それは理由であり結果だ
△ ▽ △







多分、死ぬことはそんなに怖く無かった。15年前に家族を亡くし、10年前に祖父母を亡くし、そして5年前に親友を亡くした。頼りにしていた先生も、優しかった先輩も死んだ。全て呪殺だった。人が死ぬのはとても悲しくて辛くて、世界が真っ白くなったり真っ黒くなったり、どの道モノクロで色を無くす。だけど少しずつまた世界は色を取り戻し、枯れた大地に風が吹き雨が降る。そうしてゆっくりと緑が芽吹いていくように、私は人の死を過去にしながら未来へ進んで来た。大切な人には死んでほしくないけれど、自分が死ぬのはあまり怖くない。誰かが悲しむかもしれないけれど、やはりそれは一時的なものだ。誰かの人生を左右するほど、他人に干渉して来た覚えはない。

たった一人を除いては。




「特級相当だったと聞きました。よく生きてましたね」
「そこは無事で良かった、じゃないの」
「無事とは言い難いでしょう」
「あはは、まあね」


個性的なサングラスを取り去って眉間を揉む長身の後輩が、深々と溜め息を吐いた。かたや私は入院着を纏い、清潔なベッドの上に座り込んでいる。

地方任務は好きだ。案件は面倒な事が多いけど、地方の特産物は安くて美味しいし、地酒も手に入る。だから東北と聞いてこれはまた酒が美味い地方だな、と内心舌舐めずりしたものだった。だったのだが。



「負傷したのは片脚だけですか」
「うん、いや、左半身が全体的に」
「は」
「傷は脚だけなんだけど、毒喰らってね。呪霊を祓えたせいか進行が止まったのが不幸中の幸い」
「…痛むんですか」
「いや、痺れる感じかな。とはいえ全然動けないわけじゃないよ」


シーツの上に乗った左手を握って開いて見せた、のだが、握りきれず指が曲がっただけで力尽きる。腕はほとんど上がらない。左手と左足がそんな状態だった。
どちらかと言うと痛覚は遠く、痺れるような麻痺状態が続いている。

油断したわけではなかったのだが、土着信仰のソレは呪いにしては年季が入り、ほとんど精霊に近いようなものだった。それでも被害が出ている以上祓わないわけにはいかず、帳を下ろして戦った。結果的にはそう時間もかからず祓えたけれど、術式開示したのに怪我もするし毒まで食らったしで。


「ま、案外強かったね」
「…土地神の類は用心せよと習いませんでしたか」


私は反転術式は使えない。だからとりあえず病院で手当てを受け、高専へ戻って硝子の治療を受けなければ前線へ戻れない。このまま地方で休暇がてら療養したいところだったが、1級術師の仕事は山積である。私よりさらに東へ出張に行っていた七海は、その帰りに私を拾って共に東京へ帰るよう任されたのだ。だからこんな面倒そうな顔でここへやって来た。


「七海が一緒なら無傷だったかも」
「心配させるのはやめてください。正直、肝が冷えましたよ」
「…ごめん」
「あなたが病院へ運ばれたと聞いて、どんな気持ちだったか分かりますか」


長い息を吐いてベッドの隣の椅子に座った七海が、少し目を細めてひたりとこちらを射抜く。その眼にはどうも弱い。

七海は2つ下の後輩で、4年呪術師を離れたものの、それからは1級術師として前線に立ち続けている呪術師だ。そして私の、かけがえのないたった一人である。私はこんな性格だし、大切な人たちを呪いによって失ってからは誰に対しても依存せず生きてきたようなつもりだ。だけど彼だけは、そんな私が手放せずにいる唯一無二だ。七海が復帰してからだから、そういう付き合いになって3年ほどになるだろうか。
学生の頃から冷静で冷徹だった男は相変わらず誰に対しても公平で、だけど優しくなっていた。そう思ったのは私だけだったらしくて、五条辺りは名前は目が悪いの?なんて言ってきたけれど。



「心配かけてごめん」
「…この出張が終わったら、休暇の予定でしたね」
「うん」
「1年ぶりに連休を合わせて、小旅行に行く」
「うん、楽しみだね」
「ですが今日私がこちらへ回ったことで、一件祓除が済んでいない」
「え」
「連休は難しそうです」
「えええ」


連休を取るのは難しくないが、2人合わせて取るのはそこそこ面倒だ。それは互いに1級で多忙だからで、だから明後日からの休みのためにどちらも沢山仕事を詰め込んできた。私は今日、七海は明日東京へ戻る予定で、だけど七海はすぐにやって来たから早く片付いたのだとばかり思っていた。


「……私ひとりで東京帰るから、七海は今からソレ祓ってきてよ」
「そうはいきません。あなたは半身麻痺状態です」
「そんなあ」


ここに来て自分の怪我が死ぬほど恨めしくなる。でもどのみち硝子に治してもらわないと動けないし、東京に戻るには一人では難しい。


「…私だって残念ですよ」
「すみません…」


萎れて謝罪する私を見て、七海はまた溜め息を吐いた。


「今夜の新幹線で東京に戻り、私は明日また仕事へ行きます。明後日の夕方…いや昼までに戻ります」
「…大丈夫なの」
「戻ると言ったら戻ります。宿はキャンセルしますが、1日は一緒に居られる」
「……じゃあ、ご飯作って待ってる」
「はい。お願いします」


そこで初めて、七海がわずかに口角を上げて微笑む。
バツが悪くて少し目を伏せると、大きな手のひらが私のあまり動かない左手を握る。


「……肉じゃが」
「ん」
「久しぶりに食べたいなと」
「…分かった。最高の肉じゃが作っとく」
「楽しみにしています」


だから彼が好きだ。なんだかんだ私に甘くて、いつも冷たい視線が2人になると柔らかくて。そして私の作る人並みの料理を、いつも喜んでくれる。
力が入らなくて握り返せない左手がもどかしい。


「でも七海、無理しないでね」
「…ええ、もちろん」


ぎし、と彼の座る椅子が不意に音を立てる。


「だからきちんと治してもらって、それから」
「ん、?」
「覚悟してください。名前」
「……は、」


真っ直ぐこちらを見ていた七海が腰を浮かせて、握った左手に力を込めて、それからすぐ目の前にぎらりと光る鳶色の眼が迫る。

ちゅ、とかすかなリップ音が落ちて、すぐに唇は離れていく。その美しい眼に灯る激情に当てられて、私はひくりと喉を鳴らす。


「…覚悟、」
「寝かせるつもりはない、という意味です」


口端に笑みを湛えたままそう呟いて、七海は立ち上がる。顔に熱が集まる感覚に唇を結んだ私を、七海は満足そうに一瞥した。


「諸々の手続きを済ませてきます。車椅子も調達しなくてはなりませんので、少し待っていてください」
「あ…はい」
「……なんですか」
「いや、なんていうか…生きてて良かったな、と」
「当たり前です。死なれてたまるか」


長い脚で病室を去る七海の背をぼーっと眺めて、それからここが個室で良かったな、とどうでもいいことを考えて。

死ぬことは怖くないけれど、やっぱりまだ生きていたいな、なんて。そう思わせてくれる唯一の人が戻ってくるのを、早くも心待ちにし始めるのだった。





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