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2022年公開映画ハロウィンの花嫁に関するネタバレが含まれます。未視聴の方はご遠慮ください。



















「はああ…」


もう何度目になるだろう、彼女の深い溜め息が警備企画課の執務室の中に轟くのは。ほとんどのメンバーが出払っている昼下がり、名前のほかには風見と降谷しか居なかった。普段ほとんど姿を見せない降谷が珍しく昼日中からデスクに着いていて、風見は時折降谷から投げられる質問や確認に応える形で溜まっていた仕事を片っ端から片付けていた。そんな二人から少し離れた自分のデスクにいる名前は、コの字型に配されたモニターの前に立てかけられた一枚の写真を眺めている。仕事中だと言うのに飽きずに何度もそれを眺めては、先程のような深い息を吐くのを繰り返しているのだ。

はああ、とまた一つ、彼女の横顔が憂いを含んで息を落とす。降谷の隣に立って報告していた風見が、我慢ならないとばかりにぐ、と報告書を握った。


「苗字、なんなんだお前」
「え?何がですか風見さん」
「さっきからハァハァとこれ見よがしに…!」
「ハァハァって、そんな変態みたいな…」
「仕事中だと言ってるんだ、集中しろ!」
「してますよ。今だってこの間降谷さんがおしゃかにしちゃったヘリの所有会社に報告と説明と補償の手続きを」


名前はじとりと上席である風見に臆する事なく目線を投げる。彼女は内勤メインの公安職員だ。先日渋谷で起きた爆弾テロ未遂事件の後始末に関わる事務仕事は、まだ終わりが見えない。つまりあの事件が始まって以降、一度も家に帰っていない。
現場にほとんど出ない分、事務仕事の大半は彼女が総括し捌いている。違法捜査が十八番の公安で、その量や種類は膨大だ。それをこなす名前は、だからこの公安部警備企画課ではなくてはならない存在である。降谷はそれを頼る筆頭であるからこそ、彼女の物言いに僅かに視線を逸らして頬を掻いて口を開いた。


「…何か問題が起きたのか、苗字」
「何も。ヘリの爆破は犯人の爆弾が誤爆したって事になりましたので」
「じゃあ、その写真は?」
「これですか?」


そこで名前はじとりと湿気を含んだ視線を仕舞い込んで、軽く顎を上げてよくぞ聞いてくれましたとばかりに自慢げな顔をする。ころころとよく変わる表情に、降谷はふ、と口許を緩めた。目の下にくっきり浮かぶ青い隈には見て見ぬふりだ。


「佐藤刑事の、結婚式のお写真です!」
「……捜査一課の?」


はい!と目を輝かせた名前が大切そうに摘んで披露したそれは、ハロウィンの事件の始まりの日−−降谷と風見が爆破に巻き込まれ、降谷の首に爆弾が付けられたまさにその時、捜査一課が行っていた警備訓練の時の写真だ。新婦役だった佐藤刑事が純白のウェディングドレスに身を包んで、カメラを見つめている姿が写っている。爆弾魔を追っている最中に捜査一課はお気楽なものだ、と風見が愚痴っていたのを名前は聞いていたが、最終的にあの時の警護対象が事件に深く関わっていたのだから皮肉なものだ。


「本当に美しいですよね、最高に尊いです…」


名前はうっとりと頬を緩ませて、また深い溜め息を吐く。風見は呆れたように反論を飲み込んだ。

彼女は捜査一課の佐藤刑事に憧れを持っている。名前は佐藤刑事と同郷で、高校生の時に彼女と出会い暴漢から助けられた事がある。強い憧れを抱いた名前は警察学校を降谷から二期遅れて、つまり佐藤刑事の一代後に修了し、交番勤務が終わる際に無謀にも捜査一課に配属希望を出した。が、希望は通らず彼女は能力を買われて公安に引き抜かれた形だ。それでも未だに佐藤刑事に強い憧れを持ち続け、それはさながらアイドルを追い掛ける女子中学生のような熱烈さである。そしてもちろん降谷や風見始め警備企画課の職員は嫌というほどそれを知っている。


