*桜
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今日は本を読んで勉強をするからと椿に部屋を半ば追い出されたやまとは、椿の部屋の近くにあるベランダ・・・というには広すぎるバルコニーのようなスペースで、微睡んでいた。部屋を出る際にちらりと見えたのはこの間、買っていた女性誌の表紙だったから、1人で読みたかったのかもしれないと考え、呼ばれるまではここにいるのも良いかとぼんやりと庭を眺めていた。
この屋敷の庭にはさまざまな植物が植えられ、専属の庭師たちによって綺麗に整えられている。この季節、やはり目を惹くのは庭の中央にある大きな桜の木だろうか。やまと自身、そういったものに詳しくはないが、それが立派なものであるということは分かる。
「今日は珍しいところにいるんだね」
春の風に誘われてうとうとしていた所へ声をかけられて、びくっと肩が跳ねる。急いで振り返れば、にこりと優しそうな笑みを浮かべた舞白が立っていた。
「舞白様。すみません」
「あぁ、大丈夫。椿は『勉強』に夢中だからここにいたんだよね?」
「はい」
謝罪と共に慌てて立ち上がろうとするやまとを制して舞白は言う。その言葉には普段の千羽陽からの伝言や仕事に関する指示を出す時の様な堅さはなく、自然体であるようなそんな印象を受ける。
「それなら、ゆっくりしていて大丈夫。むしろいつも、椿の我が儘に付き合ってくれているわけだし、少し休憩をしても良いと思うよ」
「いえ。そういうわけには」
「僕は君に感謝しているんだ」
そう言いながら舞白はやまとの隣に腰を下ろす。綺麗に掃除がされているとはいえ、服が汚れてしまうのではないかとやまとは舞白の様子を伺うが、舞白は全く気にした様子もなく、話を続ける。
「感謝、ですか?」
「そう。感謝。ここは居心地の良い場所だけれど、あの子の成長には良くない場所だから」
静かにそう言って舞白は視線を少し離れた場所にある桜へと向ける。
「君は何が『幸せ』の定義だと思う?」
「・・・難しい質問ですね」
「うん。そうだね。それじゃあ、質問を変えよう。衣食住が保障され、欲しいものもある程度手に入る場所での生活は『幸せ』だと思う?」
「それは、・・・例え話、ですか?」
「どうだろう。正解が在るわけではないから、例え話になるのかな」
「・・・私は『幸せではない』と思います」
相変わらず、舞白の視線はやまとに向けられていないが、妙な緊張感の中でやまとはそう答える。
「うん。僕もそう思う。『ある程度』じゃダメなんだよね。それが世間一般で求められていても、本人にとって『欲しいもの』でなきゃ意味がない。そしてそれは、用意されるものではなく自分で見つけるものだ」
ふわっと風に運ばれた桜の花びらを両手の中に閉じ込めて、舞白は呟く。
「せっかくの花も仕舞われてしまえば意味がないのに」
そして、ゆっくりと両手を開けば、その指の隙間から花びらが再び風に誘われて飛んでいく。
「椿は少しずつ変わろうとしてる。前を向いて歩き出そうとしている。それが彼にとって『幸せ』なのかどうかは分からないけれど、『幸せ』への一歩を歩き出したことには変わりないと思う。だから、ありがとう」
「いえ。変わろうとしたのは椿嬢です。私は何もできていませんから」
「それでも、ありがとう。君がいてくれなかったら、きっと今も蕾すらなかったと思うよ」
「蕾、ですか」
「うん。あの桜、ここ数年は蕾すらつかなくて、狂い咲きみたいに冬に咲いたりなんてこともあったから、そろそろ寿命なんじゃないかって話があったんだけど、今年はすごく綺麗に咲いているし、きっとそういうことなんじゃないかと思って」
くすくすと笑って、ここでやっと舞白はやまとの方を向く。自分より少し下にある濃紺の瞳は優しげな光と仄暗さを併せ持っている。
「桜は終わりと始まりのイメージが強いし、それに時には冷静さを捨てて、心の美しさを磨くことも大事ってことなんじゃないかな」
長話に付き合わせてごめんねと言って、舞白はもう一度お礼を言ってその場を立ち去って行く。その後ろ姿をぼんやりと見送って、やまとは再びその視線を桜へと移す。
 雪の様に風に舞う花びらは地に落ちれば、やがて朽ちる。その前に踏まれて汚れてしまうものも多いだろう。それでも桜が美しいのは懸命に咲くからだろうか。そんな柄にもないことを考えていると、少し離れた場所から自分を呼ぶ声。返事を返して立ち上がる。


これが変化の合図だというのなら、それもまたーーだ。






(タグのお礼落書き*お題『桜』*
 くろねこやまとさんから)

 

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