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ほどなくして拓磨達を乗せた車は指定されたビジネスホテルの地下駐車場へと滑り込んで行く。拓磨は伊達眼鏡に搭載された機能のスイッチを入れると、次に首に掛けていた右腕を吊るす三角巾を外す。

「大丈夫なのか」

ギプスと包帯で覆われたままの右腕を伸ばし、動きを確認する拓磨に大和から厳しい眼差しが投げられる。

「無茶はしない。ただこのまま吊ってると格好がつかねぇし、いざっていう時にも自由が利かないからな」

例えハッタリでも敵に弱味は見せたくない。

「とはいえ、流石にギプスまでは外せないな」

「当たり前だ、馬鹿。そんなことしようものなら俺はお前を気絶させてでも置いていく」

酷い言われように拓磨は小さく苦笑を浮かべる。大和なら本当に実行に移しかねない。

「お前には敵いそうにねぇな…」

「頼もしいだろう」

珍しく頬を緩めて大和が笑う。浮かべられた不敵な微笑に、自然と重なった視線に、拓磨もゆるりと口許を緩める。

「あぁ、頼りにしてる」

そして、僅かに緩んだ気を引き締める様に花菱が到着を告げた。








「花菱はここで待機だ。お前らは外に回れ」

花菱の部下が車のドアを開け、続いてもう一人の部下。大和が降りて最後に拓磨が降りながら指示を出す。

「無線のスイッチは常に入れておけ。良いな」

部下二人は無言で頷き返し、花菱からも短く了解と返事が返される。静かに車のドアを閉めた部下は黒ずくめの格好を利用し、地下駐車場の薄暗い中を極力足音も立てずに姿を消すようにして去って行く。
大和が先に歩き出し、数歩進んだ所で拓磨を振り返る。目線で人影の存在を告げてきた。
薄暗い中にあって唯一そこだけが光源を集めたかのように明るい。地下駐車場からホテルの中へ通じる扉がある場所だ。
その扉の真横に警備員にしては何かを警戒しピリピリし過ぎている、大柄のスーツ姿の男が直立不動の姿勢で立っていた。

「どうする」

囁くような声で投げられた問いに、拓磨は小さく首を横に振る。

「まだ早い。ーー花菱、後で始末しておけ」

ひっそりと囁かれた声でさえも高性能な集音器を内蔵している改造眼鏡は、聞き漏らすこと無く拾い上げ、無線を持っている面々に指示を届ける。
歩く足音を消すこともなく近付いてくる二人に男が気付き、鋭い眼差しが二人へと向けられる。男は五十代前半位か、厳めしい顔つきに警戒の色を滲ませたまま口を開いた。

「お前が…後藤か?」

確認の様な誰何に、冷え冷えとした声が応える。

「人を呼び出しておきながら随分な台詞だな。そんなんじゃ先が思いやられるぜ」

「なんだと?」

始めから喧嘩腰な大和の言葉に男は眉を吊り上げる。その様子を、大和を止めるでも無く、拓磨は無感情な瞳で相手を観察していた。

「何か?俺達に用があるのはそちらだろう?それとも…用が無いなら俺達は帰らせてもらっても構わないんだ」

「っ、待て!俺はただ、後藤かどうかの確認をだな…」

「するまでもない。正真正銘、本人だ」

こんな所に来てまで嘘を吐く馬鹿がいるかと、冷ややかな表情を変えずに大和は目の前の男をひたりと見据える。
地下駐車場故か元より夏の蒸し暑さは幾分か和らいでいたが、大和に見据えられた男はそれとは別種の寒気を感じてぶるりと小さく身を震わせた。

「わ、分かった。お前が後藤だな」

男は大和を見て頷くと、予め言い含められていたのだろう、会談場所へ行く様に促してくる。

「若頭はエレベーターで上がって一階の、すぐ左手側にある部屋で待っている」

「そうか」

「…ところで、お前の護衛は一人か?」

無事に鴉の総長を出迎え、会談先への案内という大役も半分終わりに近くなって漸く男も余裕を取り戻してきたのか、男の意識が周囲へと向けられる。だが、そこでも拓磨が口を開くことはない。

「一人で十分。そちらが何を考えてるかは知らないが、俺達は別に戦争をしに来たわけじゃない」

「む。それもそうだな」

「もう行っていいな」

「あ、あぁ。くれぐれも粗相のねぇようにしろよ」

どうにも上からの物言いが抜けない男の態度にうっすらと淡く大和の口許に冷笑が浮かぶ。どっちがだと、あまり己の立場を理解していない男に唇だけが動いた。その音にしなかった言葉を拓磨だけが読んでいた。
傍目には分かりにくいが引田達が引き起こした一連の騒動について大和にも思うところがあるようだった。

扉から離れた男の前を通り、男が守っていた鉄製の扉を大和が手前に引いて開ける。目線で促されて、大和が扉を支えている間に拓磨は先に通路へと足を踏み入れる。その後に大和が扉を潜り抜け、数歩進んだ所で鉄製の扉が閉まる音がした。

