メロウステップイエロー
△ ▽ △






むしゃくしゃするしイラつくし、だからまあなんとなく体を動かしてすっきりしたいような気分で、たったそれだけだった。立派な貞操観念とやらはあいにく持ち合わせていないし、整った顔に惹かれるのは人類皆共通だろう。私にとってセックスはスポーツの一種みたいなもんで、相手は選ぶが恋人じゃなきゃ嫌、とかそういう訳では無かった。まあとは言え、選択を誤ったのは認めるざるを得ない。




「……やっぱコレは運命だ」


目の前には全裸で胡座を掻いて、作り物めいた美しい顔で神妙にこちらを見つめる男。ぼそりと呟いた言葉に何度目か分からないが我が耳を疑う。


「名前オマエ、俺と結婚しろ」
「だからなんでそうなんの。絶対無理だから」


これは私と、この顔面だけは美しい男、三途春千夜との攻防にまつわる数日間の話だ。何の攻防かってさっきコイツが言ったこれ、


「無理とかねェから。結婚」


本当に勘弁してくれ。











私はごく普通のOL。ではない。残念なことに反社に染まりきった真っ黒な犯罪者だ。
梵天の幹部は皆それぞれがいわゆるシノギを持っており、そこから上がる法外な収入が梵天を支えている訳だが、そこには当然様々な危険が付き纏う。だからこそ必要なのが「何でも屋」だ。掃除屋とかボディーガードとか情報屋とか呼び方は様々だが、要は梵天の邪魔になるものを片付けたり陥れたりして報酬を得るのが私の本業である。とは言え毎日がそういう危険な仕事ばかりではなく、フロント企業である高級キャバクラのお姉様の護衛兼お迎えとか、誰かが暴れちゃった後始末の手配とか、まあそんなのが日常である。

そんな私の今日の仕事は、久しぶりの殺しだった。最近は幹部がスクラップにしたゴミの後始末の方が多かったから、ちょっとわくわくして現場へ向かった。標的はフリーのジャーナリスト。梵天は日本最大の犯罪組織でありながら、その全貌は依然闇の中にある。だからこそジャーナリストなんかには格好の餌食になるわけだが、標的はやり方を大きく誤った。ジャーナリズムがなんたるかなど私には分からないけれど、梵天に恨みを持つヤクザと手を組んで下っ端を拉致ってスパイにしようとするのはきっと間違っているだろう。まあそんな訳で、邪魔な蝿を落として来いとのオーダーであったのだ。ちなみにヤクザの方は血気盛んな幹部の誰かがカチコミに行って一掃してきたそうだから、たぶん灰谷兄弟辺りだろう。あの二人は完全に愉しんでいたぶってようやく殺すような悪癖がある。特に兄の方。ほんと苦手。
話が逸れた気がするが、とにかく私はそのジャーナリストを始末するべくその男の根城−−三階建てのアパートの一室に向かった訳だったが、ドアを開けて目を剥いた。室内に人の気配は無かったが、人だったものが転がっていた。ほんと最悪。誰だよ私の標的殺したの。男はとうに事切れていたし、室内はかなり荒らされていた。引き出しやソファーの中までひっくり返されている所を見ると、おそらくは探し物をしに来た誰かによって殺されたのだろう。ということはつまり、この男はおそらく他の組織、もしくは誰かの弱みか何かを握っていて、殺された挙句荒らされた。……いや探偵ごっこは別にいい。たまたま昨日テレビで少年探偵のアニメを観たからつい。とにかく、私の仕事は呆気なく奪われてしまったのだ。最悪。

と、ここまで長くなったのは許してほしい。ほんとになんていうかだから、むしゃくしゃしたし苛々していた。私に仕事を依頼する役目を担う鶴蝶にメッセージを入れて、私はそのアパートを後にした。標的は生きていなければ私にとって価値がない。当然だ。梵天の事務所に戻ったが、しかし鶴蝶は居なかった。ていうか誰もいない。クソ面白くない。久々のわくわくを呆気なく奪われてしまった私はモヤモヤするし苛々するしで、とにかく可及的速やかにそれを発散したかった。誰もいないし予定もないしまあとりあえず帰ろう、と一度は座ったソファーから腰を上げると、ガチャリとドアが開いた。



