初恋の食し方
△ ▽ △





「恵」
「あ、名前さん」
「進級おめでとう」
「…わざわざスミマセン」


中3になった、春だった。玄関の鍵を開けてドアを開こうとしたところで、横から掛けられた声に振り向いた。その人は大きな包みを抱えていて、挨拶もせずにそれを俺に手渡した。
これは津美紀に、と小さな包みも渡されて、俺はドアを開ける前に手一杯になってしまう。それを見て彼女はふふ、と笑った。


「お邪魔しまーす」
「珍しいですね、名前さん一人で来るの」
「ああ、そういえばそうかも」


結局彼女がドアを開けて、俺はその後に続いて家に入って。コーヒーを淹れてだしてやると、その人は嬉しそうに笑んだ。

名前さんは、呪術高専を拠点に働く呪術師だ。五条さんが二度目に会いに来た時、彼女を連れて来た。女がいた方がなにかと便利でしょ、と笑って。それから五条さんが来る時はいつも彼女も一緒で、飯を作ったり稽古をつけてくれたり。


「学校はどう?」
「別に。まあまあです」
「彼女出来た?」
「必要ありません」
「可愛くないなあ」
「…もうそんな歳じゃないですよ」


五条さんと同い年か、一つ下か、確かそのくらいだったと思う。いつも二人一緒だったから、彼女が一人で来るのは珍しかった。
なんとなく向かい合ってコーヒーを啜る。


「今日五条さんは、仕事ですか」
「あーそうそう、なんか出張で沖縄だってさ。羨ましいよね」
「相変わらず忙しいんですね」
「そうだねーなんたって特級様だから」


彼女が軽薄そうに笑う。そういう彼女も1級術師で、本当は忙しいことくらい知っている。俺ではまだ、到底この人には敵わない。けどいつか、隣で戦えるくらい強くなれたら。

確かどこかにクッキーがあったような、と思い立ち上がる。別に彼女の顔を見つめ続けるのが嫌だったわけではない。


「恵はどんどん大きくなるね」
「まあ、成長期なんで」
「あっという間に追い越されたな」
「いつまでも子供じゃないですよ」


背中に受ける名前さんの声が、ころころと笑う。
身長だけじゃない、手の大きさも、身体の厚みだって、もう俺の方が大きい。だけどいつまでも、彼女は遠い気がする。


「そっかあ、もう大人だね」
「…名前さんから見れば、まだ子供でしょうけど」
「そうでもないよ。恵は強いし」
「それこそそうでもないです」


台所の棚から発見したクッキーを、缶ごとテーブルに置く。あ、コレ美味しいやつじゃん、と名前さんが早速蓋を開けて摘む。細くて白くて、俺とは全然違う指先が、チョコレートのついたクッキーを小さな口に運ぶ。そんな様をなんともなしに見ていて、不意にぱちりと視線がかち合う。見つめていたようでなんだかバツが悪くなって顔ごと視線を背けると、彼女はくつくつと笑った。


「恵も食べる?ほら、」
「…いいです」


つれないなあ、と俺に差し出したクッキーが、また小さな口に消えていく。


名前さんが好きだ。母親代わりで、姉のようで、だけど彼女は俺の中で、唯一無二の女性だった。家族でも仲間でもなく、気付いた時にはもう、名前さんは異性だった。
でも彼女がここに来るのは五条さんに頼まれたからで、俺に向ける笑顔は弟や友人に向けるそれだ。異性だなんて思われていないのは、その所作や接し方でひしひしと伝わってくる。
本当は気軽に触れられることも、近くに寄ることも、意識してしまって息苦しくなる。それで不自然な態度になっても、彼女は俺がただの思春期だと受け取っている。

でも、それで、その方が、多分いいのだと思う。



「名前さんは、最近どうですか」
「んー、ま、ぼちぼちだね」
「五条さんとは」
「あれ、そっち?まあぼちぼちだよ」


途端にふにゃりと破顔する照れたような顔に、肚の底がぐらりと煮え立つ感覚がする。

名前さんは、五条さんの恋人だ。いつからだったか、多分5年くらい前から。つまり俺はこの片想いを自覚した瞬間から、叶わないことが確定している。二人はいつも一緒だし、その距離はナチュラルに近い。そこに漂うのが愛情の香りだと気付いた時から、俺は。


「もういい歳でしょ、二人とも」
「うっ、言うねえ恵…」
「結婚とか、しないんですか」
「まあ…出来たらいいとは思うけど。多分しないね」
「それは、五条さんが御三家だから」
「まあそんな感じ」


彼女は眉尻を下げて笑う。
自分でも最悪だと思う。名前さんがそれについて苦しい思いをしていることを知った上で、わざわざ傷に塩を塗るような質問をして。すこし傷付いたような、どこか諦めたような寂しそうな顔を見て、俺はカサブタにすらならない自分の傷を癒すのだ。最低最悪、己がこんな人間だとは思わなかった。
俺はまあ結局、そんな底の知れた人間なのだ。


「よっぽど好きなんですね」
「あはは、諦め悪いよね」
「…まあでも、恋なんてそんなもんでしょ」
「あー、恵と恋の話をする日が来るなんてなあ」


彼女が一人で来るのは珍しいが、全くなかったわけではない。そういう時でなければ五条さんの話を聞くことは出来なかったし。
寂しそうな笑顔でそれでも笑うから。俺の中にいる悍ましい感情が、嫌な熱を宿して肚の底に溜まっていく。

俺なら、俺を選ぶなら、そんな顔はさせないのに。
五条さんと比べたところで勝てるところなんてほとんど無いだろう。そんなことは百も承知で、それでも、名前さんの隣に立って、弟に向けるのとは違う顔で笑って欲しい。



「名前さん」
「んー?」
「俺…」
「ん?どした」
「……やっぱいいです。腹減りませんか」
「え、何?今クッキー食べたしそうでもないけど」
「肉食いたいです」
「仕方ないなあ、津美紀に連絡して、みんなで焼肉行く?」


彼女がやわらかく破顔するのを見つめて、俺は自分も笑っていることに気付く。

いつか名前さんに想いを伝える日は来るだろうか。例えば五条さんと別れたりしたとして。
今はまだ想像はつかないけれど、もしいつか、そんな日が来るなら。
俺なら絶対彼女に、そんな顔はさせない。笑っていられるように、安心してもらえるように、たくさん、たくさん。



「…好きです」
「何か言った?」
「何も言ってないです」
「あそ?早く行こ」
「……はい」



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