「中に見張りは無しか」

扉から少し離れた場所で大和が口を開く。

「上にいるんだろう。それよりわざと誤認させたな」

あの男は大和のことを後藤だと認識したに違いない。しかし、大和が自ら名乗ったわけではないので嘘偽りは何一つしていないことになる。…が、その名一つで危険度が上がることは間違いがない。
拓磨の隣に並び、その真意を問うのに混ぜられた心配を感じ取って大和は肩を竦める。

「そう怒るな。少し嫌がらせをしただけだ」

「嫌がらせで済むことか?」

それにしてはリスクが高いだろう。

「向こうから被った被害に比べれば可愛いものだろ」

心底そう思っているのか大和は酷薄な笑みを覗かせる。

「この先にいる相手にはそうはいかないだろうが、あぁいった奴らにわざわざお前の顔を知らせる必要はない」

お前だけに負担は負わせない。
続いた言葉は大和の心の中だけで消えていった。

間もなくして上階へと通じるエレベータの前に辿り着き、二人は足を止めた。ボタンに手を伸ばす前に先程得た情報を簡単に共有しておく。

「向こうも時間が無いことには気付いてるようだな。お前の挑発にも乗ってこない。それだけ焦ってるのか。俺に会いたいって言葉は嘘じゃなさそうだ」

「今の所、敵対の意思はみられないが…油断は禁物だ。…拓磨の合図で何時でも動ける様にはしておけ」

通信機を通じて情報は拡散される。地下駐車場で待機する花菱。ビジネスホテルの外側へと回った部下二人。引田のいる組事務所付近で待機するチーム。港の倉庫街に身を潜めて待機するチーム。それら全てを把握し、俯瞰する小田桐の情報部隊。

会談の行方次第で、言い逃れが出来ぬ物証を組事務所に投げ入れ、警察を介入させる。組と警察を衝突させたら、鴉はその混乱に乗じて速やかに撤退する。

大和の指先がエレベータの乗場ボタンを押す。籠はその場で停止していたのか、扉は直ぐに開き、二人はエレベータに乗り込んだ。そして、エレベータは数秒と掛からずに二人を上階へと運ぶ。

エレベータを降りて右手側に正面玄関があり、ロビーが用意されている。ただし、この階にフロントは無く、大会議室や小会議室、ミーティングルーム。正面玄関とは真逆の位置にレストランが配置されており、宿泊者は二階から上の階を利用するような造りになっていた。フロントは二階にあり、このビジネスホテルは宿泊のみならず、一階のフロアを会議の場所として広く公共に提供していた。
エレベータを降りた二人は絨毯の敷かれた床を踏み締めると、視線だけで周囲の様子を確認する。右手側のロビーにスーツ姿の男が二人、向かい合ったソファーに腰を掛けている。纏う雰囲気や相貌から組の関係者だと窺える。
また、すぐ正面の部屋の扉には会議室1のプレート。左の壁沿いには観葉植物の鉢が二つと自動販売機、ゴミ入れと給水機が並び、僅かに先を行く大和がその角を左に曲がった。
レストランへと続く奥の通路には、これまたスーツ姿の男が二人。新たに現れた右手側の扉には会議室2の文字。左手側に現れた扉には何も書かれていないプレートが嵌め込まれており、その扉の横に、重苦しいこの場には不似合いなほど明るい柄物の半袖シャツを着た男が一人立っていた。

黒髪を後ろに流すように撫で付けた、狐を連想させるような細面の男。容貌は若く、二十代半ば。二人が近付いてきたのに気付くと、男は糸目を細めて口を開く。

「ご足労願って悪いね」

軽い物言いで言いながら男は真っ直ぐに拓磨へと視線を向ける。その事実に大和は微かに眉を寄せ、柄シャツの男を頭の天辺から靴先まで観察する様に視線を動かす。柄シャツの男は大和の視線に気付きながらも不快感も見せず、拓磨から視線を外すと扉を二度、ノックした。

「鴉のお客人が到着しました」

その声を受けて、内側から扉が開く。
がっしりとした体型で襟元を寛げたスーツ姿の大男が室内から現れ、ドアノブを掴んだまま視線を下に落とした。
そして、拓磨と大和の姿を鋭い眼光で検分すると「入れ」と一言、入室を促して道を開けた。

部屋の中はそれほど広くはなく、中央に長方形のテーブルが一つ。入って左手側にホワイトボード、右側には観葉植物と簡易なドリンクバー。会談の場として使うには簡素な部屋だが、その分外部には気付かれにくい。窓も一つしかなく、その窓の前には護衛と思わしきスーツ姿の男が一人立っていた。
室内の間取りや配置を素早く確認した大和は最後に手前のテーブルに視線を戻し、室内で一番存在感を放つ男を警戒した眼差しで見据える。
そこには短く刈られた黒髪に鋭い顔つき、五十代位の男が椅子に座っていた。その人物こそが緒形 勇仁であろう。背後には気配を抑えた男が一人控える様に立っている。

