今度は最果てまで
△ ▽ △





「いやーひどい雨だったね」
「早く脱ぎたいな」
「わあ建人ったら大胆」
「…」


じろりと横目で睨むと、嘘、嘘です、と慌て出す小さな頭を眺めながら、七海は深く息を吐いた。2人の衣服はぐっしょりと雨を吸って重くなっている。
1級術師2名が派遣されたにしては呪霊自体は大した事がなく、祓除任務は滞りなく済ませた。しかし帳が開けたと同時にひどい土砂降りに見舞われた。宿泊先のホテルに辿り着く頃には身体の芯まで冷え切っていた。


「すみません、予約していた七海ですが」


前もって補助監督から連絡を受けていたビジネスホテルのフロント。さっさとチェックインを済ませて、早く熱いシャワーを浴びたい一心だった。だというのに。
しばらくフロントで話し込んでいる七海を、少し離れた場所に立つ名前が訝しげに見る。仕事の時はいつも同じ黒のシャツとパンツ姿だ。絞ったら水が滴るくらいには濡れているので、ロビーのソファーに座るのも憚られた。


「名前」
「なに、どうかした?」


ようやくフロントから戻ってきた七海が眉間に深い皺を刻んでいるのを見て、名前も同じように眉間に皺を寄せた。


「手違いがあった。シングル2部屋のはずだったのに」
「だったのに?」
「1部屋も取れてない」
「はあ?」
「行き違いがあったらしい。それでだ」
「それで?」
「ダブル1部屋なら空いてる」


ぽかんと口を開けたまま、一拍。
七海より頭ひとつ分背の低い名前は大きな目を一度瞬いた。


「なら良いじゃん。早く行こう」
「…まあ、そう言うと思った」


七海の指には、カードキーが1枚挟まれていた。















「っあーーー生き返る」
「同感だ」


窓際のソファーに座った七海と、ベッドにだらりと腰掛けた名前。2人の手には封の開いた同じ缶ビールが握られている。
ずぶ濡れの服を脱ぎ去って熱いシャワーを浴びて、2人で揃いのバスローブを纏っている。


「…いいのか、俺と同室だぞ」
「何を今更。学生でもあるまいし」
「それはそうだが」
「あっごめん、彼女いた?」
「……そんなものいない」
「あ、そ、じゃあいいか」


途端に興味を失ったような顔で、名前はぐい、と缶ビールを呷る。白い喉がわずかに上下するのを、サングラスを外した七海の目が横目でそれを見ていた。

七海が呪術師に復帰してから、2人が任務を共にするのは初めてだった。かつて互いに前線に立っていた七海と名前は、命を預け合ったのと同時に、恋人同士だった。それもかつては、の話だけれど。
七海が呪術師を辞めた時、名前との交際も終わった。涙も怒声もなく、ただ淡々と。そんなものかとは思ったけれど、七海もまたその後の社会人生活に忙殺されていった。



「いやー相変わらずだね建人」
「なにが」
「呪術師辞めてる間に鈍っちゃったかと思ったのに。全然キレッキレじゃん」
「…私だって呪術師の端くれだ」
「うん、安心した」
「は、安心ね」


ふ、と口元を緩める七海を、名前が横目で見つめる。もともと2人は高専の同級生だったのだ。知り合った頃はまだお互い子供だった。


「名前は、随分腕を上げたな」
「そう?」
「ああ、領域展開も習得したとか」
「お、誰に聞いたの」
「五条さんだよ」
「ああ、なんだ悟か」


名前が軽薄そうに笑う。その様にどこか五条を重ねて、七海の眉間に力が入る。学生時代から、彼女と五条は仲が良かった。七海はあの最強の呪術師の実力こそ認めてはいるが、どこまでもちゃらんぽらんでいけすかない男だと思っている。


「相変わらず仲が良いな、君と五条さんは」
「そんなことないよ。まあ昔よりは付き合いやすいけど」
「…へえ」
「先生としては微妙だけど、まあ生徒達に慕われてるらしいよ?悟が言うにはだけど」
「そうか」
「相変わらず馬鹿だけどねえ」