「なーんだ三途春千夜か」
「何してんだオマエ」
「誰もいないし暇だから帰るとこ」
「あっそ」


三途はジャンキーなので苦手だった。キマってる人間は何をしでかすか分からないから総じて関わらない事にしている。ていうか三途はキマってなくてもちょっとおかしいから分かりづらい。つまり三途イコール苦手だ。さっさと退散、と歩き出したところで、ああそうだ、と三途が声を上げる。


「オマエこないだの売人、見つかったか」
「見つけたし報告したよ。メール送ったじゃん」
「あーそうだっけ」


三途が目の前でスマホをスクロールし始める。私からのメッセージは読まれる事なく埋もれているのだろう。人に頼んどいてそれは無いだろうと思うが、三途はそういう男だ。コレ待ってなくていいかな、と再度一歩踏み出したところで、あああった、と三途がまた声を上げる。


「じゃあそういう事で」
「名前オマエ、暇なんだよな」
「だから帰るんだよ。じゃ」
「俺溜まってンだよ。一発ヤらしてくんね?」
「は」


めちゃくちゃだなコイツ。私は思わずぽかんとしてその綺麗な顔を眺める。見たところ目の焦点は合ってるし、今日はまだキマって無さそうだ。ほらな、キマってなくてもヤバい奴なんだよコイツ。


「オマエ割といい身体してるし」
「なんでアンタなんかと」
「暇なんだろ」
「暇だけど」


今日の三途は珍しく機嫌が良さそうだった。歯を見せて笑う眼がぎらりと光って、なんとなく息を飲む。
三途春千夜は変な奴だが、ずば抜けて顔が良い。それはもうお人形かってくらい。黙っていれば美しい顔が乗る身体は長身も相まって確かにイケメンだ。癖のようによく捲るシャツの袖から見える腕は、案外筋肉質である。
−−そこまで考えて私はごくりと唾を飲んだ。確かに、この男がどんなセックスをするのか興味がある。この美しい顔が快感に歪む所を見たい、なんて、思ってしまったのが運の尽きだった。


「痛い事しない?首絞めたりとかナシだけど」
「ハ、優しくしてやんよ」


三途が愉悦を含んだ微笑みを乗せてそう嘯いた。











「……っ、」
「あークソ、キツいな」
「やめ、」
「あ?もっとォ?」


一時間後、私達がいたのは適当なラブホテルの一室だった。ドアが閉まった途端腕を引かれて噛み付くようにキスされた時はオマエ何すんだ、と眉間に皺が寄ったものの、私の余裕はそこまでだった。長くしつこいキスで酸欠気味の頭がぼんやりしたところで、三途は私の膝裏に手を突っ込んだ。途端に訪れた浮遊感に体が強張るが、三途は平気な顔で私を抱き上げたまま歩き出す。ほんの数歩で辿り着いた大きなベッドに、思いの外優しく降ろされた。それから間髪入れずにキスが再開されて、あっという間に脱がされて。悪態をつく暇もなく、どろどろになった私の中に三途が入ってきた。


「さん、ず、待っ、」
「たまんねェ、なッ」
「ひ、っ」
「あー名前、ひでェ顔」


容赦なく突き上げられる衝撃に、言葉どころか息もままならない。美しい顔が私の顎を伝った唾液を舐めとっていく。


「ひ、あ、」
「気持ちーな、名前」


三途の顔が愉悦を含んで笑う。けれどその眉間には力が入ったままで辛そうにも見える。三途の額に浮く汗が動きに合わせて飛ぶ様を見ながら、私は簡単に絶頂を迎えた。


「さん、ず、」
「名前」
「待って、まだ、」
「名前呼べよ」
「や、あ、」
「オラ、名前、ッ」
「はる、ちよ、」


三途の眉間に深い皺が刻まれる。びりびりと痺れるような快感に、私は意識を飛ばした。

なんだか悔しい気もするが認めざるを得ない。三途のセックスは、最高に気持ち良かった。








私が意識を取り戻したのは、小一時間ほど眠った後だった。目を開けるとすぐ目の前に、絵に描いたような美しい顔が目を閉じて静かにそこにある。ああ、三途か。どこの女神かと思うじゃん。ひどく喉が渇いていたから起きあがろうとして、私は動きを止める。というか動けなかった。腕と脚が私の身体を絡めとるようにくっ付いていて、全然動かない。なんだコイツ力強いな。


