ハンディさんに頼まれて夕飯の買い出しにスーパーへ訪れると、店の前に何やら困った表情をした綺麗な女性が居た。女性の足元には買い物袋が五つ転がっていて、一人で持ち帰るのは大変そうだ。ピンク色の髪の毛は一瞬誰かを連想させたが、ほとんど無意識に声を掛けていた。

「あの、どうかしたんですか?」
「あら?あなたは…なまえちゃん、だったかしら?娘から話は聞いてるわ」
「え?む、娘…?」

はて、娘とは一体誰のことだろうか。生憎、私の知り合いに今のところ女の子は一人しか居らず、その一人は別に親しい訳でもないし…。むしろ嫌われて――アッでもそうか、親しくなくても悪い方で聞いているという事もあるのか。この女性があの子の母親なのだとしたら私は間違いなく良い印象を持たれていないという事になる。と、という事は私しめられたりしないだろうか…。
私の事を上から下まで値踏みするように見る女性に軽く震えていると、女性はやがて眉を下げて控えめに微笑んだ。

「ごめんなさいね。ゆっくりお話したいところなんだけどお夕飯の支度をしなくちゃならなくて…。あっ、でもそうだわ、せっかく会えたんですもの!家に招待するわ!」
「エッ、アッ、エッ?」

何でそうなった?アレか?アレなのか?此処じゃ人目につくから家でじっくりお前の解体ショーでも開いてやるよ的なアレなのか?いくら生き返るって聞いても心の準備ってものがあるのだけれど。

「い、いやあ、私これから用事が…」
「大丈夫よ!家は此処からそう遠くないし、少しお茶するだけよ!」

まるで袋小路でナンパされている気分だ。
用事があるのは本当だ。ハンディさんからおつかいを頼まれている訳だし。そう言ってもきっと見逃してくれないんだろうけど。

「さっ行きましょ!あっ、荷物を半分持ってもらってもいいかしら?買いすぎちゃって一人じゃ運べなくて困ってたの」

問答無用で買い物袋を三つ両手に持たされ、逃がさないと言わんばかりに腕を組まれてスーパーを後にする。
道中、女性がニコニコと楽しそうに話し掛けてきたが、私はこれから待ち受ける何かに空を仰いで適当に相槌を返しておく。そうして着いた木造の小ぶりな家の扉を開けると、女性が「ただいまー!」と家中に届くように声を上げた。

「ギグルスちゃーん、いるー?」
「ま、ママさん!私やっぱり帰りま「なあにママ〜」アッ」

さようなら、今日の私、また明日…。心中で南無、と手を合わせながら扉から顔を覗かせたギグルスちゃんに、精一杯の笑みを向けた。

「あれ、なまえじゃない」
「コンニチハギグルスチャン」

ギグルスちゃんは、ママさんの後ろにいる私に気付くなり多少驚いた素振りを見せたものの、直ぐに先日見せたのと同じ笑みを浮かべた。とても可愛らしいが、私はその笑みが怖くて仕方がない。

引き摺られるように通されたリビングのテーブルで、ギグルスちゃんと向かうあう形で座らされて数分。ママさんは「お茶の用意をしてくるわね〜」と私の手から買い物袋を引ったくり、ルンルンという効果音が付いてそうなスキップをしながら隣室キッチンへと姿を消してしまった。その時私は、ママさんが全ての買い物袋を軽々と持っていたのを見なかった事にした。

「ねえ」
「ハイッ!」

ギグルスちゃんと二人きりなのが気まずくて、視線を彷徨わせて沈黙していると、ついにギグルスちゃんから呼び掛けられた。
ビシッと背筋を伸ばして、片手で心臓を捧げるポーズをしたが、ギグルスちゃんの視線は心臓を捧げている右手ではなく、左手に向いているのに気が付いた。
そこはこの間のカドルスくんとの一件で次の日痣になっていたので、ランピーさんが湿布と包帯を巻いてくれたのだが(妙に手慣れた様子だったから聞いてみたら「医者やってるからねえ」と言われて驚いたのはまた別の話である)それほど大した事はない。昨日の夜にはもう薄くなっていたし。

「あの時、何ですぐ頷かなかったのよ」

…はて、あの時、とは。
首を傾げる私に、ギグルスちゃんは眉を寄せて「カドルスに嬉しいか聞かれた時」と言い放った。

「なんで?嬉しいでしょ?」

ああ、あの時か。頭の中で、あの時のカドルスくんの表情と声を思い浮かべた。
カドルスくんが手を繋いできて、それをやんわり辞めるよう言った、あの時。

「いや、普通にいきなりで驚いてたから…」
「だけど、その後手を怪我した時に、嘘でも頷けば良かったじゃない」

それはもしや、カドルスくんがとんでもない馬鹿力で私の手を握り潰さんばかりにしていた時の事か、それとも、ランピーさんとラッセルさんによってその手から逃れた時の事か。どちらにせよ、困惑していて何の反応も出来なかったのだけれど、適当に頷く事くらい出来たのではないかと、ギグルスちゃんは言いたいのだろう。

