“じゃない”キャラ――つまりクズではないまともなキャラ――のストーリーを追って、狗巻先輩と似た人を探そうと励んでいたのに。

「こっ――――これも勉強だもん!!」
「へぇ。なんの勉強だ?」
「エッ!? えーっと、と、とととと、と……」

真希先輩以外には内緒にしているから、口が滑っても「狗巻先輩の恋愛指南の勉強」とは言えない。
誰か、モーターボートよりも早い助け舟を出してくれないだろうか。そう思って祈るような気持ちで周囲に目を泳がせると、ハーフパンツを履いた狗巻先輩がこちらへ向かってくるところだった。たぶん飲み物でも取りに来たのだろう。
恵くんに盗られた愛機を奪取すべく立ち上がっていた私と、そんな私を呆れ半分怒り半分で見下ろしている恵くん。そんな状況を何と捉えたのかはわからないけれど、とにかく先輩は怪訝そうな表情をして、その眠たげな瞳を更に細めて私たちを見ている。

「すじこ……」
「あっ恵くんホラ狗巻先輩だよ! 先輩奇遇ですね〜今日は暑いから冷たい飲み物が飲みたいですよね!」
「話を逸らすな」
「こんぶ?」
「えへ。実は課題忘れちゃって。あの、良ければお――――」

ハッ。狗巻先輩は一途なんだった。二人っきりでお部屋に、だなんて秒で断られるに違いない。

「――――あ、いや、何でもないです!」
「す」
「恵くん教えて!!」
「はぁ?」

物言いたげな顔をして、なぜか狗巻先輩と私を交互に見た恵くんは「あー……俺は用事あるから」と言って目を逸らす。

「しゃけ」
「え゛」
「ありがとうございます狗巻先輩。それじゃ俺はこれで」
「なァーっまままま待って待って待とう恵くんそれは良くないと思う実に困る」
「なんでだよ」
「そっ…………それ、は……っ」


結局、狗巻先輩は好きな人がいるから他の女子と二人っきりになるのはマズイ、とは説明できなくて、優しくて後輩思いの狗巻先輩のお世話になってしまった。





狗巻先輩応援PJ!

  〜先輩、勇気を出してください〜




「うーん」
「高菜?」
「あ、いえ……課題のことじゃなくて……」

お部屋にお邪魔しても狗巻先輩はいつもの狗巻先輩そのままで、恋をしているような気配なんて微塵も見せなかったし、それでもって、さも自分は後輩指導に熱心なごくごく普通の呪言師ですよ、という顔をして私にクッションを勧めてくる。
お手本のように完璧なポーカーフェイス。
……そっか、隠すのが上手なんだなぁ。

気付かないとはいえそんな優しい先輩の好意に乗っかって、課題をお手伝いしてもらうだなんて。私は今までどれだけ狗巻先輩の恋路を邪魔してきたのだろうか。

「いつもすみません……お邪魔ばっかりしてしまって」
「ツナマヨ」
「先輩も“いろいろ”やりたいことがあるはずなのに、申し訳ないです」
「おかか」

気にしなくていいよ、と狗巻先輩は首を横に振って立ち上がり、電子ケトルに水を入れて戻ってきたかと思うと急にお湯を沸かし始めた。
どうしたんだろうとぼんやりそれを見守っていると、先輩が棚から取り出して持ってきたのは三つの――――「……ん?」紅茶の缶だった。

「こんぶ」
「ん、ンン?」
「?」

たまたま手元にあったのか、それとも買ったのか、ティーストレーナーにポットまである。一緒に出してきたマグカップは似たような柄が入っていて…………あ。たぶんこれペアで買ったんだろうな。
それらを机の上に置いた狗巻先輩が掲げた、なんだか見覚えのある未開封の紅茶の缶。ワイルドストロベリー、カモミール、デカフェアールグレイ……それらをまじまじと見た私は驚きのあまりこう叫んだ。

「狗巻先輩!? それこの間買った新品じゃないですか!?」
「しゃ、しゃけ」

困惑しながらもさも当たり前のように首を縦に振った狗巻先輩。
ちょ、ちょっと待ってください。

「え……なにゆえ……? なにゆえこの神埼に新品のお紅茶をお見せくださっているので?」
「こんぶ」
「んなぁー??」

飲もうと思って、と言った先輩は、私にどの紅茶を飲みたいか選ばせようと缶を差し出してくる。

「あー……味見的なやつですか?」
「……おかか」
「…………もしかして、まだ誰とも飲んでないんです?」
「しゃけ」
「え、えぇー……」

誰とも飲んでいないのに、あの綺麗なラッピングはもうどこにもない。でも缶は未開封。
つまり狗巻先輩は、この新品の紅茶を好きな人にあげることを諦めてしまったのだ。
なるほど。プレゼントしようと思ったけど恥ずかしくなって渡せなくて、それならせめて憧れのあの子と一緒に飲もうと思って包装を開けたけれど、結局まだお誘いできていない、と。