「お相手はまあやっぱり高木さんでしたけど、訓練なら私がお相手を務めたかった…」
「何を言ってるんだお前は…」
「だって風見さん、こんなに綺麗な人見たことあります?花嫁さんは確かにみんな最高に美しいですけど、こんな綺麗な花嫁さん、見た事なくないですか?」
「あ、ああ」


佐藤刑事の事となると彼女はいつもこの調子で、普段なら上官相手にもよく回る口と語彙力は早々に仕事を放棄する。こうなった時の名前は何を言っても無駄なので、風見のようにとりあえず頷いて風が吹き去るのを待つしかない。



「苗字お前、その写真どうしたんだ」
「交通課のお姉様から譲って頂きました!家宝です!降谷さんも欲しいですか?」
「いや、僕は…いいかな」
「そうですか?写真立て買ったんですけど、家に帰ってないからまだ受け取れてなくて…」


そうさせているのが自分であるという負い目から、降谷はそうか、とだけ返す。
名前はまだうっとりと写真を眺めている。ずっと画面と書類に向き合っている彼女の横顔は少し痩けたような気がした。地下室に隔離された降谷から飛んでくる指示に的確に応え続けた名前の原動力は、おそらく今回あの一枚の写真だったのだろう。


「風見」
「はい、少し休ませますか」
「ああ、それもだが…悪いがコーヒーを三つ、買って来てくれるか」

あの店で。降谷が小さく付け加える。あの店、とは庁舎から少し歩いた場所にあるサンドイッチとコーヒーの店の事で、名前が気に入ってよく買いに行く先だ。部下思いの降谷の言葉に、風見は頬を緩める。はい、と短く返事をして、また溜め息を落としている名前を横目に足早に出て行った。

風見が出て行った事にも気付いていないのか、彼女はまだデスクに肘を付いたままだ。それでよく公安が務まるな、とは言わずにおいてやる。音を立てずに立ち上がり、彼女のデスクの隣の椅子を引いた。


「苗字、僕にもよく見せてくれ」
「はい、どうぞ」


少し驚いたように目を瞠った名前だが、微笑んで写真を差し出す。降谷は彼女の宝物をそっと受け取って眺めた。普段はスーツ姿で、長身と男勝りな性格も相まっていかにも女刑事、というイメージのある彼女だが、純白のウェディングドレスを纏ってやや緊張した様子で微笑む姿は確かに見違える。結婚前にウェディングドレスを着ると行き遅れるなんて昔はよく言ったものだが、彼女にはもう相手がいるから過ぎた心配だろう。


「…確かに、綺麗なものだな」
「普段のぱりっとした感じも素敵ですけど、こうしてるとモデルさん顔負けですよね」
「君も憧れたりするのか」
「そりゃ私もなれるものならこんな格好良くて美人で綺麗な人になりたいですよ」
「いや、佐藤刑事じゃなく、花嫁に」
「へ?」


完全に緩んだ顔をしていた名前がきょとんと降谷を見る。庁舎のシャワー室で洗ったのだろう髪はいつもより艶がなくパサついてるし、メイクで隠しきれない隈は痛々しくすらある。そんな彼女を眺めて、降谷は堪えきれない笑みを口端に乗せた。


「君もウェディングドレス、着たい?」
「そ、れは、まあ、いつかは…?」
「へえ、相手はいるのか」
「それは…これからですけど」


デスクに片肘を付いた降谷が、ゆっくりと片腕を伸ばす。いつもより近い距離と見たこともない柔く笑んだ降谷の表情に、名前はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
降谷の浅黒い手が、彼女の白い頬を包むように沿った。


