曇天模様。
午後最後の授業である薬草学が行われる城外の温室で、先生がきのこを一つ一つ掲げて説明しているのを聞き流しながら、空を仰いでいた。いつもなら教科書と英語辞書をひっきりなしに見つめては、且つ先生の言葉を一言一句聞き逃さないよう神経を張り巡らせているというのに、今日はもうずっとどの授業でもぼうっと外を眺めている気がする。ノートだって一度も取っていない。
何やってるんだろう。授業に追いつけなくなっちゃうのに。
他人事のようにそう思った。やる気が起きないのは、もう諦めているからだろうか。自分でももうよくわからなかった。

気が付けば、授業はもう終わったらしい。
周りにはもう誰も居らず、先生が奥のほうで後片付けをしているのが目に入って、結局一度も開かなかった教科書を鞄に詰め込んだ。分厚い辞書のせいか、鞄はいつも重い。

「雨が降りそうですね」

温室を出ようとした時、先生が独り言のように呟いた。いや、独り言だったのだろう。振り向いてみたが、先生は此方に背を向けたまま大きな植木鉢に土を入れていた。もう一度空を見上げれば、相変わらずの曇天が此方を見下ろしていた。

城へと向かっていた足を、視界の端の森の方へと向けたのは、単純に戻りたくなかったからだ。それに、校長先生が言っていた、散歩をしてみようと思った。

昨日医務室の窓から見た、森の端にある小屋に着いて、少し頭上にある窓を大きな樽によじ登って覗いてみる。泥がこびり付いて見えづらかったが、中には誰も居なくて、でも、部屋の隅にある大きなベッドや、テーブルの上に置かれた大きなマグカップは誰かが此処に住んでいるのを表している。
こんな学校から離れたところに住んでいる人もいるんだ…。先生、とかかな…?って、人の家を勝手に覗くのはあまり良い行為ではないだろう。そう思って樽を飛び降りて、次は森の方へと足を進めてみる。
天気のせいか、森の中は薄暗く、道もあまり良くないが、なんだか探検をしているようで心なしか段々楽しくなってきた。こうして自由に外を歩き回るのは初めてだからだろうか。
きっともっと天気の良い日に来たら、木漏れ日が綺麗で、鳥の囀り声なんかも聞こえるのだろう。

大分、奥へと入り込んだ頃だろうか。頬にぽつりと雫が当たって次第にそれは大量の雨になっていった。慌てて近くにあった暗い木々の下に駆け込んで雨宿りをするが、来た道を振り返ってみると、もう小屋も、森の入り口も見えなくなっていた。…もう引き返した方がいいかな。真っ直ぐ進んで来た筈だから、戻れるだろうけど、夜になったりしたら周りが見えなくなってしまいそうだ。只でさえ、ここら辺は暗くて少し不気味とさえ思う程だ。もう少し探検したかったが、仕方がない。雨も降ってきてしまったし、雨が少し落ち着いたら戻ろう。

…そう思ったものの、雨は激しくなる一方だった。…どうしよう。

膝を抱えて地面に当たる雨粒を見ていると、視界になにか動物の足のようなものが映った。顔を上げると、眼前に白い目玉が二つあって、じっと目が合った。
一瞬、それが何かわからずに瞬きを繰り返していると、目玉がそっぽを向いて少し離れた。その時に、ゆらりと揺れる黒く長い尻尾と、ぴったりと骨にくっついた皮、それに背中には翼のようなものが生えているのが見えて唖然とした。動物、だよね…?
全体的に見ると、まるで御伽噺に出てくるドラゴンのようだが、なんだかイメージと少し違う。馬のような、大きなコウモリのような。兎に角、見た事のない、全く知らない動物だ。
ふと、木の幹の後ろ側や、隣の木の下を見てみると、同じ姿の動物が数匹、私と同じように雨宿りしていて驚く。全く気が付かなかった。

ふと、頭に何かが当たっているのを感じて、反対側を向くと数匹いる内の一匹が私の頭に鼻を押し付けて匂いを嗅いでいた。も、もしかして、食べ物だと思われてる…?ドラゴンって、肉食なのかな。

「わ、私、おいしくないよ」

少し逃げるように後退りながらそう言ってみる。言葉が通じるとは思っていなかったが、顔を離してくれたので、もしかすると通じるのかもしれない。

「触ってもいい…?」

何も反応は示さなかったが、手を伸ばして触れてみる。肉が全くないのか、皮は骨の一本一本にぴったりと張り付いていて、不思議な感触だ。立ち上がって、背中に生えている翼にも触れてみる。指先が触れた瞬間ピクリと動いたので、きっと飛ぶ事も出来るのだろう。

「凄いね」
「おい、誰かそこにいるのか?」

ビクッと肩が震えて、木の後ろから出てきた大きな影を見上げる。黒いもじゃもじゃな髪と髭から覗く瞳に私が映った時、その人は目を真ん丸くして声を上げた。

「此処で何しちょる!此処は禁じられた森だぞ!生徒が一人でうろついちゃならん!」
「ひっ、ご、ごめんなさい…!すぐ出て行きま――わっ!」

激しい雨音を掻き消す程のその大声が怖くて、すぐ背を向けて木の下から飛び出した――が、道が悪い上に雨でぬかるんでしまった土に足を取られて、その場に盛大に転んだ。全身に降り注ぐ雨が痛くて泣きそうになった。