事務員総会へ行く




反社の総会がこんな立派な場所で行われるなんて、誰も知らないだろうな。豪奢な絨毯張りの床を歩きながら、私は感嘆の息を漏らした。
都内の一等地にある歴史あるホテルの三階、なんとかの間。今日は先日ココくんが言っていたパーティー、いわゆる総会である。梵天の所有企業、傘下の反社会的組織が一堂に会する年に一度の総会は、芸能人やVIPが結婚披露宴をするような会場で催される。いつもより3センチは高いヒールがまだ少し慣れない。


「名前」
「ココくん」
「来場者チェック終わったってよ。行くぞ」
「はあなんか緊張します」
「オマエが何の緊張すんだよ」
「いや、なんとなく」


受付嬢に招待状を渡した後、来場者はボディーチェックを受ける。その間、私は幹部の皆さんと一緒に控え室で待っていたのだ。
とは言え明石さんや望月さんと静かに待つ時間に耐えきれず、控え室を出てふらふらしていたのだが。ちなみに灰谷兄弟は気付いたらいなかったし三途さんと鶴蝶さんはマイキーさんと一緒に別の控え室にいる。ココくんは様子見てくるわ、と言ってから30分経って今ようやく帰って来たのだ。どこまで様子見に行っていたのか不思議である。

アイツら呼んでオマエも来い、とココくんが身を翻すので、私は慌てて控え室の明石さんと望月さんを呼びに行くのだった。
















「はあ…」


溜め息が漏れる。今日はまた一段と非日常感が強い。
一時間ほど前に始まった総会は今は一段落して、立食パーティーになっている。
豪華な会場、豪勢な食事に高価な酒、そしてたくさんの人間。ここに来れるのは関係組織の幹部達だ。来場者は皆フォーマルなスーツ姿で、いわゆる悪い人らしさを感じる人はほんの一握り程度。こうして眺めていると普通の会社の何かの記念パーティーみたいだ。だというのに全員一人残らず反社の関係者なのだから驚くのも無理はないだろう。反社ってこんなに普通なんだな。でもやっぱり普通よりみんなオーラがある気がする。まあなんとなくだけど。


「大丈夫か?」
「ココくん、はい、大丈夫ですよ」


壁際に寄って会場を見渡しながらぼんやりしていた私に声を掛けてくれたのは、やっぱり最高の上司ココくんだった。


「変な奴に声かけられたりしてねェだろうな」
「問題ありません。ココくんの方は大丈夫ですか」
「オマエに心配されなくても大丈夫だっつうの」


だってココくんの見た目は最高に良いので、変な奴が寄って来かねない。見た目だけなら他の幹部も最高に良いが、ココくんは声も中身も最高なのだ。
今日のココくんはいつもより幾分ドレッシーなスーツ姿だ。大きなシャンデリアの光を受けて、ピアスがきらきら輝いている。


「どう。初めての総会」
「なんだか圧倒されてます。すごいですね」
「まぁ変な奴はいねェと思うが、女にだらしねェのは多いからな。気ィつけろ」
「大丈夫ですよ。ココくんが気を付けてくださいね」
「だから何で俺だよ」


だってココくん美しいから。とは言わずにずっと持ったままのシャンパンをひと口飲む。豪華な料理もお酒も、正直あまり魅力的に思えない。私は完全にこの雰囲気に圧倒されている。
全員揃ったところで幹部の皆さんが入って来て、会場は大きな拍手に包まれた。マイキーさんの話は短かったけれど、全員息すら忘れたように見入っていた。あの人は確かに、そこに居るだけですごい存在感がある。
用意された席に着いたマイキーさんの元に、たくさんの人が挨拶に行く。マイキーさんは視線を遣るだけなのに、挨拶した人はそれだけで嬉しそうだった。まさしく王。梵天という巨大組織の首領にして、最強の男。なんかやっぱり、私なんかとは世界が全然違う。

……普段は甘いものが好きで、結構ぼんやりしている事も多いのだけれど。



一目でそれと分かるブランド物で全身を固めた男が、ココくんに声を掛ける。まぁオマエも楽しんどけ、と微笑みと流し目を残して、ココくんが離れて行く。はあ、なんだあのイケメン。



「こんばんは。良かったらコレ、いかがですか」
「え、あ、すみません」


ココくんの綺麗な髪が揺れながら遠ざかるのをしみじみ眺めていたら、不意に隣で柔らかい声がした。シャンパングラスを二つ持った男が、人好きのする笑みを浮かべて立っていた。


