06


「チッ、やってくれたぜマキの奴!拓磨だけじゃなく鴉も巻き込んできたか」

予想をしていなかったわけじゃない。それでも最悪な展開だ。
この間の話し合いで拓磨達が薬に関わっていないこと、既にマキに与したチームは鴉の掃討作戦に寄って解散又は壊滅に追い込まれていること。トワはその事を知っているが、まさか馬鹿正直に警察に言うわけにもいかない。ここで鴉とトワが繋がっているなどと知られるわけにはいかない。それこそ捜査から外されてしまう。
その点、一番の心配はマキの口から鴉とトワの関係が漏れることだが、その心配はしていない。
マキの敵意はあくまで拓磨ただ一人に向けられている。トワのことを警察に告げた所で困るのはトワだけで拓磨には何一つ傷は付かない。

トワは上司のいる少年課の部屋を目指して署内の廊下を足早に歩く。

「とりあえず鴉が先に動いてて助かったな」

鴉の掃討作戦が始まってから今日でもう三日が経っている。粗方片付いている頃か、作戦はもう終盤に入っているだろう。何せ鴉の実働部隊が動いているのだ、作戦は速やかに遂行され完遂されるはずだ。薬に関しても大和が同時平行で回収すると言っていたので、万に一つも取り零しはないはずだ。
ならば、今から鴉とマキを繋ぐ証拠を捜査し始めた所で、物証が出る確率は限りなく低いと考えていいだろう。

「むしろ今調べられると不味いのは…」

拓磨の所在だ。
拓磨がどこに住んでいるのかはトワも掴んではいないが、拓磨が現在身を寄せている先は分かる。あの氷堂の元だ。
どうしてそうなったのか、その理由がどうあれ、警察としては暴走族のリーダーとヤクザの間に繋がりがあると考えるのは不思議じゃない。今回の件で言えば薬物売買に関連した関係だとか…。そう邪推すれば切りがない。

「どうする…」

トワの手駒にあって、今すぐ動かせる人間。それも表向き調べられても拓磨と接点もなく、氷堂とも接点がない、今後接触してもその関係を掴まれにくい人間。
身動きの取れない自分の変わりにその人物にこちらの情報を渡し、拓磨もしくは氷堂のどちらかに接触してもらわねばならない。
公務員として情報漏洩は重罪だが、自身の属する組織が冤罪を生み出す可能性と、漏洩することで逆にその冤罪から派生するであろう無駄な争いと被害を回避できることを比べれば、このぐらいの情報漏洩は可愛いものだろう。そうトワは頭の中で持論を展開させると、少年課の一室が見えてきた所でその進路を右へと変えた。

少年課の部屋の手前には備品管理倉庫があり、更にその手前には右手に曲がると広い空間が存在する。テーブルやソファ、自動販売機、観葉植物の鉢が並んだ壁の裏手にはトイレがあり、休憩室となっていた。
今は誰もいないようだが、トワはテーブルやソファを避けると、自動販売機の横にある硝子ドアを押し開けた。
外に繋がるドアの先には、高さが胸の辺りまであるベランダが設置されており、そこには染み付いてしまっているのか煙草の匂いが漂っていた。ここは署内にある数少ない喫煙所の一ヶ所だ。

ベランダの壁に沿って設置された手摺に背中を凭れかけたトワは、内ポケットから取り出した携帯電話を操作して電話帳の中から目的の人物の番号を探し出す。休憩室の中を硝子一枚隔てた外側から眺めながら、発信ボタンを押した。

「……一ノ瀬だ。お前にやってもらいたいことがある」

電話の相手は始め、訝るような声で応えた。しかしトワは気にすることなく一方的に話しを続ける。

「一度しか言わねