はなびらことば
その子供は散った花びらを集めている。地面に落ちたそれらを拾っては握りしめている。顔はしゃがんでいるので見えない。何枚か握ったところで子供は満足そうに立ち上がり、こちらへ駆けて来る。わたしは思わず顔を逸らした。
彼女を見てはいけないのだ。
見てしまえばわたしは戻らなくてはならなくなる。
……何処に?
自問自答を繰り返しているわたしの前でその子供は止まり、わたしの固く握った左手を触った。
止してくれ。
花びらを貰えばわたしは戻らなくてはならなくなる。
わたしは戻りたくないのだ。
……何処に?
わたしの左手は子供特有のふくよかな指先によっていとも簡単に開かれる。子供はわたしの掌に一枚ずつ花びらをのせていく。
さくら
よめな
うめ
なでしこ
らいらっく。
それがすべてだった。
子供はわたしに何か言った。その無邪気な声に、気づけばわたしは彼女の顔を見てしまっていた。
彼女はわたしであった。
彼女は無邪気に笑うと、わたしに背を向けて駆け出した。いつの間にか目前に広がっていた川を駆けて水と戯れながら向こう岸へと近づいていく。
待ってくれ。
わたしを置いていかないで。
わたしは彼女を追いかけた。しかしどれだけ走っても川にたどり着けない。川は目前にあるのに、どうしても川の中に入れないのだ。
わたしは知らぬうちに花びらを握りしめていた。その手を解くと、あの時とは違う花びらが五枚、わたしの掌の中でうごめいている。その花びらの意味はすぐに解った。
ああ、それはわたしが言いたかったことだ。
口に出そうにも彼女はもう居ない。だからわたしは花びらを一枚ずつ川へ流した。ゆっくりと一枚一枚丁寧に浮かべていく。
あやめ
りりー
がいらるでぃあ
とけいそう
うつぎ。
花びらは一直線に流れていく。すべてが彼女の元にたどり着くだろう。
わたしはそれを見送りながら自然と微笑んでいた。
はなびらことば
(向こう岸のわたしは無邪気に喜んでいる気がした)
+ + +
子供から大人になる話。
2010.03.26
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