20/10/05/Mon
正直序盤は何にも考えずに書いているのでそんなに意識していること、というのは無いのですがとりあえず今回狂愛もの書いてみようと着手したのでその描写続いております。

そして違法マイク!もう二次創作における魔法の存在ですね。これさえあればなんやかんやで説明がついちゃう。だって違法なマイクだから笑

さて、一二三の食らったマイクが何だったかと言うと『自分の無意識の内に押し込めていた欲望を意識の内に呼び起こす』マイクです。

難しいですね。実はこの話、人間の精神構造を一二三の人格と絡めた形で落とし込んでいます。

人間の精神構造には、本能的な欲求、欲望のまま行動したい本能があり(idといいます。我儘な子供みたいなものですね)、その無意識下にある本能を善悪の判断を行い理性を担う超自我という存在があり、その理性と本能を調整する自我という3つの構造で成り立っているとされています。

本来、本能は無意識の内側にあり、そのまま行動してしまえば社会的に許されないようなことも平気でしてしまうことになりかねない。そこで登場するのが社会規範や倫理観といった理性の存在。けれどやっぱり自分の好きなことをしたいのに押さえつけられてばかりじゃ辛いから、それを自我というものがうまく調整してくれる。

という前提があり今回の一二三さんがいる訳です。今回呼び起こされた一二三さんの中の無意識の欲望は、『好きな子を支配したい』ということ。それが違法マイクを食らったホストモードの一二三の意識に浮上していた状態。それが治療を受けるまでの彼の精神状態です。

具体的な本能の内容は『君を好きになった理由』で語られていた最後の子供の時の彼の欲求そのものですね。

ですがどうして最後の最後で治療を受けたにも関わらず、ホストモードでもないのに彼が彼女を支配することに囚われていたのか?

今回の違法マイクは『自分の無意識の内に押し込めていた欲望を意識の内に呼び起こす』マイク。つまりは欲望を意識の内に呼び起こしただけで理性には何ら影響を与えていないんですよね。え、じゃあ何を治療したの?ってなると思うんですけど、食らったのがホストモードの一二三で、その人格の中だけで欲望が浮上している。つまりは素の方は意識の内ではまだその欲望が眠っている状態。素でいるときとホストでいるときのその差分が、人格の分断に影響を及ぼしていたので、寂雷がやったのはその人格を統合すること。最終的に素の方まで本能的な欲求を思い出してしまったわけですね。と、いうわけでこの小説内での一二三さんは元からサイコパスであること前提で書かれています。最初から最後まで彼、実は反省してません。最後あんなにしおらしくしてたのに。怖いですね。先生もどぽちんも騙されちゃったんだな。だって本人も勘違いしていた違法マイクの効用は『マイクによって理性を失わせる』ことだと思っていたから。素の一二三も彼女に会う前はそう考えて治ったって思っていたけれど、彼女と直接会ってみたらあ、これ普通に彼女が欲しいやつだって途中から気づいてくる。元からサイコパスだからマイクの問題じゃなくて本人の問題なのです。

あとちょっとだけ意識しているのは過去と現在とリンクしている描写があること。

メンヘラさんが振りかざした包丁と、ガキ大将が振りかざしたホウキの描写がかぶってるとか。

それで子供の時守れなかった自分とちゃんと守れた自分の対比を示していたり。

子供の時見惚れた瞳と大人になった彼女の潤んだ瞳がかぶるとか。ちなみにこの小説内の彼は彼女のこの顔が1番好き。だからあわよくば気持ちよくして鳴かせたいし、泣かせたい。ドSですね。

余談ですが、籠女の読み方は『かごめ』

何か思い出しませんか?童謡です。

かごめ かごめ

かごのなかのとりは

いついつでやる

ってやつです。彼も言っていましたね。
鳥籠の中の鳥は、籠の中にいる限りは無傷でいられるでしょう?と。考えてることがサイコパス。

これも結構意味深い童謡ですので、いつかこれも題材に何か書けたらいいなと思っています。今回は表面だけさらっと取っただけなので。

最後あたりこんな感じで考えながら書いておりました。私は一切紙にも起こさず、流れもプロットも全て頭で考えたことを直接打ち込む人間なので割と矛盾だらけだと思うのですけれど、こんなダラダラとした解説までお読みいただいた方は最後までお付き合い頂きまして本当にありがとうございます。お陰様で完結出来ました。

またこのタイプの小説の別キャラでリク頂いているので、今度はそちらの準備を進めていきますね。それでは!