ビールを呷りながら、名前が声を上げて笑う。
自分が高専を離れている間に2人の間に何があったかなど、七海に知る由はない。聞くのもお門違いであることくらい、分かってはいる。だけどどうにも名前から五条の話を聞くのは嫌だった。
まさか、そんな今更。七海は抑えようのない己の心中を嘲笑する。



「建人は?クソな呪術界で今度はやってけそう?」
「…どの道クソだ。やれる事をやるさ」
「ま、そうだね。建人なら大丈夫だよ」
「根拠もなくよく言うな」
「あるよ、根拠」
「…ほう」
「私の愛した男だからね」
「……なんの根拠にもならないな」


あはは、確かにね!と名前がおかしそうに笑う。
呆れたように言い捨てながら、ぐびりと呷ったビールは何故だか味がしなかった。七海は嘆息して、眉間を押さえる。


「なに、疲れた?寝る?」
「ああ、まあ…ただ、」
「ん?」
「ベッドはひとつだ。君が座ってるそれだけ」
「こんな広いんだから2人で寝れるって」


だからそう言う意味じゃない。七海は再び嘆息する。
うん?と名前が心底不思議そうにわずかに首を傾げるのを見ていた。彼女は全くもって相変わらずだ。

重い口を開こうとしたところで、不意に着信音が鳴り響く。名前の携帯だった。


「ん、電話だ……もしもし?悟?うん、もうとっくに終わってホテルだけど。……はあ?何言ってんの馬鹿じゃない?…はいはい、お土産ね、そっちも買って来てね。…はーいおやすみー」


名前は呆れながらも笑っていた。どうやら本当に五条と仲が良いらしい。電話を切った名前が、缶ビールの最後の一滴を飲み干す。


「本当困った奴だよね、自分も出張のくせにさ」
「君のことが好きなんだろう」
「あーまあね、建人の次くらいにはね」
「は、?」
「悟がね、七海とはもうヨリ戻したのかーって」
「……何を、」


ぐ、と手を伸ばして、空っぽになった缶をテーブルにこつんと置いた名前がいたずらそうに七海を真っ直ぐ見る。虚を突かれたような顔でその目を見返す七海が、ひくりと喉を上下させた。


「お土産買って帰らなきゃ、悟は甘いもの好きだからな」
「名前」


視線を外して明るく言い放つ彼女の座るベッドに、七海が音もなく乗り上げる。
きし、と小さく軋んだベッドの上で、至近距離で目と目が合う。今更ながらバスローブしか着ていないことに思い当たって、名前がわずかに身じろぎした。


「…なに、建人」
「大事な事を聞いてなかった」
「え?」
「君は今、恋人は」
「…いませんけど?」
「なら良かった」


何が、と上げた名前の声は、中途半端になって七海の口の中に消えていた。視界いっぱいに大写しになる七海の顔に、名前がぱちぱちと瞬きする。


「……けん、と」
「名前」
「…なに」
「俺とやり直さないか」


思ったよりずっと平坦な声が出たことに、七海自身も驚いていた。だけど口から出てしまえば、肚の底に燻ったもやもやしたものがすとんと落ち着いたような気がして。


「…なんだ、やっぱり建人私のこと好きなの」
「そうだ。やっぱり俺は名前のことが好きらしい」
「らしい?」
「……好きだ、やり直そう」
「……うん、いいよ」


名前の腕が七海の首の後ろに回る。
美しく弧を描いた唇が、七海のそれにゆっくりと重なった。




今度は最果てまで





「…五条さんとは、」
「は?何もないよ、さっきだって、」
「…なに?」
「いや、なんでも」
「何」
「…さっきだって、七海は奥手そうだからさっさと押し倒しちゃいな☆って」
「………」
「大丈夫、逆に押し倒されちゃったとは言わないから」
「…もう黙ってくれ」




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