…………ピ、

「ピュアか〜〜〜〜〜〜〜」
「た、高菜?」
「いえこっちの話です」

失敗したな、私の発案は少し難易度が高かったか。
紅茶とか相手を誘わなければいけないものは次の段階に取っておいて、次はストラップとかお土産とか、狗巻先輩のためにもう少し低いハードルのものを用意してあげなきゃ。

それにしても、狗巻先輩がそこまで恥ずかしがり屋さんだとは思わなかった……ギャルゲーやってるんだと思ったけどあれも勘違いだったみたいだし、もしかして恋愛ゲームとか一切やったことないのかな? それなら少女漫画も嗜んでいない?
つまり少年漫画で出てくるような、ヒロインに恋しちゃう主人公くらいの淡い恋愛模様で既にお腹いっぱいだと。
毎週ジャンプを買って読んではいるものの、ちょっとエッチなドキドキラブコメは、薄眼を開けてじゃないと恥ずかしくて見れないと。

「もう……神埼心配ですよ」
「……こんぶ?」
「この先どうするんですか? もし私が居なくなったら、」
「おかか!!」

想像もしていなかった突然の大声にビクリと肩が跳ね、思考が引きつった。
先輩はすごく怖い顔をして私の目をひたりと見据えている。

え、なに? どうしたの?

「……」
「な……そんな……ゴキブリでも見たみたいな声、で――――……?」


――――え?


「ウッウソまさか出ました!? ウワッやだやだ先輩ムリ!!」
「お、おかか」
「私もおかかです!!」
「たかなめんたいこ、」
「神埼はどこにも行ってませんしここに居ますよ!?」

座ったまま狗巻先輩に飛びついて、恐る恐る部屋を見回しても何も居ない。
視界に入れてしまったら絶対後悔するとわかっているのに……なんで人間って怖いものほど目で確認したくなってしまうんだろう。不合理の極みだ。

「お願いですから退治してくださいよー!!」
「おかかおかか」
「第一発見者の義務を果たしてください! 通報するだけ通報してあとは放置だなんてあんまりです!」
「すじこ」
「嘘だ! いるいるいます! だってそんな気がする!!」
「おかか」
「じゃ、じゃあなんであんなビックリさせるような声出したんですか……?」
「……」

スイ、と視線を逸らした狗巻先輩。
あれあれ? 私の疑問に答えてくれないのはなんでなんですか?
本当は居ないよ、なんて言ってるわりには目が合わないなぁ…………

「――――ほ」
「……」
「ほらほらほらほらほーら見たんじゃないですか!! 神埼を安心させたところで『あ、やっぱり居たよ高菜カッコ笑い』とか言うつもりだったんじゃないですか!?」
「おかかすじこ」
「濡れ衣じゃないですよ!! 言い訳できないくらい既にズブ濡れでしたよ!」
「…………」

申し開きを諦めたのか、狗巻先輩はハァと溜め息を吐いておもむろに腰を上げる。
やっと退治してくれるのかと思いきや、先輩が手に取ったのはちょっと前にカチリと沸騰したことを告げていた電子ケトルだった。

「え? それで何するんですか? 悪鬼にお湯かけるんですか?」
「おかか、こんぶ」
「おっ――――お茶ァ!? この状況下で優雅にティータイムと洒落込む気なんですか!?」
「しゃーけ。ツナマヨ?」
「極悪非道の鬼呪言師だぁ……そんなのあんまりだよぉ……」

私がびくびくしながら先輩に縋り付いているのに、当の本人はちょっと機嫌が良さそうに「じゃあ適当に淹れるからね」と紅茶を選び、お湯を注いで“ティータイム”の準備を整えていく。

「狗巻先輩とゴキブリと私……一つ屋根の下で夜のお茶会なんてひどい……ひどすぎます……」
「おかか」
「正気の沙汰じゃないよぉ」
「明太子」



二人っきりのはずの部屋の中、周囲を警戒しながらいつもの二倍近くの時間をかけて課題を手伝ってもらって、明日提出のペーパーを手に先輩のお部屋をお暇した。
戦々恐々とした時間が終わり、自分の部屋に戻って安堵したところでやっと自らの罪に気付く。


――――狗巻先輩には好きな人がいるのに、ゴキブリの恐怖に負けて抱きついてしまった。


生物学的には女でも、狗巻先輩にとって私は女子じゃないから許してくれたのかもしれない。
どことなくモヤモヤする心はたぶん狗巻先輩主催の『戦場のティータイム』のせいだ。
ハロー、ミスターイヌマキ。てっきり私たちは同盟国だと思っていたのだが、このままだと狗巻先輩へ安息日を用意してあげるどころか私が足を引っ張って、今後の戦略を立てることすらままならないかもしれない。


一刻も早く、狗巻先輩の恋のお相手を突き止めねばならぬ。


今日こそ「狗巻先輩に一番似ている“クズではない”キャラ」を発掘すべく、私は携帯ゲーム機の電源を入れたのだった。

+++++
まだまだつづきます

2021.05.26

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