小説 | ナノ

「アマイモン、体調はどうだ?」
「悪くないで…あ、お菓子ですー!!」
「…食べ過ぎるなよ」
「わーい」


「フェレス…先生…?」


【医師と意志】

扉を開けると、そこは別世界だった。

(ここが、特別病棟…。)

雪男は、初めて見る病棟に圧倒されていた。治療費とは別にこの特別病棟の病室には別途、部屋代が掛かるらしい。

芸能人や、政治家などが利用するその部屋は、パンフレットぐらいでしか見たことのないような重厚な家具がズラリと並び、さながら高級ホテルの一室のようだ。

「コンニチワ、奥村雪男」

そう、冷静に部屋を観察していた雪男は、こちらを見上げる少年の視線に気づくのが一瞬遅れた。

「こ、こんにちは。」

あわてて挨拶を返すが、こちらの不慣れな態度を肌で感じたのだろう。それだけで彼は読みかけの雑誌に視線を落としてしまった。途方にくれた雪男は、彼のすぐ側に腰かけていた兄の探し人の、この病棟責任者の医師に視線を落とした。

「どうかしましたか?…君の担当は1つ下のフロアだと記憶していましたが。」

にこやかに、顔だけは向けてくるこの青年医師は、白衣よりもスーツが似合う、医療よりもその経営手腕を買われてこの病院に在籍する変わり者の医者として有名だった。

それでも、数十人は居るであろう新人医師の担当フロアを把握しているのは流石である。

「いえ、兄…奥村燐の件ですが」

「ああ、
そういえば面談はまだでしたね。」

お休みのところ申し訳ありません。そう慇懃に頭を下げた雪男にメフィストは僅かに肩をすくめたようだった。

今日が兄の面談の日と言われて、だが当人のメフィスト自身が休みと知って途方にくれていた。するとどうやら彼は、休日にもこの病棟には出入りすることが多いらしい。

そう聞いてやって来た雪男である。病棟スタッフにはおそらく彼の部屋でしょう、と言われて乗り込んだ。そうして見つけた彼は白衣を着用していない。スタッフ証もPHSも身に着けていない。完全なオフの姿だった。背広に身を包んだ彼は、外来によく居る会社員か、単なる見舞い客にしか見えなかった。彼は、笑った。

「彼のことは、
面談するまでもありません。」
「え?」

面食らう雪男に、彼は笑みを浮かべたまま、しかしどことなく申し訳なさそうな顔で口を開いた。弟さんの君には悪いですが、そう前置きをして。

「彼に夜勤はまだ無理でしょう。しばらくは今まで通り研修扱いとさせて頂きます」

絶句した雪男に、彼は続けた。

「夜勤だけではありません。各病棟のローテーション期間についても少々見直し…」
「ま、待って下さい!」

予想外の言葉に、雪男は慌てて遮った。それが不快だったのか、メフィストの笑みは霧散する。言葉を重ねる度にだんだんと冷たさを増す瞳に雪男は内心戦慄した。これが皆から道化師と恐れられる所以かと思ったが雪男の言葉は止まらなかった。

「なぜです?…先の救急搬送の事例でも、兄の判断は…」
「ああ、そのことですか。」

うん、うん、と大げさに頷いてみせた彼は小さく笑ったようだった。

「たしかに彼の咄嗟の判断は悪くなかった。緊急時に時折見せる彼のセンスは悪くない。むしろ才能と言ってもいいでしょう。…空気に呑まれることもないようですし」
「では、なぜ…」

「でも、それだけだからです。」

間髪入れずに断言されて、雪男を二の句をつげないでいた。

「彼には圧倒的に経験が足りない。…ねえ、私はあの後で彼に尋ねたんですよ、どうやって判断したんですか、と。…そしたら、彼、なんて言ったと思います?」

「…わかりません」

雪男の言葉に彼は我が意を得たとばかりに目を細める。
まるで猫の様に細められた緑の瞳は雪男に無意識に手に力をこめさせた。

「…『何となく』と、彼は答えました。わかりますか、その意味が。」

絶句した雪男にやれやれと言った口調で彼は続けた。

「軽傷患者を含めても10人を超える患者を彼は『何となく』で救ってしまったんです」

そうして、彼は囁く。


「恐ろしいとは思いませんか?」と。


「科学の進歩したこの時代に彼の言い分はあまりに…ね。検査も数分も待てば結果が出ます。彼の行動は、その数分も待てなかった、行き過ぎたスタンドプレーなんですよ。分かっていても何も言わず、大人しく待っていた先輩方の面目も大いに潰したそうですし。」

ひたり、と
甘くない笑みを彼は形作った。

「彼の言い分は
あまりに命を軽視しすぎている。」








「ま、事故がなくてよかったです。
…本当に。」
最後にそれだけを言って締めくくると本当に興味が無くなったとばかりに、雑誌を読んでいた少年に顔を近づける。不思議そうに雪男と雑誌を覗き込もうとするメフィストを見比べていた少年は、やがてぽつりと呟いた。


【まるで漫画の主人公のようですね】



…仕事で実際に「なんとなく」とそう答えられて呆れ返った記憶があります。

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