やまと君が消えた。

それは突然の事で、ある日彼の部屋を訪ねるとそこには何もなかった。本当に何もなかった。彼が居た痕跡も、匂いですらも残ってはいなかった。
アパートの管理人に尋ねてみても彼が昨日部屋を出て行った事と、行方は聞いていない事と、彼に連絡をとれるような親族はいないという事しかわからなかった。

なんで?どうして?頭が状況に追いつけない、これが現実だと思えない。
僕の事が嫌になったの?僕の愛が足りなかったの?目、だけじゃ足りなかった?

僕は君になら命だってあげても構わないのに。

カランカラン。お店のドアを開くそこには困った顔で猫を抱く店主の姿があった。金色の毛がふわふわした猫は、彼の飼っていた猫だった。
「あおちゃん。来ると思ってたよ。ごめんな、馬鹿な後輩が心配かけて。」
そう言って律さんは僕を座らせ温かいココアを作ってくれた。やまと君について彼はこう語った。
「昨日の夜に店に来てね。いきなり土下座してマトリの事を預かって欲しいって頼んできたんだ。飲食店に動物だなんて本当に、土下座位じゃ足りないよね。」
苦笑混じりに律さんはそう言った。
「やまとの居場所は俺も知らないんだ、ごめんね。」
微かな希望を砕かれた僕がお礼を言い店を出ようとすると、
「このままじゃだめなんだ。って言ってたよ。俺にはその言葉の意味はわからないけれど、きっとそれはあいつ自身の事であり、君との関係の事であり、そして君自身の事なんじゃないかな。…またおいでね。」
僕は無言でお店を出た。

ここに来るのは何回目だろう。大きなお屋敷の前でいつも彼を待っていた。お仕事終わりの、いつもよりも大人に見える彼を僕はずっと待っていた。今日も待っていたら、嬉しそうに僕の名前を呼んで抱きしめてくれる彼が出てくるんじゃないかと少しだけ期待してしまう。
けれど出て来たのは屈強そうな黒い服を着た人達で、用事もない僕はすぐにこの場を立ち退く様に言われた。その時だった。凛とした声が僕を呼び止めた。
「待ちなさい。貴方達は下がっていいわ、彼は私の客人よ。無礼は許さないわ。」
可憐という文字を表したような人が立っていた。ここでは寒いからと、彼女に言われるがままにお屋敷の中へと入っていく。部屋に通された僕は、改めて目の前の人物の美しさに見惚れる事となった。僕もこの人の様に美しければ、やまと君に捨てられる事はなかったのだろうか。
「やまとの事を探しに来たの?」
突然の問いに驚くと同時に、彼を名前で呼ぶ彼女の言葉に少しだけ胸にチクリと針が刺さったような感情が生まれた。
「わかっていると思うけれど、やまとはここにはいないわ。」
やはりそうか。しかし、だったら何故僕をここに呼んだのかと尋ねると、
「今朝やまとがこれを返しに来たの。仕事を辞めさせて欲しいという言葉と一緒にね。」
そう言った彼女の手には、彼がいつも首につけていたアクセサリーが握られていた。嗚呼、これを渡したのは彼女だったのか。また、胸にチクリと針が刺さった。
「貴方、やまとに捨てられたとでも思っているのでしょう?」
彼女は薄く笑いながらそう言った。僕は、黙っていた。
「さっきから目がそう言っているもの。それと、自分以外の人間がやまとの事を知っているのが気に入らないといった所かしら?」
否定の言葉を出そうとしたが、彼女の纏う空気に押された僕の口からは"貴女に僕の気持ちなんてわからない"という言葉しか出なかった。
「わかるわよ。…ずっと見てきたもの。ねえ貴方、お勉強は得意かしら。」
「メビウスの輪ってご存知?無限に繰り返す事を意味するのだけれど、やまとも貴方もその中にいるんでしょうね。やまとはその輪の中で進んだだけ、いつか必ず元の場所に戻ってくるわ。だけどその時彼は何かしら変わっているでしょうね。貴方はなあに?何もしないでそのまま待っているつもり?そんな事してみなさい。今度こそ貴方はメビウスの輪から外れるわよ。」
彼女は一気にそう言うと疲れたのか少し俯いて続けた。
「さっきの言葉、そのまま返すわ。これは私とあの男を繋ぐ象徴だった。それを返されたの。"貴方にはもう、自分は必要ない。必要であってはならない"ですって。勝手よね、決めつけちゃって。…やまとのメビウスの輪から外された私の気持ちなんて貴方にはわからないわよ。」
彼女は怒っている様な口調だったが、その表情は限りなく泣き顔に近かった。それでも彼女の纏う凛とした空気は変わらなかった。
ごめんなさい。一言謝るとそれは一蹴された。
「謝られるのは嫌いなの。貴方からも、やまとからもね…。もう帰っていいわよ。やまとに会ったら伝えて頂戴。"優秀なSP"は、いつでも欲しくってよ、と。」

見送られる事はなく、僕はお屋敷を後にした。そしてその足は、ある場所へ向かっていた。

カランカラン。
「待ってたよ。それで、君はこれからどうするの?」
僕は、僕は…
「卒業したら、ここで働かせて貰えませんか?僕は彼の帰る場所になりたい。彼の支えになる力が欲しいんです。今までの僕は自分の全てを与える事でしか彼の気持ちを…いえ、自分の気持ちを安心させられる事ができなかった。でも変わりたいんです。強くなってもう一度自信を持って彼の側に居たいんです。」
律さんは黙って僕を抱きしめてくれた。ふと、足元を見ると、にゃあん。とマトリがすり寄ってきた。その首に付けられた飾りには、メビウスの輪が光っていた。



「いらっしゃいませ!お席にご案内します。御煙草はお吸いになられますか?」
「もう吸わないよ。だって君が怒るから。」
「え?」
顔を上げるとそこには…




「ただいま。あおちゃん。」

愛しい彼が笑っていた。





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