小説 | ナノ

入学式は滞りなく進んでいく。
このまま、何事もなく終わるだろう、と無意識に考えていた雪男はふと気付いて頭を振った。何を考えているんだ。


この公衆の面前で何か仕出かす事が出来るわけがなかった…。それは相手を追い詰めることが出来ても、その後、長い目でみればどう考えても得策ではない。

それに、僕らにとっての敵はサタンやエギンの2大派閥とも言えるが、相手にとっては、僕らなど歯牙にも掛けないような小さな存在だ。


「続いてはー、理事長先生による式辞を頂きたく思います」

壇上に上がった理事長は、優雅に一礼すると朗々と祝辞を述べ始めた。初めて見る理事長としての彼に、雪男から思わず感嘆の声が漏れた。

(ちゃんと理事長しているんですね…)

「皆様におかれましては、この度我が正十字学園のご入学、誠におめでとうございます。つきましては此度の受験競争、たゆまぬ努力をー…」

軽快なテンポで進んでいた理事長の挨拶が一瞬、不自然に途切れた。

「あ、父上」

雪男が、え?と理解するよりも早く、背後を振り返った少年の無感動な声を耳は拾う。

一拍おくれて事態を飲み込んだ貴賓席、その関係者は思わず腰を浮かしそうになった。

――…ザワッ

来賓の席から始まった喧騒は、あっという間に粛々と進んでいた式典の空気を破砕した。

「魔王…!!」誰かがそう叫ぶ声がした。




【入学式経過】





コツコツと、彼等の歩く音がやけに響くようで、何事だろうと振り返ったのは雪男だけでは無かった筈だ。

見えたのはひとりの男だった。

それは精悍な顔立ちの男だった。仕立ての良い黒の背広に、胸元には青薔薇のコサージュ。ともすれば浮いてしまいそうなそれを粋に着こなしている。その背後にはそれぞれ個性的に同じような黒い背広を着こなしている青年達が続いていた。…7人。最初の男と合わせてもたった計8人の集団。その集団を見た周りの保護者達が挙って顔色を変えていく。

(あれが、魔王…僕らの父親…)

彼等は悠然と入ってきたかと思うと、未だ空席のある来賓席には座らずに出口に近い、壁に凭れることにしたようだった。



―――…キィィィ…ン

その時、雑音が入ったせいか、マイクがハウリングを起こした。突然のカン高い音に紛れた声、しかし雪男の優秀な耳は聞き取ってしまった。

聞いたことの無いような低い声で「―…一体どこまでっ」と、小さく小さく吐き捨てた理事長の声を。

しかし、それも一瞬のこと。話が止まっていたのもほんの数瞬で、すぐに普段のにこやかな笑みを浮かべた彼は悠然と挨拶を続けた。そう、まだ続く筈だっただろう祝辞を咄嗟に組み替えた彼は、決して無能ではないのだろう。

ざわめきの中、無難だけれど早々に壇上を辞した彼は滞りなく挨拶を述べて席を立つことを選択したようだった。

ぱちぱちと拍手をする集団に理事長は優雅に一礼をして見せる。その両者にあるのは種類の違う圧倒的な余裕を感じさせる態度。


問題があるとすれば、その後。学校長やPTAなどのお歴々の挨拶が散々だったことを言っておこう。

微動だにせず、拍手もない無表情。彼等が壇上を一瞥することは一度も無かった。




―しかし、式典は進んでいく。



新入生代表として挨拶を終えた僕は注意深く彼等を観察していた。そんな僕には、先程からひとつ気になることがある。

あの理事長でさえ顔色を変えたあの魔王の出現にさえ、隣の緑の少年は無表情の仮面を崩すことが無かったことだ。

今なおジッと魔王の視線に晒されていても尚、その態度に変化はない。気付いていない筈がない。理事長の態度に一瞬振り返った彼の瞳があの魔王を捉えたことを、僕は知っている。


――…気持ちが悪い。

居心地の悪さとは違う生理的な嫌悪感が足下を這い上がってくる。

おかしい。

先程から違和感が拭えない。

何故、この事態にも少年の態度は変わらないのだろうか?

何故、理事長はあれほど驚いた態度を示したのだろうか?

何故、あの男の視線は彼で固定されたままなのだろうか?

何故、理事長は終始こちらを睨んでいて視線が外れない?

それに…あの男の傍にいる青年達は一体誰なのだろうか?

知りたくもなかった。

SPはどうした?警備体制は…?
周囲は怒涛の勢いで騒いでいるが、理事長や魔王は涼しげにその喧騒を見下ろしている。その冷めた瞳がそっくりで、あの噂は本当だったのだと雪男は確信した。

彼の就任当時からまことしやかに囁かれている噂がある。

彼の理事長、ヨハン・ファウスト5世は魔王サタンの仔であると。

見れば魔王の傍に控えている青年達とも何処と無く面影が似ているような気がする。

恐らく彼らは名高い魔王の7人の息子、それも各界の王とも呼ばれる息子達なのだろう。

情報、金融、医療、政治、軍事など…。それぞれの専門分野に明るい、名の知れた彼等は別の名前で専ら呼ばれているらしい。メディア王や金融王と言った敬称を雪男は知っている。

(―…一体、何が目的なんだ)

サタン本人の登場など、学校側でさえも正に晴天の霹靂だ。サタン本人だけならまだしも、「本宅」に出入りする息子勢揃いなど聞いたこともない。

(――…皆、
この子に会いに来たんだろうか)

仮にも親子、兄弟なのだからあり得るのかも知れない。だが、サタンは子供に興味はなく冷血。その兄弟達は皆、母親が違い仲が悪いと聞く。その真意は図り知れない。


『只今をもちまして、第〇回、正十字学園入学式を閉会いたします。』

教頭先生のその言葉を待ちかねたかのように、会場の照明が一瞬、バチンと落ちた。それと同時に鳴る、隣の彼のバイブレーション。


『続きましてはー…』

彼がポケットに手を入れ、携帯の鳴動を止めた所までは見ていた。

『生徒会、自治会合同による新入生の歓迎式典を――…』

突然壇上が明るくなり、軽快な最近流行りの音楽が流れる。雪男が目を細めたその一瞬、その僅かな時に彼の姿は既に無かった。

(なっ……何処に!?)

慌てて立ち上がりかけた雪男は、貴賓席とは真逆の壁際に居る彼を見つけた。そうして彼の頭を抱き寄せる理事長の姿も。



しかしそれも一瞬のこと。薄暗い会場のせいでそう見えたのかも知れない。



再び彼の手を引いて歩き出した理事長と、その背に隠されるようにして歩く彼。その先には、魔王が居た。














その背で隠し、
厳しい顔をした理事長は睨む。

「―…お久し振りですね、父上」


[2人が戻ってくる事は遂に無かった]





魔王と八候王。

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