小説 | ナノ

AM 8:10


「まあ、そこに座れ」

そう言われたソファーは肌触りが良かった。そういえばさっきの職員室のソファーは革製だったけど硬いだけだったな。と、そんなとりとめの無いこと考えていたアマイモンは目の前に差し出された紅茶に目を瞬いた。

「兄上…?」

「お前の好きなフレーバーだ。
―…飲めば多少は温まる」


通された部屋は『理事長室』

その前には職員室にも行ったけどほとんど兄上の背中に隠れる形になってしまって先生達の姿は見えていなかった。先生達を相手に話す兄上はとても饒舌でやっぱり家や父上を前にする時とは違うんだな、とボクはぼんやりと思っていた。

結局職員室に居たのは本当に少しの時間で、話の内容はほとんど理解出来なかった。事務手続きのような話だったように思う。

次に連れられたのが理事長室。

どうやら兄は日中はここか、自宅の執務室に居られるらしい。

「何かあれば来なさい」と

そう言われたけれど、実際問題この学園都市の最高権力者が出ないといけないような事態にだけは遭遇したくないと切実に思う。

「兄上…僕は面倒事がキライです」

「まあ、そうだろうな」

「起こるんですか?…面倒事。」

「ああ、起こるだろう」


冷えた指先を茶器で温めていたらそんなことをあっさりと言われて僕は困惑した。

兄上が僕を気にかけてくれるのは嬉しいが、面倒事は嬉しくない。父上の力で何とかならないかな、なんて考えていた僕を見透かしたのだろう兄上は釘を刺してきた。


「父上には頼るなよ。退学は許さん」

「はあ…」

「あと父上の話も控えたほうが良い。」

「そのエギン派の子息とやらに監視でもされるんですか?」

どうやら窮屈な学校生活になりそうだ、と僕は無意識に爪を噛もうとしていたらしい。兄上に手首を掴まれて、その指先は唇をなぞっただけで離れてしまった。


「サタン派は一丸岩ではない」

「つまり?」

「あの男の妾腹の子供達も油断ならないと言うことだ。現正妻嫡子、アマイモン殿?」

そう言って不敵に笑う。そんな兄上に僕は不機嫌を隠さなかった。

「僕がその敬称で呼ばれることを好まないのは良くご存知なのでは?…前正妻、我等が長子、メフィスト・フェレス殿。」

「…長子、か」

「便宜上は″そう″であると聞いていましたが?」

「…ふん、随分と他人行儀な事だ」

「最初にそのような態度を取られたのは兄上です。…ルシ「その名を口にするのは許さん」

重ねるように言葉を遮られた不愉快に、自然と眉が寄った。今までの笑みを消し、途端に不機嫌な声音になった兄上に僕は肩をすくめただけで何も返さない。

それは、奇妙な沈黙だった。

「…………。
お前でなければ手を上げていたぞ」

お互い様だ、と言った感じで苦笑し合った僕らは兄上の言葉を皮切りに、次の瞬間には平静に戻っている。

「ああ、手に力が入ったか」

兄に指摘されて視線を落とすと、先程まで掴まれていた手首が兄の指の形に赤くなっていた。もう暫くすると痣なってくるかも知れない。

「ああ、じきに消えますよ」

そう答えたら深いため息が落ちてきて、咄嗟に上を向いたら兄上の顔がすぐ至近距離にあって驚いた。

まさか僕が顔を上げるとは思わなかったのだろう。お互いに目を丸くしながらも僕は首を傾げた。

「直に痣になるぞ、アマイモン」

そうして掲げられた救急箱に、僕は大げさだなあ、とここに来て漸く笑みらしい笑みを浮かべることができたようだった。

そんな僕を見て、兄上が小さく笑う。

「ほら、手当てをしてやろう」

対面のソファーから、すぐ隣に座った兄上は僕の手首に湿布を貼って、取れないようにと丁寧に包帯を巻いてくれた。

何だか大げさな怪我になってしまった気がするが、医療用ネットが無いのだから仕方ない。とは兄上の言。

「相変わらず兄上は器用ですね」

「お前が不器用過ぎるんだ。礼儀作法や駆け引きだってやれば出来―…」


そこで兄上は何かを思いついたようだ。不自然に言葉が途切れた。

「ああ、父上の家からの通学も駄目だな。これからは私の家から通うといい」

「…は?」

いきなりの話と申し出に驚いた僕に兄上は不機嫌になったようだ。憮然と僕を見下ろしている。

「さっきも言っただろう。
父上とエギンは敵対関係だ」

「え?…ああ、ハイ」

「寮なら良いかとも思ったがかえって勘繰られるだけになるな。お前も疲れるだけだろう。」

寮は個室とはいえ、集団生活に耐性はないだろう?そう言われてしまえば僕は頷くしかない。

「家からの通学は?」

「不在が殆んどとはいえ仮にも本宅。何より遠方だし、通学中に何かあればそれこそ国際問題だ」

「あー…父上、
今はミラノだそうですね」

「ならば尚更
…私の手の届くところに居ろ」

それがお互いのためだと言われてしまえば僕は納得するしかない。

「お世話になります」

そう言うと「ようこそ☆正十字学園へ」と優雅に一礼されて、訳も分からないままに僕は頷いたのだった。





[novel-top]