「…さんず、」


とりあえず退いてほしくて起こそうと声を出した。引くほど掠れてんな。


「ねぇ、起きて、三途」


ちょ、まじで本当退いてくんないかな。暑いし喉渇きすぎて辛い。長くてばさばさのまつ毛はしっかり閉じたままだった。
こいつ本当に顔良いな。私を離したらその後はずっと寝ててほしい。いやでも普通に気持ち良かったからたまにはコイツと寝るのも良いのかもしれない。
そういえば、と私は美しい寝顔を眺めながら思い出す。この男、名前で呼ばせた気がする。私もいっぱいいっぱいだったから言われた通り呼んだけど、なんなら呼んだ途端にイった気がする。


「……春千夜、起きて」
「……は?」


思い付いて口に出して見ると、驚くべき事にぴくりとまつ毛が震えて硝子玉みたいな眼が開いた。私を見て、そしてフリーズする。


「名前」
「うん、退いて喉渇いた」
「名前」
「そう名前だよ。ねえ退いて三途」


三途は目を丸くして、私の名を繰り返す。なんだどうした。早く退いてくれ。ところが私の意に反して、三途の腕に力が篭もる。ぎゅうっと抱き締められて胸が潰れて息苦しい。


「ちょっと、苦しい」
「名前」
「だから何」
「これって運命だろ」
「………ん?」


ちょっとわかんない。いまなんて言った?


「もっかい名前呼べ」
「とりあえず退いて、離して。まず水」
「水飲んだら呼ぶのか」
「呼ぶから退いて」


今度はあっさりと腕の力が抜ける。助かったとばかりにベッドから降りて、凝り固まった身体をほぐすべく思い切り伸びをする。ああほら、肩がぱきっていった。テレビの下に小さい自販機みたいな冷蔵庫があるのを見つけて、下に落ちていた下着を拾って穿きながら水を取る。蓋を開けて飲むとようやく喉が癒された。ぷはあ、と息を吐いて人心地つくと、背後のベッドがきしりと鳴った。


「あ、三途も飲む?」
「名前呼べよ」
「あー、春千夜も飲む?」
「……飲む」


一瞬三途の顔にぐっと力が入った。なんだ吐きそうか?辞めてくれ。とりあえずもう一本ペットボトルを出してベッドに放る。絡まった髪を手櫛で梳かしながら床に落ちた服を拾い上げる。
気持ち良いセックスの後は気分が良い。むしゃくしゃしてた気分が晴れて、身体を動かしたからすっきりしてる。ちょっと寝たから尚更だ。程よい疲労感に空腹を覚えて、帰りはラーメンでも食べて帰ろうかな、なんて考える。


「名前」
「なに、てかパンツ穿きなよ」


いやに真剣な声が後ろから聞こえて、私はTシャツを着ながら振り返る。ベッドには全裸で胡座を掻いた三途が、神妙な面持ちでこちらをひたりと見据えていた。パンツ見つかんないのかな。


「オマエ、気持ち良かったよな」
「え、うん、気持ち良かったよ」
「こんな気持ち良いセックスは初めてだったよな」
「え?あー、まあ、?」
「これって運命だと思う」
「……うん?」


今日はキメてないと思ったのだけど、思い違いだっただろうか。三途は至って真剣な眼差しで、傷跡をもってしても美しい口で絶対言わなそうなワードを吐き出す。


「オマエ、俺と結婚しろ」
「何言ってんの三途、大丈夫?」


やっぱりキマってたか。キメセクはしない主義だったのに誠に遺憾である。


「運命の相手はセックスで分かるって言ってた」
「どこの馬鹿だそれは」
「タケオミ」
「ちょっと意外だったけど三途それ信じたの」
「んな訳ねェだろって言った」
「私も同じ気持ちかな」
「でもオマエとヤって信じた」
「でも嘘だよそれ」


明石さんかあー歳上だしまともっぽいと思ってたけどそうでも無かったかな。ていうか仲悪そうなのにそういう話するんだ。兄弟案外仲良しか?私の目が死んでいく間も、三途は気に掛けることなく真剣な表情を崩さない。ほんとそうやって真面目な顔してるとイケメンなんだよな。


「俺はあんなセックス初めてだった」
「へえ」
「オマエもそうだって言った」
「言った…っけ?」


確かに気持ち良かったことは本当だ。思いのほか優しい、というか酷くされなかったし。身体の相性は悪くないだろう。でも勿論、だからと言って運命だなんて思う訳がない。ていうか運命の相手がヤク中なんてご免だ。



