溜め息をすると幸せが逃げるだなんて言うけれど、それなら私はここに来てから何回溜め息をしたか。逃げる幸せもないんじゃないかと考えてしまう。本当、何で私ここにいるんだろう。

はあ、と溜め息を吐いて全く姿を変えなかったマッチを手の中でくるくると回す。
マッチを針に変える授業は今日で終了した。全くマッチを針に変えることが出来ない私に先生は痺れを切らしたのか、マッチを針に変えられたら持ってくるようにとだけ言った。他の人達はほとんど針に変える事が出来たのに、私だけは最初のまま。少しも変えられなかった。
才能、ないのかな。いや、元々私にそんな力なんてないのかもしれない。きっと何かの間違いだったんだ。そうに違いない。そうだったら、よかったのに。

「リリー図書館にはもう行った?」
「ええ、昨日ミリアとレポートをしにね。とっても凄かったわ!」

いいなあ。
通り過ぎる同じ寮の女の子達を立ち止まって静かに見つめる。一緒にご飯を食べて、一緒に勉強をして、一緒に遊んで、彼女達には当たり前かもしれないが、まだ友達のいない私にはそれが羨ましくて仕方がない。
私だって、友達はいた。少ないけど…それでも、一人ぼっちだった私を仲間に入れてくれた優しい友達だ。けど、魔法学校に行く事になって、それを友達に言える筈もなく、結局別れを告げる事も出来ないまま此処に来てしまったのだけれど…今頃皆、どうしてるかなぁ。私の事なんて、忘れちゃってるかなぁ。
考えれば考える程なんだか寂しくなってきて、頭を振って気持ちを切り替える。

…それにしても、図書館か。

「行ってみようかな…」

図書館なら、一度通りがかった事がある。道はなんとなくわかる筈だ。それに、昨日出されたレポートは図書館で調べなきゃならないものだと先生が言っていた。期限は来週だけど、早めにやっておかないと教科書すらまともに読めない私はとても間に合わないだろう。
寮へと進めていた足取りを止め、逆方向へと足を進める。いつ動くかわからない階段を幾つか手摺にしがみ付きながら慎重に上り、廊下を少し彷徨う。そうして辿り着いた図書館の扉を静かに開き、その広さと本の多さに胸が躍った。
元々、本は読む方だ。父の書斎にある難しい本は流石に読めなかったけれど、父が必ず誕生日に色んな話が詰まった本をプレゼントしてくれる為、昔から好んでよく読んでいた。

…レポートをする前に、少しだけ見て回ってみようかな。
これだけ広いのだ。物語の本もきっとあるだろう。折角来たのだ。借りるのもいいかもしれない。

そう考えて、手始めに入り口近くにあった本棚に目を移して固まる。

「全部英語…」

本棚には全て英語で書かれた本がずらりと並んでいて、見慣れた日本語なんて一つもある筈がない。
当たり前の事だ。当たり前なのに忘れていた。
小さく溜め息を吐いて恨めしく英語だらけの本を睨んでみても何も起きない。
鞄の中からレポートのテーマを書いたメモを取り出し、メモと本棚の本を一つずつ見比べる。本棚が高くて上の方までは見えず、且つ全部の本棚をこのペースで見ていたら本を探すだけで一日、いやレポートの期限を過ぎても探しだすことは出来ないだろう。

どうしよう、誰かに、聞いてみようかな。でも誰に聞けば…。
うろうろと通路を進みながら、辺りを見回す。座って本を読んでいる人。本棚を見上げて本を探す人。机に羊皮紙を広げて勉強をしている人。どの人も集中しているようで、話し掛けたら迷惑に思われてしまうかもしれない。やっぱり本棚を一つずつ見て回るしかないかな…。
再度メモに目を落として、通路を曲がったところで何かとぶつかってしまいその場に尻餅をつく。

手から離れていったメモがひらりと視界に映る誰かの足元に飛んで行き、人にぶつかってしまった事に気付く。慌てて顔を上げると、眩い銀髪に一瞬呆けてしまったが、直ぐに謝罪を口にする。

「ご、ごめんなさい」
「……」

然し、その人は何の反応もせずに、尻餅をついた私を見下ろして、その視線の先が胸元のネクタイを映すと眉をひそめた。そしてそのまま動かされた視線と目が合うと、軽く目を見開いて慌てたように跪き、手を差し出される。

「失礼、周りをよく見ていなかったもので…」
「あっ、い、いえ…?」

さっきまでの表情が嘘のように、申し訳なさそうに此方を見下ろすその手におずおずと手重ねれば、優しく引っ張り起こしてくれた。
恐らく上級生なのだろ、綺麗な銀髪がさらさらと肩を流れている。

「Msミョウジは何故此処に?」
「本を、探していて」

そう答えてから、そういえばメモを落とした事を思い出し、俯いて彼の足元に目をやるとそれに気付いた彼が拾い上げた。

「ああ、これが載った文献なら良いのがある」

彼がローブから杖を取り出して少し遠くの本棚に向けて振ると、一冊の本が吸い寄せられるように彼の手に収まった。その一連の動作に驚く私をよそに、彼は何枚かページを捲ってから本とメモを差し出してきて、受け取って開かれたページを見ると、確かに探していたものが載っていた。

「あ、ありがとうございます…!」
「お役に立てて何より」
「ルシウス」

彼の後ろから数人の上級生がやって来て彼を呼んだ。ルシウス、彼の名前なのだろうか。振り向いたルシウスさん越しにその数人と目が合ったけれど、やはりまた、胸元のネクタイに視線がいって顔をしかめられた。なん、だろう。

「いずれまた」
「は、い…?」

ルシウスさん達が去って行く背中を眺めて、胸元の赤色のネクタイに触れる。そういえば、あの人達は皆、緑色のネクタイをしていたっけ。寮のシンボルカラーであるそれは、ネクタイを見ればどこの寮なのかわかるのだと最近知った。緑色は、スリザリンだっけ。

…ルシウスさんも、一瞬私のネクタイを見て、あんな表情をしていたよね。でも直ぐに、助け起こしてくれて――…
あれ、そういえば、なんで私の名前を知っていたんだろう。