「…あ、兄上。診察ですか」
「今は…先生と呼びなさい」
「………はい、あに…先生」
「………まあ、合格、だな」
カラカラと点滴台を引きずるようにして歩く少年とその担当医の姿に、周囲の看護師達はくすくすと微笑んだ。
歩くのは、高層階に位置する病棟、その廊下である。背丈は低いがよく手入れされた観葉植物が等間隔で並び、窓も大きく、他の病棟と比べ、圧倒的に病室が少ない。
そのフロアが『特別』なのだと、少年は知らなかった。
【医者と病室】
スルリと器用に帯を解いた兄の指先を眺めて、アマイモンは目を僅かに細めた。
はらり、と足下に落ちる帯。
はだけられた着物はここに入院となった際、目の前の兄が贈ってくれたものだ。今では、よく馴染んで違和感もない。アマイモンのお気に入りの一着だったりする。
そうこうしているうちに、兄の手がそっと伸びて。日焼けを知らない、薄い胸元に這う兄の指は今日も冷たい。そう思って、アマイモンは安堵した。
「…兄上の手は今日も冷たいですね」
「そうか?
…温めて来たつもりだったんだが」
「…でも、冷たいです」
「…そう言うのはお前だけだよ」
「温かくて冷たいんです、兄上の手
…ボクは好きだな」
「――……そうか。」
最近、アマイモンは謎かけのような言葉を口にするようになった。答えを聞いても悪戯が成功したかのように、小さく笑ってはぐらかされる。答えは、分からない。否、分かりそうだからこそ、分かりたくなかった。正解してしまえば、恐ろしいことが起こる気がする。言葉にするにも、想像することさえ出来ない程…怖いことが。
「…兄上?」
アマイモンの声で現実に引き戻される。いつの間にか聴診器を当てていた手が止まっていた。
ちょうど位置はアマイモンの心臓の側。規則的に打たれる心音と時折過ぎる呼吸音にメフィストは安堵した。
「…なにか気になることでも?」
小さい小さい声だったが、今のメフィストには大きく響く、それ。反響してくぐもって、不明瞭でも。それでも肺を骨を皮膚を通して…全身で問い掛けてくるその声に小さく小さくメフィストは答えた。
「…お前の音だ」
その、兄の言葉に、ほとんど吐息も同然の声で、アマイモンは応えた。
「…ボクの音は聴こえていますか?」
その言葉に、メフィストは小さく笑って、目を閉じることで答えとした。
【宛先は貴方と心臓、そうして小指】
まるで赤い糸の糸電話。
…その睦言ようだった。
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