護衛の男達の警戒するような視線が二人に向けられる。
先に室内に足を踏み入れた大和は警戒を解かないままに、数歩足を進めてから、拓磨に道を譲るように横に一歩ずれて足を止めた。
道を譲られた拓磨は集中する視線の中、堂々とした足取りで大和の横を通ると先に着席している人物の向かい側の席に足を向けた。
すると椅子に座ったまま微動だにしなかった男がゆっくりと椅子から立ち上がる。
正面にやって来た拓磨と視線を合わせ、その姿を自身の目で確認すると徐に口を開いた。

「この度は会談に応じてくれたこと、深く感謝する。…私が緒形 勇仁だ」

深い声色には実年齢よりも重い貫禄がある。
どうやら緒形は下っ端連中とは違い、自分達が不利な立場にいることをよくよく理解し、その有能さ故に事の重大さにも気付いている様子だった。
鋭さを湛えた緒形の顔には若干の疲れの色が見てとれた。
だからといって拓磨が手を抜く理由はない。

相手の名乗りに応じて拓磨は短く答える。

「鴉の後藤だ。後ろのは俺の護衛だ」

大和は拓磨の斜め後ろに立ち、視線を向けてきた緒形には沈黙で返す。

両者が席に付き、会談は静かに始まった。

 



「まず先に謝罪をさせて欲しい。申し訳無かった。まさかアレが堅気を巻き込むとは」

言いながら椅子に座ったまま緒形が頭を下げる。これは事前に周知されていたのか組の護衛達が動揺する様子は見られない。
拓磨は下げられた頭を感情を読ませない冷淡な眼差しで眺め、頭を上げさせる。

「アンタのその気持ちは受け取っておく。が、どう始末をつけるかは別問題だ」

「重々承知している。先にそちらの要求を聞こう」

頭を上げた緒形と拓磨の視線がぶつかる。
先にと言ってきた緒形に拓磨は瞳を細め、試すように言葉を投げる。

「熊井組の解散だと言ったら?」

「それは承服しかねる」

「それならアンタ達はどこまで譲歩出来るんだ?こっちはアンタの所の人間に、片手の指じゃ足りないほどチームを潰されてるんだ」

拓磨は自分達の手で潰したチームの損害も素知らぬ振りで相手に被せ、緒形に問う。

「アンタが手打ちにしたいと考えてるなら、こちらと同等の痛みを負うべきだろう?」

「……ならば尚更、組の解散は有り得ない。鴉という組織は今も存続している」

現に目の前にと、緒形は拓磨を見据える。
ピリピリとした肌を突き刺さす様な空気が二人の間を走る。

「それはただの結果論だな」

「そうかもしれないが、…事実には変わりない」

唇を歪め、吐き捨てる様に言った拓磨に緒形は怯むこと無く毅然とした態度で切り返す。
そして、緒形は言葉を続けた。

「引田の身柄をそちらに引き渡す。舎弟の浅野は姿を消してるが、そちらで確保しているのだろう?」

投げられた視線に拓磨は無言で返す。

「既に二人は組の人間ではない。そちらで好きに処分してくれて構わない。私達が報復に動くことも、決してないと約束しよう」

「……それで?」

短い沈黙の後、レンズ越しで温度を感じさせない双眸で拓磨は話の先を促す。今はテーブルで遮られて見えなくなっているが、緒形は一度拓磨の右腕に巻かれていた包帯のあたりに視線を流し、それから拓磨と目を合わせる。

「この一件でかかった治療費も迷惑料として出そう」

それでどうか引いて欲しいと、緒形側にしてみれば最大限の譲歩である。
なにせ組の幹部の一人である引田とその舎弟浅野の身柄を無条件で引き渡すと言う上に、迷惑料と言う名の賠償金まで支払うと言うのだ。裏の人間から見ても破格の対応といえるだろう。熊井組にとっては何の利もなく、むしろ金が出て行くだけなのだ。
しかし、

「交渉は決裂だ」

拓磨は緒形の提示した条件を一蹴した。

「なっ!」

緒形が目を見開く。いきなりの宣告に組の護衛達も動揺をみせる。唯一大和だけが微動だにせず、成り行きを静観している。

「どういうことだ?引田の身柄が欲しいのではないのか?」

勝手に立てた推測の上、話を進めてきた緒形達に拓磨は冷笑を浮かべる。

「引田達を処分するのは当然だろう。でも、それはわざわざ俺達がする必要もない。そこはアンタ達の誠意の見せ所だろう?」

何故、俺達が組のゴミを片付けねばならないのか。既に組の人間で無くなったというなら尚更、俺達が片付けた所で熊井組は何の傷も負わない。

「金にしても必要ない。汚い金はいつか自分の首を締めるだけだ」

元より、ヤクザの金など信用に値しない。金を貰って妙な縁が出来ても困る。

「では、何なら応じると言うんだ…?」

再び緊張が室内を支配する。
拓磨の要求次第では不穏な空気を纏い始めた組の護衛達が動くだろう。大和は微かな空気の変化を感じとり、後方へ半歩足を引く。すぐさま対応出来るように空間を取り、話の主導権を握った拓磨と焦りの色を滲ませた緒形との会談の結末を待った。


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