「僕、実は今日初めて参加したんです。すごいですね」
「あ、私もです。本当圧倒されますよね」


ありがとうございます、と受け取ったシャンパングラスに細かい泡が弾けている。私がずっと持っていた残り少ない方のグラスは、彼がごく自然に受け取って通りかかったボーイさんに渡してくれた。スマートだなあ。


「あ、初めましてですよね。僕、TMRの海藤と申します」


名乗りながらどこかで聞いたなあ、と思ったら、数ヶ月前にうちの傘下に入った会社だ。確かクラブを経営してるとかいう。


「名前さんはどこにお勤めなんですか?」
「ええと、そんな大した会社じゃないんです。私はただの事務員ですし」
「そうなんですか?今日のドレス、とてもお似合いで綺麗ですね。てっきり大きな企業のご令嬢か社長さんかと」
「あはは…」


見え見えのお世辞に笑って返す。梵天の中枢に居ることは、念の為口外するな。ココくんからの唯一の禁止事項である。


「実はさっきから声を掛けたくてずっと狙ってました」
「ええ?」
「綺麗だなって、見かけた瞬間から気になってて」
「あはは、そんな…」
「良かったらこの後、少し飲みませんか?二人で」
「あ、いや、この後はまた仕事に戻るので」
「シャンパン飲んでるのに?そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。僕の店で飲み直しましょう」


はあうるさい。梵天の総会で女を漁るとは不届きものめ。途中から視線を逸らしてあからさまな態度を取っているのに、男はしつこく言い募る。
面倒くさいな。どうしようかな。ココくんか鶴蝶さんがいたら助けを求めに行こうと思ったのに、あいにく近くには見つけられない。


「ね、名前さん。一杯だけお付き合いしてもらえませんか」


口調はまだ丁寧なのに、男はぎらついた目でこちらに手を伸ばす。腕を掴まれてぞわりと背筋を悪寒が走る。
簡単な護身術くらいなら知っているけれど、ここは梵天の総会会場だ。問題を起こすわけには絶対にいかない。三途さんにスクラップにされかねない。

どうしようかな。逡巡する間に、男の手の力が強くなる。ぐいと引き寄せられかけた時、後ろから「オイ」と声がして、男の手が止まる。


「オマエ、ウチの名前に何やってんの」
「さ、佐野さん、」


え。男の目が私の後ろを見て一瞬で凍りつくのと同時に、私の背にも冷や汗が浮いた。佐野さん、って、つまり。


「マイキーさん」
「佐野さん、これは」

「手ェ離せよ。そいつに触るな」


私の隣に立ったマイキーさんは、ポケットに手を突っ込んでだるそうな半眼のまま、しかしぎろりと男を睨んでいた。


「いやあの、これは、名前さんから声をかけられて」
「勝手に名前呼んでんじゃねェよ。さっさと失せろ」
「っ、」


すいませんでした、と身を引いた男の顔は真っ青だ。結局一度もこちらを見ずに、慌てて会場から出て行く。その背中を退屈そうに眺めて、それからマイキーさんはこちらを向いた。さっきまでの迫力はすっかり鳴りを潜めて、少し眠たそうなとろんとしたいつもの顔だ。


「大丈夫か」
「あ、はい。すみません、助けてもらっちゃって」
「ん、いーよ。眠たいし、俺らも行こうぜ」
「え?あ、はい」


マイキーさんの後について歩き出す。途中で三途さんとすれ違う時、俺ら部屋に戻るから、とマイキーさんが声を掛けた。三途さんの何でオマエも一緒なんだよ、と言う視線が痛い。私だってなんでか知りたい。

ついて行った先、マイキーさんの控え室は、幹部達のそれと違って普通の客室だった。ていうかこれ、いわゆるスイートルームなのでは。手配したのは間違いなく三途さんだろう。灰谷家のと同じくらい大きな生成りのソファーに座って、マイキーさんが深い息を吐く。


「あーつかれた。やっぱだりィな」
「大丈夫ですか?体調」
「んー、どら焼き食べよ、名前」
「え?」


会話とは。マイキーさんが顎で示した先に、かご盛りの和菓子たちがあった。これは知ってる。いつも三途さんがマイキーセットって言って用意してるから。ここにもちゃんとあるんだな。
そこからどら焼きを取ってマイキーさんに手渡す。水も、と短く呟く彼に冷蔵庫からボトルも取り出して、オマエも食えば、と促されて私もどら焼きを手にソファーに座る。

