小説 | ナノ

入学式当日。
僕は庭園でしか会ったことのない兄上と久しぶりに再会した。

桜並木の下、
白いケープ付きのコートが翻る。



ヨハン・ファウスト5世

そう名乗った彼は
僕に見えるように人差し指を立ててみせるとそっと手を引いて歩き出した。

僕のような待遇は珍しいのだろうか。

あたりの衆目を集めつつも、ゆっくりとした歩調で校舎に向かう兄上に僕は首を傾げた。

「兄上のお名前はメフィスト・フェレスではないのですか?」

「便宜上、ここではファウストを名乗っている。エギン派の子息もこの正十字学園は多い。」

「エギン派?」

1歩分先を歩いていた兄上が僕の隣に並んだ。僕は自然と兄上を見上げる形になる。

「父上の自称宿敵、か?
まあ…絵に描いたような小物だが用心に越したことはない。余計な波風は面倒なだけだ」

「ここお金持ちの子供達ばかりで、警備も万全だと父上は言ってましたが」

「当然☆」

急にトーンが高くなった声に驚いて足を止めると、そのすぐ横を生徒の一団が通りすぎた。

「理事長先生おはようございますー」そんな声がずっと遠くから聞こえるようだ。


嗚呼、御早う。そう顔は、声は、笑みを浮かべているのに。

僕から外されることのない視線は。

不思議な昏さを湛えた瞳が揺らめく。


結局、
兄は生徒を一瞥する事もなかった。



「…あ」

「この学園には、どれ程の権力者であろうとも私の許可なく立ち入ることは出来ない。例え父上でも、だ」


入れば生徒の出入りも基本的に禁止と言う、兄は僕をじっと見下ろしていた。何故か、その目がこわい、とそう思った。


「この学園は生徒自身の自助や自立、
学園自治などを謳っている。そんな学舎において過干渉な親なぞただの害悪だろう?」




まだ硬直したままの僕を見て、
兄上は苦笑したようだった。

「その感受性の強さは相変わらずか?感度が良すぎて逆に無表情とは余り感心出来ないぞ」


ぎゅっと冷えた僕の指先を温めるように握り直して、兄上は再び歩き始める。



しかし、覚えておけ。

「それ故に、ここは世界の縮図だ」




兄上のその声は
ずっと小さなものだったのに、
ずっと耳に残るものだった。


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