小説 | ナノ

「フェレス卿。お時間は宜しいか」

扉の向こうから聴こえた声に
甘毳は読んでいた雑誌から顔を上げた。

「ネイガウスですか?」

「―…地の王か」

「開けてもいいですか?」

何故か部屋の中の住人に質問され、それでも嗚呼と答えてやる程度にネイガウスは見た目10代の青年を知っていた。

イゴール・ネイガウス、39歳。
現在、祓魔塾講師を停職中…。

最近の業務内容は

停職期間を利用しての暗躍

そして上司の弟、
地の王アマイモンの監視である。















「ネイガウス、
また眉間にシワですよ」

「あれほどノックされても答えてはいけないと」

誰かに見られたらどうするのか
そうため息混じりに告げれば

「だってネイガウスの声がしました」

と、まるで幼子のような答えが返ってきた。

「フェレス卿は?」
「居ません」

その即答に頭痛が、増した。

「この時間に来いと言われたのだが」
「知りません」

「ボクが勉強をしていたらネイガウスが来ました。ね、ベヒモス」
「がうがーうっ」

そして

椅子に座った彼は、立ち尽くしたままの彼に些かも気を悪くした風情もなく、視線は手に持っていた雑誌を、そして彼曰く友達のベヒモスは彼の足先を追っている。

「座ったらどうです」

机を挟んでの対面。

言動はまるで子供なのに、座れとソファーを指す態度はとても尊大に見えた。

そこは彼の上司に良く似ている。
姿かたちは余り似ていないのに。

子供が威張るような可愛いレベルではなく、その所作は無駄がない。


「座らないのですか?」
「奴は居ないのだろう」
「待ってたら来ますよ」


それに、アナタの仕事はボクの監視でしょう。何気なく言われた言葉がひやりと冷たく、ネイガウスは無意識に腹に力を入れた。


「…怒っておいでか?」
「そこのソファーに座って下さい」

それでも躊躇うネイガウスに足元のベヒモスは唸り、そして吼えた。


「ベヒモス」
「ぐるる…」

飛び掛かる仕草を見せた友人を無表情に鎖を引いて黙らせると今度はこちらに視線を合わせ青年は口を開いた。


「座れ、ネイガウス」


無表情で棒読みで抑揚がない。

それでも有無を言わせない絶対性はやはりあの悪魔の弟であるとネイガウスは心の底から思った。





明るい部屋は落ち着かない。

着席したネイガウスにアマイモンは見慣れない茶器を差し出した。

ぱちん

そんな音と共に注がれた液体は
澄んだ翡翠を連想させる。

僅かに縁が青みがかった湯に、ネイガウスは首を捻った。

「これは何だ?」
「これはお茶です」

どう見ても白湯、アマイモン曰くお茶、の液体を入れた本人は躊躇なく飲み干して見せた。

「…飲めるのか?」
「兄上には好評です」

更におかわりを入れようとしている姿にネイガウスは顔をしかめて見せた。

「では兄に淹れるといい」
「あの人は不味くとも美味いという人です」

おや?と、意外な言葉にネイガウスの思考が止まった。それはとても兄自慢、もとい、その寵愛を誇る声音とは違ったからだ。

ネイガウスの知っている彼ならば「ハイ、そうですね」とあっさり肯定して茶器を下げると考えていたのだ。

だから反射的に口を開いていた。

「どういう意味だ」
「兄が飲んでくれたらボクは嬉しいので」

会話が途切れる。
どうやら話はそこで終わりらしい。
簡潔なのは良いが簡潔過ぎるのも考えものだ。

「つまり?」
「ボクにはまだ利用価値があるので兄は不味くとも美味いと言うのかな、と」


利用価値。
なんとも物騒な単語に、これは雲行きが悪いとネイガウスは早々に見切りを着けた。

ぐいっと茶器を傾ける。

「あ。」

意外と爽やかな飲み口に
以前、奥村雪男から聞いたあの殺人料理の話を思い出していた。

「あの男の料理は最低だと聞いていたからどんなものかと思ったが」

「不味くないのですか」

「料理の腕は遺伝しないらしいな」


なんともネイガウスらしい言い分に、アマイモンは小さく笑った。







(ただ少し味が薄い)
(次はもう少し蒸らしましょうか)

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