「そうか、ならおすすめの物件があるんだが」
「おすすめ」
「公務員で、家事ならなんでも出来る。貯えもあるから、希望通りのウェディングドレスと指輪も用意できる。式は…すぐには無理だが必ず希望通りに挙げよう」
「…ちなみにその物件とは」
「ん?」


短く切り揃えられた爪の親指が、すり、と名前の隈を撫でる。確かに熱を持ち始める頬が色づくのを、青灰の眼が至極満足そうに眺めた。


「僕だけど」
「…はあ、」
「ウェディングドレスを着た君は、きっとさぞかし美しいだろうな」
「…え、いや、え?」


とろりと濃密な怪しさを孕む降谷の視線から、名前が助けを求めるように視線を泳がせる。が、目当ての風見も既にいない事に気づいたのか、観念して降谷の視線を受け止めた。従順な彼女の態度に、思わず降谷は目を細める。

一途に仕事に取り組む健気な姿を、目で追うようになったのはいつからだったか。数少ない女性職員で、事務方として無くてはならない名前を、部下の一人としてだけではない感情で見るようになったのは、もう何年も前からだ。とは言え降谷は身分を徹底的に偽る潜入捜査官であり、結婚はおろか交際すら現実的な事ではなかった。それでも彼女に変な虫が付かないよう、適宜目を光らせてはいたのだが。
降谷も彼女と同様、何日もまともに眠っていない。首に爆弾を取り付けられて、いつ爆死するとも知れぬ恐怖を味わったのだ。押しとどめていた願望や欲望が溢れ出ることは、多少仕方ないだろう。降谷は誰にともなく脳内で言い訳を並べ立てる。


「想像してみて。ウェディングドレスの君と、タキシードの僕」
「っ、」


名前の頬に手を添えたまま、降谷が顔を近付ける。捕食者の瞳に捉われた彼女の喉が、ひくりとかすかに上下した。


「結婚しようか。名前」
「ひっ、」


耳元で囁かれた低い声に、名前が小さく悲鳴を上げる。降谷は満足そうに喉を鳴らした。


「まっ、」
「ま?」
「まずは、お友達、から、で…」
「お友達?上司に向かって随分だな」


わざと不満げに目を細めると、赤い頬の名前がいや、と口籠る。


「じゃあ、結婚したい僕と、お友達になりたい苗字と、間を取ろうか」
「あ、間?」
「そう、とりあえず、恋人同士からでどうだ?」
「え、」
「反論が?」
「………アリマセン」


今度こそ降谷は堪えきれずに小さく笑った。強引なやり口であることは承知の上だが、なによりもその反応が彼女の心情を表している。


「降谷さんは、」
「ん?」
「私で、いいんですか…?」
「は」


今度は降谷がきょとんと目を丸くする番だった。ここまで来てそんないじらしいことを言う姿がたまらなく可愛らしい…とか、やや暴走しかけている脳内は一旦置いておいて。


「そうだな…言葉が足りなかった」
「……はい」
「僕は…ずっと君のことが好きだったんだ。良かったら、僕と付き合って欲しい。名前」
「…っ、」


とびきり甘い声色と微笑みを乗せた真剣な青灰に、名前は一度唇を引き結んだ。私も降谷さんが好きです、と、一世一代の言葉を声にするために。

この後、敬愛する上司である降谷と頑張り屋の部下である名前のために、コーヒーとサンドイッチを提げて急いで帰って来た風見は、真っ赤に染まって涙目の名前と満足そうに笑う降谷の間に漂う甘酸っぱいようなむず痒いような雰囲気に急いだ事を後悔した。そしてその後、黒の組織の壊滅や後始末を終え丸三年掛かることになるが、降谷と名前は本当に結婚式を挙げる事になる。二度目のプロポーズは二人の思い出の場所だったが、指輪を渡したのは警備企画課の執務室であったことを知るのは風見だけだ。二人の結婚式の写真が飾られた新居のチェストの上に並んで飾られたウェディングドレス姿の名前と高木美和子のツーショットは、母になった今も彼女の宝物の一つである。






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