「……やっぱコレは運命だ」


三途は確信を持ってそう呟く。まるでこの世の真理を発見したとばかりに。さすがにそろそろ帰りたい。


「名前オマエ、俺と結婚しろ」
「だからなんでそうなんの。絶対無理だから」
「無理とかねェから。結婚」
「嫌だ」


人生初のプロポーズが適当なラブホで、私はTシャツの下はパンツ一枚で、相手はベッドの上に全裸で胡座を掻いたままで。そして何より恋人でもなんでもない。ぎりぎり知人であったことが不幸中の幸い…じゃないな、不幸しかないわ。なんだこの不運は。
身体の相性が良い相手というのは、そう多くはいない。どちらかがそう思っても相手はそうでもなかったり、二回目はそれほど良くなかったり。結局はその時の体調とか気分とか雰囲気とかに左右されるんだろう。だから多分三途もそれで、たまたま明石さんから変な話を吹き込まれた後だった事もあっての盛大な勘違い。この時の私はそう思っていた。その後結婚しろしないの攻防の末半ば無理矢理で始まった予定外の二回戦目がやっぱり良かったことはとりあえずまあ偶然の範囲内とした。













「あ、名前」
「げ、蘭さん」


数日後、私は梵天のアジトのドアを開けて遠慮なく顔を歪めた。ソファーに座って長い脚を組んだスーツ姿の男が、こちらを見てにっこりと笑った。


「今げって言った?」
「まっさかあ」
「あ、そうだこないだウチの嬢のストーカー退治してくれたンだって?」
「あーそうそう、なんか送って行ったら家の前に変な男がいて」
「すげー喜んでたよ。アイツ今稼ぎ頭だからさぁ、助かったわ」
「それは何よりです」


営業スマイルを貼り付けて、とりあえず蘭さんの向かいのソファーに座る。鶴蝶まだかな。この時間はあんまり他の幹部がいないから油断してた。蘭さんは笑顔の時ほど良くないことを考えてるし、無茶振りも多い。なによりこの人の仕事の後片付けは現場がエグい。下っ端の何人かが確実に吐く。キマってる時の三途の仕事も酷いものだが、この男はキマってなくてあれだ。つまり相当ヤバい奴である。


「それで?今日は三途待ち?」
「なんで三途ですか。普通に鶴蝶と打ち合わせです」
「えー?なんか三途と結婚するって聞いたけど」
「エイプリルフールは四月一日だけですよ」


あれから私が三途から逃げ回っていることを、おそらくは幹部はみんな知っている。三途からはいくら無視しても鬼電が酷くて一旦着信拒否にしてるし、事務所に来るのもちゃんとタイミングを図るようにしている。が、どうやら三途は結婚云々を既に周りにも言いふらしているらしく、鶴蝶からはオマエ本気か、正気なのかと心配された。あいにく正気だ。だからこそ逃げ回ってほとぼりが冷めるのを待っている。


「ふーん、じゃあ三途の片想い?」
「薬で幻覚でも見てんじゃないですかね」
「でもヤったんだろ?」
「…たまたま丁度よかったので」
「三途のセックスはどーだった?」
「さあ。覚えてませんね」


営業スマイルの下で頬の筋肉がひくりと引き攣る。蘭さん面白がってるよなあ。引っ掻き回して遊んでやろうっていう意図がありありと顔に書いてあるもん。


「大体三途にとって女なんて消耗品じゃないですか。結婚なんてワードよく思いつきましたよね」
「ハ、よく言うなあオマエ。名前だって男なんか消耗品だろ」
「ですねーいちいち覚えてらんないです」
「だよなあ」


にこにこ。私と蘭さんの会話は音声オフにするととても穏やかで朗らかである。オンにするととんでもないが。


「じゃあ俺も使ってみる?」
「やだな蘭さんを使い捨てられる訳ないじゃないですか」
「へえ、三途は良くて俺はダメなの」
「後が怖いので」
「まあ使い捨てられてやる気はねェけどさ」


頬の次は瞼が痙攣しそうになる。この人はいつもにこにこへらへらしてるけど、そう見えてガチな時があるから充分に注意しなければならない。言質を取られると厄介だからだ。


「じゃあ三途とどっちがいいか、試してみる?」
「三途の事も覚えてないので無理ですね」


わずかな沈黙に会話が一旦収束の兆しを見せる。よし、このまま終われ。そして鶴蝶来ないなら帰ろう。私は我が身が可愛い。ああっと電話がーという体でスマホを見ながら立ち上がる。


