小説 | ナノ



僅かに開いた扉。その隙間から朗々と響いた声に僕達が目を凝らしたのは偶然だった。



「ようこそ☆正十字学園へ」



彼は、笑っていた。
少年の手を取り、その指先に恭しく唇を落として笑っていた。まるで神でも崇拝するかのような、熱狂を孕んだ、でも、とても幸せそうな、瞳で。





【入学式開幕】








「―…行ったか」

「何がですか?」

目の前でカクン、と首を傾げた弟に笑いかける。陰を含んだそれを誤魔化すように、頭を撫でてやると、キョトンとした後にその水色の瞳を細めた。

「―…兄上?」

「なんでもない」

頭を振って、その頬に手を下ろすと弟はまるで甘えるように擦り寄せてきた。

嗚呼、猫のようだ…なんて、頬が緩む。


「だが、そろそろ行かねばな」

時計はすでに8時40分を指していた。

「2、3紹介したい人物が居たがまぁ、また引き合わせるとしよう…アマイモン」

「ハイ、兄上」

立ち上がった僕の目の前には兄上の手。

「…おいで」













理事長に手を引かれる形で講堂に入ってきた少年に、僕は周囲が一瞬静まったように錯覚した。しかしそれも一瞬で、すぐさまそれ以上の喧騒にのみ込まれたのだけど。

「きゃー」「あれ誰?」「どこの生徒」「きれいな緑色…」「外人?」「目、水色じゃね」「あれ今朝の」「今朝?」「ええ理事長先生が…」「あれが」「なぜ」「…、…?」

周囲のざわめきに足を止めて、少年は首を傾げたようだった。理事長はこの喧騒に頭痛を耐えるような顔で額に手を当てている。

慌てて担任の先生達が静まるようにと口を揃えて言うけれど、効果は薄いようだった。相手は好奇心旺盛な子供だ。


「ああ奥村君、丁度良かった」

僕に気づいた理事長が彼の手を引いてこちらに歩いてくる。するとその会話を聞こうと周囲は僅かに静かになった。もう苦笑するしかない。

彼の話は簡潔だった。入学式中は、僕の後ろ、つまりは列の最後尾に並ばせて欲しいと。新入生代表の答辞を述べる僕は、1年生の最後尾にいた。

今日転入してきたと聞いて快諾した僕は、彼の名札を確認して見事に硬直することになった。一方的にではあるが、よく見知った名前だったのだ。



(アマイモン…この少年が?)



そう驚くと同時に、先程目撃したことを思い出していた。ドアの隙間から見えた指先、彼がその持ち主なのだと。

理事長の、1度も僕らの前では外すことのなかった手袋。それを外した素手を、この少年は知っている。

そう思うと、先程の現場を目撃してしまった気まずさと相手の悪さに、背筋にイヤな汗が流れた。硬直する僕を彼らはどう思ったのか。

「Bis heute abend」
「―…Bis gleich.」

では、と離れる理事長の袖を掴んだ少年は短く僕の知らない言葉を話した。思わず咄嗟に出た、と言った言語に理事長は目を丸くすると穏やかな声で少年の頭を撫でた。ほっとしたように肩を下ろした少年の表情は、背後からは見えない。

仲がいいんだな。そう思ったのは僕だけじゃない筈だ。でも、胸のどこかがピリピリと痛む気がするのは気のせいじゃない。視線を感じて振り向けば、人混みの向こう、兄さんと目が合った。兄さんは遠目にも明白に顔を歪めて僕と、彼と、理事長を見ている。それは嫉妬、のようにも見えた。


でも、僕のこの感情は嫉妬じゃない。嫉妬するほど、僕はあの理事長のことをよく知らない。

養父の友人だと言う彼は、何かと僕らを気にはかけてくれていたけれど。度々、僕らの住んでいた教会に現れては養父とお茶を飲んでいく彼が、この学園都市の最高権力者だと知ったのもつい最近のことだ。

ただひとつ分かることは…僕は、この少年を警戒している。それだけだ。

同じ父親を持つー…この、少年を。

アマイモン。名前だけは知っていた。よくあの祖父を名乗る老人から聞かされていた。あの魔王の子供。その子供の中でも特に寵愛されている人物のひとりだと。

彼は言う、その子供は僕らと同じ歳の子なのだと。少年なのだと。それは暗に同じ立場なのに、と僕らを責め続ける、呪いの言葉だった。

そして、僕らの立場は微妙だ。
母はエギンの娘で、父親と僕らの祖父は対立関係にある。父と母に何があったのかは知らない。ただ隠されるように育てられて、養父の名前は藤本で、母の姓はエギンで、僕らは奥村を名乗っている。その実の、アマイモンの父親には、会ったことはない。


当時、幼かった僕には理解できない事だったが。…今になれば、祖父が嫌悪していた気持ちも分かる。いい気はしないだろう、同時期にふたりの女を孕ませるような男の、僕らは明らかに不義の子だったのだから。

僕は母に似て、兄は父に似ているらしい。そして僕らは双子だった。時々、母は会いに来てくれるがそれでも一緒に暮らしている訳でもない。四六時中、守ってもらえる筈もなく、僕や兄さんに対する風当たりには厳しいものがある。

それでも、幼かった頃から兄さんは僕を守ろうと…僕らを馬鹿にした相手と喧嘩をしたり、庇ってくれたりしたものだけど。

『奥村君、覚えておいて下さい。ここでは親という切り札は使えません☆』

あの道化師のような理事長の言葉が甦る。僕らの親は強力な力を持つが、容易には決して使えない。その重すぎる武器は使えば強いが、使ったが最後、僕らの首を絞めることになることを、僕は知っている。哀れな末路を辿った者達を僕は具(ツブサ)に見てきた。

頭の良さには自信がある。
首席入学は僕らにとって武器になる筈だ。上手く立ち回れば、僕らは平穏に過ごせる…あの祖父の監視の届かない、この学園の中で。

『キミ達には親の権力とはまた別の、力を手に入れて欲しいものですな☆』


親の権力。それはあの少年も同様の筈だが、使い勝手は明らかに相手の方が上だろう。

今までは別の学校に通っていたらしい。それが今さらになっての入学。この学園都市の学校は基本エスカレーター式で外からの入学者などほとんど居ない。祖父の側近の人達から彼の入学を聞いたのはほんの数日前のことだ。祖父をはじめ、上の人達がその真意を図りかねているのは明らかだった。

まさに晴天の霹靂。慌てふためく祖父達を見るのは実に痛快だったけど。

その真意を、サタンの動向を探れ、と内々に僕に話が来たのもその時だ。兄にも、知らせていない。面倒事は僕ひとりで充分だった。


「あの…不安だったら僕の背中を掴んだらいいよ…って、日本語分かる?」

「ワカリマシタ」

その言葉に頷いて、僕は彼に背を向けた。その背を見上げて少年は笑う。それを待っていたかの様に、さざめく人波に開幕のベルが鳴った。





「「さあ、楽しいお遊戯はこれからだ」」




異口同音に同時刻、良く似た容貌で兄も嗤っていたことを舞い散る桜だけがしっている。





『これより第〇回正十字学園高等部』
『入学式を挙行致します』





†開幕はすぐそこ†



















Bis heute abend(また今夜)
Bis gleich.(またすぐ後で)



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