「でもまあ、もう終わった事だし」
「…あんたって意外と軽いのね」
「うーん…いつまでも過去の事ぐだぐた考えてても仕方ないかなって」

過去は過去、今は今、だ。そんなよそはよそ、うちはうちみたいな感じで、完全に今思い付いたのだけれど。私には考える過去すらほとんど何も覚えちゃいないのだけれど。
ヘヘッと笑ってみるが、目の前のギグルスちゃんは何故か目を見開いて「そう、ね」と歯切れ悪く返事をして、やがて目を伏せてしまった。あれ、私、何かやってしまっただろうか。

「あ、そういえばギグルスちゃんはさ、カドルスくんの事が好きって言ってたよね。どうしてカドルスくんが好きなの?」
「…あんたに関係ないでしょ」
「で、ですよねぇ」

話題を変えようとしてまたしても盛大に失敗してしまった。そっぽを向いてしまったギグルスちゃんに苦笑するしかない。
また、沈黙が流れる。

カドルスくん、ね。彼は、どうしてあの時、あんな表情を、目をしたんだろう。まるで、なにか焦っているかのような、あの目が、脳裏にこびり付いて離れない。
左手をぼんやりと眺めながら考えるが、人の気持ちなんてわかる筈がなくて数秒でやめた。これから此処に住む以上、仲良くしたいとは思うんだけどなぁ。カドルスくんにしても、ギグルスちゃんにしても。
ちらりとテーブルに頬杖を付くギグルスちゃんを見ていると、その唇がゆっくりと開かれた。

「カドルスは、愛されたがりなの」

愛されたがり…?

「でも、カドルスはトゥーシー以外の事なんて、きっとどうでもいいと思ってる」

そう言ったギグルスちゃんの表情は、どこか寂しそうに見えた。窓から差し込む夕暮れに照らされた瞳の先は、どこか遠いところを見ているようだ。
「ギグルスちゃん」と思わず名前を呼ぶと、彼女ははっと我に返ったかのように一度俯くと、ゆっくりと顔を上げた。その表情は、もういつものギグルスちゃんだった。

「ところで、カドルスとトューシーはどっちが左だと思う?」
「…んん?」

左?…何が?
質問の意味がわからずただ瞬きを繰り返す私に、ギグルスちゃんは不思議そうに首を傾げている。

「だからぁ、どっちが攻めで、どっちが受けか」

ギグルスちゃんは、一体何を言っているのだろうか。攻め?受け?攻めの反対は守りだろうに。なんだなんだ、野球か?
言葉を返せずにいると、キッチンからママさんが「お待たせ〜」と相変わらずのルンルン具合で戻ってきた。あっ、こっちの事を忘れていた。

ママさんはティーカップとクッキーが入ったバスケットを乗せたお盆をテーブルに置くと、私とギグルスちゃん、そして自分の前に配った。
…あ、あれ…普通のお茶会みたいな雰囲気だぞ…?
一体何をされるのかガクブルしていたというのにこれじゃあ拍子抜けだ。いや、それが一番いいんだけどね。平和が一番だよね。
湯気が立つティーカップを見ながらそう心中で混乱していると、ママさんが「さてと」と手を叩いて私の方を向いた為反射的に身構えてしまう。

「じゃあ早速なんだけど、なまえちゃんはランピーさんとラッセルさんと仲が良いって聞いたんだけど、二人はやっぱり付き合ってるのかしら!?」
「…はい?」

付き合っている、それはつまり、ライク、ではなく、ラブの方の意味という事はなんとなくわかった。わかってしまった。ということはだ、先程ギグルスちゃんが言っていた言葉の意味もそういう事なのだろう。
…いや、え?カドルスくんがトューシーくんの事以外どうでもいいって、そういう事?そういう事だったの?いや、そういうのに偏見があるという訳じゃないが、何故私にそれを告げたのか、そしてランピーさんのラッセルさんの名前が出てきた事にも驚く。

「い、いやあ、それは私もわからない、ですかね。あ、でもランピーさん彼女いるってラッセルさんが言っていたような…というか、あの二人ってそういう風には見えな「でもでも、それはラッセルさんに嫉妬してもらいたくての行動だとしたら!?」え、あ…え?」

興奮したように頬を赤くして語るママさんにもう唖然とするしかない。なんなの…。

然し私は、次にギグルスちゃんが放った一言に、自分が盛大な勘違いをしていた事に気付くのだった。

「やっぱりなまえも腐女子だったのね!そうなんじゃないかと思ってたのよ!」
「ふじょ…エッ!?」

腐女子とは、やおいやボーイズラブ(BL)と呼ばれる男性同士の恋愛(男性同性愛・ゲイ)を扱った小説や漫画などを好む女性のことである。by、wikipwdia。

…やっぱりただのお茶会じゃなかったか…。否定の言葉を返す間もなく盛り上がっている親子二人を眺めて静かに思う。
帰っていいかな。