「電話してきます」

一応そう言ってドアに手を掛ける。が、残念なことにドアは開かなかった。なぜって、


「まあ待てよ。もっとお話ししようぜ名前チャン」


事務所のドアが内開きである事をこんなに恨んだことはない。後ろから伸びてきた蘭さんの手がしっかりとドアを押さえて、低い声がすぐ耳元で聞こえた。厄日か、いや厄年か。私も引退を考えねばならないか。


「三途が運命感じちゃうほど良い身体、試させろよ」
「そんなんじゃないですって」
「それは俺が決めるから、な」
「蘭さ、」


ドアの方を向いていた私の肩に長い指が掛かって、振り向かされると同時に腕の中に閉じ込められる。背が高いな。もう蘭さんしか視界にない。どこの地獄だ。


「名前」
「ちょ、待って蘭さん、」


少しカサついた指先がするりと頬を撫で、顎を軽く持ち上げられる。これが三途なら金的かましてでも退避するが、蘭さんにそんな事したら向こう百年呪われそうで躊躇う。そんな迷いの所為で初動を誤り、されるがまま顔を上げてしまった。三途とはタイプが違うがこれまた整った顔がすぐそこまで降りて来る。


「良くしてやんよ、名前」
「っらん、さ、」


近付いた蘭さんから嗅ぎ慣れない香水と洗剤と、それからなんていうか男の匂いがふわりと落ちてくる。さすがにこれ以上はまずい。ここ事務所だし。あと数センチで唇が触れてしまう、と思ったその時、蘭さんはぴたりと動きを止めた。焦点が合わないくらい近付いたまま、ふ、と笑ったような息が漏れる。



「なんだよ三途、オマエも混ざるかあ?」

えっ三途?


「そいつを離して二秒以内に失せろ。殺すぞ」

えっ三途じゃん。


私の視界を塞ぐ蘭さんの背後から、地を這うような不機嫌マックスの声が聞こえる。まごう事なき三途の声である。私ドアに背中付いてるんだけど、どっから出てきたんだアイツは。

私はその時、助かった、と思った。三途が、というか誰かしら幹部がいれば、蘭さんの暴挙は終わるはずだからだ。だから私は自分がこの数日間三途を避けて避けて避けまくっていた事を、すっかり失念してしまったのだ。



「三途、助けて」
「ブチ殺す」

えっなんで。助けを求めたら殺されるとか私可哀想過ぎないか。

と思ったら、目の前の蘭さんがすっと離れた。両手を肩の辺りまで上げて、降参のポーズ付きだ。ようやく開けた視界に写った三途は、愛用の拳銃を両手でしっかり構えていた。そうか、蘭さん巻き添えは嫌だったか。そりゃそうだ。助けて欲しかった相手に殺されて、苗字名前の人生はジ・エンドらしい。諦観を滲ませた視線を向けると、三途が構える銃口が動いた。あれ、もしかしなくてもアレ、蘭さんを狙ってる、な?



「退いただろうが。下ろせソレ」
「二秒以内に失せろって言っただろうがぁ」


ばちばちと二人の間に嫌な火花が散った気がした。ほんとに仲悪いな。ここでドンパチしたら鶴蝶に怒られるだけじゃ済まないぞ。かちりと安全装置を解除した三途に、私はようやく焦り出す。流れ弾で死ぬのはカッコ悪くて嫌である。


「三途、やめて」
「なんでテメェがそいつを庇うんだよ」
「庇うっていうか、ここでやらないでほしいっていうか」
「すぐ終わらせるから待っとけ」
「だからやめてって」


三途の目は別の意味でキマっている、ような気がする。三途の方を向いた蘭さんの表情は読めないが、おそらく臆する事なく睨み付けているのだろう。やだなあこの空気。あっそうだ。


「やめて、春千夜」


ゴッと大きな音が鳴って驚いた。三途が拳銃を床に落としたのだ。オマエほんと危ないな。安全装置解除した拳銃を落とすな。


「は、すげぇな名前」
「え、今の私の所為?」


蘭さんが堪え切れないとばかりに笑いながらこちらを振り返る。三途はキマってて手元が危ういのではないのか。怪訝な顔で三途を見ると、目をかっ開いて私を見ていた。ほらな、やっぱりキマってんだって。


