汽車の中は正直退屈だった。発車してから少しして車内販売が来たけれど、特に何か欲しい物は無かったし買い方もよくわからなかったから首を振って断った。
最後尾だからかあまり人も居ないようで、静かな車両には汽車の走る音だけが聞こえてくる。唯一、向かいのコンパートメイトに一人で本を読んでいる男の子が居るけれど、話し掛ける理由も勇気もないから窓の外を眺めていると、いつの間にか眠っていたみたいだ。肩を揺すられて目を開くと、目の前に向かいに居た男の子が立っていて、驚いて身を引けば壁に頭をぶつけてしまい痛みに頭を抱える。

「大丈夫?驚かすつもりはなかったんだけど…」
「だ、だいじょう…あっ…え、と…大丈夫…」

眉を下げて申し訳なさそうに覗き込んで来る男の子に、咄嗟に日本語で返事をしてしまったが、慌てて英語で言い直す。大丈夫かな、伝わっているかな。
初めて交わす本場の人との英語の会話に、緊張して声が少し震えてしまった気がする。

「それなら良かった。さっきアナウンスでもうすぐ着くって言ってたんだ。君、まだ着替えてないみたいだったから起こしたんだけど…」

只でさえ寝起きで、慣れない英語で、知らない人で、と一杯一杯になっていて、男の子から発せられる英語を聞き取る事が出来なかった。どうしようと目を泳がせて頭の中で兄に教わった英語を思い出そうと必死に考えるものの、何を言われたかもわからないのにどう返せばいいかなんてわかる筈ない。
「う」とか「あ」しか言えない私に男の子は首を傾げていたが、何かに気付いたようにもう一度、先程よりもゆっくりと丁寧に喋りだした。

「学校に着くから制服に着替えた方がいいよ」

今度はしっかりと聞き取る事が出来て、何度も頷いてお礼を言う。男の子は私が理解したとわかると、扉のカーテンを閉めてからそのまま自分のコンパートメイトへと戻って行った。
優しい良い人で良かった。ほっと息を吐いて、トランクを開いて制服を引っ張り出す。
てっきり学校で着替えるのかと思っていたけど、汽車の中で着替えるのか。…あっ、そっか、だからカーテン閉めてくれたんだ。後でもう一度、ちゃんとお礼言わないとなぁ。
わざわざ起こしてくれて、言葉を聞き取れないのに気付いて言い直してくれて…なんだかとても申し訳ない。

「真っ暗…」

一体私はどれくらい寝ていたのだろう。あんなに明るかった窓の外は、もうすっかり暗くなっていて、汽車の中もいつの間にか灯りがついている。
制服に着替え終わった頃にはもう汽車の動きは止まり、アナウンスが車内に響き渡る。どうやら着いたようだ。荷物はそのままでいいと言っていたので、手ぶらのまま通路に出ると丁度向かいからさっきの男の子が出てきて、改めてお礼を言うと優しく微笑んでくれた。

汽車を降りてプラットホームに出ると、ランプを片手に声を上げる大きな男の人がやって来て、あふれる人に流されそうになっていると男の子が腕を引いて最後尾へと連れ出してくれる。あの大きな人に着いて行くのだと教えてくれて、狭い小道を躓いたり滑ったりしそうになりながらなんとか着いて行く。
少しして突然角を曲がった辺りで歓声が湧き上がった。転ばないよう足元を見ていた為、突然立ち止まった前の人の背中に軽くぶつかってしまった。顔を上げると、狭い道が急に開けて大きな湖が広がっていた。向こう岸には高い山があって、そのてっぺんに物語に出てくるような壮大なお城が見える。
すごい、もしかしてあれが学校なのかな。

「四人ずつボートに乗って!」

大きな人がそう言った。前の人から順番にボートに乗っていき、最後の方になると私と男の子の二人しか残っていなくて二人でボートに乗った。ボートは大きな人の「進めえ!」という大きな声で漕いでもいないのに一斉に進み出した。

「アジア…もしかして日本人、かな?」

私の事を言っているのだと直ぐに気付いて、視線をお城から男の子へと移す。

「あ、はい。英語下手くそですよね。ごめんなさい」
「そんなことはないと思うけど…あっ、僕、リーマス・ルーピンっていうんだ。同い年だから敬語はいらないよ。よろしくね」
「うん。私は、ナマエ・ミョウジだよ。よろしく」

とりあえず、お友達が出来ました。