これ私も食べていいのかな。私が食べたって知ったら三途さんにテメェに用意したモンじゃねェとかなんとか言われそう。だけど手の中のどら焼きに、なんだかひどく空腹を覚えて封を開けた。


「んまいな」
「ですねぇ」


はたから見るとちょっと不思議な光景だと思う。贅を尽くしたラグジュアリーなホテルの高層階で、きちんとお洒落した男女がソファーに座って仲良くどら焼きを頬張っているのだから。
だけどさっきの会場にあったご馳走より、どら焼きはずっと魅力的だと思った。美味しい。どこのだろこれ。


「名前も疲れたろ」
「まあ、はい。緊張しました」
「緊張?」
「なんか凄い人ばっかりで」
「ふぅん、オマエも緊張とかすんだ」
「えっ、しますよ」
「明石がさあ、名前は肝っ玉がデケェ女だって」
「……それは褒め言葉として受け取っておきます」


私のことなんだと思ってるのかなみんな。明石さん、私のいない所でマイキーさんに何を言ってるんですか。

マイキーさんがくすくす笑って、それから一度ぐ、と伸びをする。


「じっとしてろよ」
「え?」


背筋を伸ばしたマイキーさんが一度こちらを真っ直ぐ見て、それから勢いを付けて倒れて来た。ソファーに座った私の太腿に、マイキーさんの頭が乗る形だ。


「マイキーさん?体調悪いですか?」
「んー?全然」


私の脚の上に乗るちいさな顔が微笑む。この間は蘭くんが同じように寝ていたけど、マイキーさんの頭は更に小さい気がする。気の所為かもしれないけど。


「名前さあ、三途のことなんて呼んでる?」
「え?三途さん、です」
「モッチーとカクチョーは」
「望月さんと鶴蝶さん」
「九井」
「ココくん」
「灰谷兄弟」
「蘭くんと、竜胆くん、ですけど…」


なんだろう、これ。なんの時間?マイキーさんがふぅん、と呟きながら、ワイシャツのボタンを二つ外す。はあお肌が白い。


「じゃあ俺は?」
「え?マイキーさん、です」
「んー、俺も普通に呼んでよ」
「はあ…え?」
「ほら、マイキーって呼んで」
「マイキーさん?」
「だーかーらー違くてーマイキーって呼んで」


子どもみたいに口を尖らせたマイキーさん。つまり、これは。


「ま、マイキー」
「うん、やっぱりこっちがいいな」


やっぱり。呼び捨てにしろってことだったのか。確かに語感としてはマイキーさんよりマイキーの方が良いけど、私なんかが首領を呼び捨てていいものだろうか。それこそ三途さんに殺されない?


「それ以外で呼んだらお仕置きな」
「えっ」
「もっかい言って、名前」
「…マイキー」


艶やかに微笑むマイキーさ……マイキーは、いつもより少し隈が薄らいで見える。照明の所為かな。こうしてると、なんだか少し幼く見える。梵天の首領なのに。


「……オマエを総会に出すって言ったのはさ、九井なんだ」
「そうだったんですか」
「アイツは金だけじゃなくて、人を見る目も確かだから。オマエを幹部付きにして正解だったよ」
「…私なんてそんな、大したこと出来ないですよ」
「九井の判断にケチつけんの?」
「そ、うじゃないですけど…」
「オマエにはこれから、もっと色んな仕事を頼むことになると思う。ま、大丈夫だと思うけどな、名前なら」
「はあ…ですかねぇ」
「まあでも九井が過保護だからなぁー」
「ふふ、大事にしてもらってます」
「そうだな。大事にしてもらえよ」


マイキーが笑いながら目を閉じる。この人もまつ毛が長い。
ココくんが私を大切にしてくれていることは、きっと私が一番よく知ってる。時折見せる厳しさは、私が使えるようになるための叱咤激励だし、基本的に優しいし。だからこそ力になりたいし、期待に応えたいと心から思う。
やっぱり首領はすごいな。ぼんやりしてるみたいに見えてきちんと周りを見てるし、幹部との信頼関係も篤い。


「ちょっと寝るわ」
「はいどうぞ」
「……オマエってなんか、変わってるよなぁ」
「ええ?」


マイキーがのんびりそう笑ってらそれからお休みモードに入る。

少し経つと穏やかな寝息が聞こえて来て、なんだかつられて私もうとうとしてくる。多分そのうち三途さんか鶴蝶さんが呼びに来るだろう。オマエ何やってんだって言われるだろうけど、まあいいや。




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