「名前」
「なに」
「もっかい呼べ」
「え、やだ」
「呼んだら着信拒否許す」
「春千夜」


んッ、と三途が胸を抑える。だからなんなんだ。ていうか私も私だ。ノリを合わせてる場合ではない。とりあえず撃たれる危険はひとまず去った事だし、あとは帰るだけだ。


「じゃあ、私はこれで」
「待てよォ名前、オマエに話があんだ俺は」
「私はない。じゃ」


ドアの前にいたことは幸いだった。私は素早く身を翻し、ドアを開く。今度はちゃんと開いた、よし。ところが目の前に見えている廊下に踏み出せない。何故かって、大きな手のひらがまたも私を掴んだからだ。蘭さんまだいたの。


「面白ェモン見れたから今日は帰るわぁ」


蘭さんはそう笑って、私の腕を思い切り引いた。ドアが遠のいて、私の身体はそのまま後方へ押し出される。ついていけなかった足がもつれて、転んでしまう−−はずだったが、私の身体を抱き止めたのは硬い胸だった。目の前にピンクの髪が一条揺れる。


「さっさと失せろ」
「ココでおっ始めンなよぉ」


背後から私を抱き締めた三途に、蘭さんが機嫌良さそうに笑ってドアの向こうへ消える。待って行かないで、助けて欲しい。さっきと逆だ。ほんと梵天どうなってんだよ鶴蝶帰って来て。

無情にもドアはぱたんと閉じて押し黙った。今度ばかりは蘭さんの後を追いたいが、後ろからがっちり回された腕に完全に封じられている。頭の上で低い声が鳴った。


「やっと二人きりになれたなァ、名前」
「私帰るんだって」
「帰すかよ」
「嫌だ帰る」
「じゃあ結婚しろよ」
「だから何でだよ」


ごく当然とばかりに、三途がまた運命だから、と口にする。もうなんか疲れたぞ。


「三途」
「名前で呼べっつってんだろ」
「はるちよ」
「なに、名前」


ぎゅ、と腕の力がまた強くなる。びっくりするほど甘い声色に、思わずうなじの辺りがぞくりと震える。


「私結婚願望ない」
「俺の嫁にしてやるよ」
「いい、遠慮する」
「幸せにする」
「無理。なれない」


会話のキャッチボールが成り立たない。ここまで話が通じない奴だったとは思わなかった。
なのに私の心臓は妙にうるさく鼓動を鳴らしていた。さっき撃たれかけたから吊り橋効果ってやつかな。殺そうとしたのコイツだけど。


「俺はオマエじゃなきゃダメなんだよ」


三途が私の首筋に頭を埋める。温かい息と低い声が首筋にダイレクトに降ってきて、ひくりと喉が震えてしまう。


「なあ名前」


結婚しようぜ。
小さな声だったけれど、低く湿った声は直接脳髄を震わせるようだった。返事に窮する間に、三途の手が私の顎にかかる。後ろから引かれて振り向かされると、長いまつ毛を伏せた作り物めいた顔がすぐそこだった。
薄く開いた唇が私のそれに重なると、思わず目を閉じてしまう。ちゅ、と可愛らしい音が鳴って、啄むように何度も何度も柔らかく触れる。決して深いキスじゃないのに、自然と息が上がる。なんだ、これ。知らない感覚。


「はる、ちよ」
「ん、きもちーな」


くるりと身体の向きを変えられて、正面から抱き締められるような格好になる。いつの間に三途のシャツの胸元を手で掴んでしまっていたことにも気付かなかった。唇から漏れる自分の声は淡く掠れて情け無い。


「幸せにする」
「ん、」


激しいセックスの最中みたいに頭がくらくらしていた。キスってこんな気持ち良かったっけ。ここは梵天の事務所で、いつ人が入って来てもおかしくない。なのに私は唇を合わせるキスだけで、もう目の前の男のことしか考えられなくなっている。

え、まって、これってもしかして。


「運命、感じンだろ」
「………感じた、かも」


いやいや、まさか。でも、私の身体は確かにいつもと全然違う反応を示している。自分でも初めての感覚に、思わず三途を見上げたまま凝視する。と、三途がふわりと微笑んだ。


「結婚しようぜ、名前」


なんでだろう、今までみたいに突き放す言葉が、喉の奥に絡まって出てこない。私は今、頷こうとしている。








メロウ
ステップ

イエロー




title&song:退屈を再演しないで




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