黒い天使
「嫌だ」
ぽつりぽつりと呟く。
「逝きたくないの」
白いカーテンが揺れる。
「逝きたくなんか無いわ」
かたん、と。
風の所為で写真立てが倒れた。
■□■□■
私の前に真っ黒なコートを着た彼が現れた。
風のように、暗闇のように。
「えと、あんたが仄(ホノカ)だね?」
「そうだけど。貴方は誰?」
彼は腰に手を当てる。
「俺様は天使のゼンだ」
「黒いのに?」
「俺様の心は純白さ」
キラキラ瞳を輝かせて言われた。
「…そうですか」
「そうだ。親しみを込めてゼン様と呼べ」
嫌だよ。
「…で、そのゼン様が私に何の用?」
「お迎えに来たんだ。行こうぜ」
ゼンは手をさしのべてくる。
「何処に?」
「俺が来たってことは分かるだろ?」
わかりません。
…わかるけど。
「仄、あんたもうすぐ死ぬんだ。だから迎えに来た」
「嫌だ」
ぽつりと呟く。
「うん?」
「逝きたくないの」
「そんなこと言われても…」
困るんだよな、と頭を掻く。
「逝きたくなんか無いわ」
「…困るんだよな」
ゼンは机にひょいと座る。
写真立てが倒れた。
「うわっ、倒しちまった」
彼は写真立てを元に戻す。
私と、彼氏の写真の入った写真立てを。
「仄、あんた彼氏居たのか」
「もう、居ないけどね」
あははと笑う。
「居ない?」
こくんと頷く。
ゼンは首を傾げた。
「一ヶ月前に、死んじゃった」
そういうと、ゼンは急に焦り出して。
少し笑ってしまった。
「俺様、そんなの知らなくて…ってなんで笑うんだよ」
「ゼン様優しいね」
「んなことねぇよ」
照れて赤くなる。
天使でも赤くなるんだ。
「あの人の分まで生きようと思ったんだけど」
無理みたいだね、と自嘲的に笑う。
「…ごめんな、迎えに来て」
「仕方ないよ……逝こう?」
ゼンの手を握る。
「…良いのか?」
「うん。あの人、寂しがり屋さんなの」
「…そっか」
手を握り返される。
ゼンはニッコリ微笑んだ。
「じゃあ逝こうぜ」
「うん」
黒い天使に手を引かれて。
体が軽くなるのを感じた。
そのまま昇って。
もうすぐ逢えるから。
…待ってて。
+++++
死神のように黒いけれどほんとうは誰よりも優しい天使のおはなし。
2006.3.25
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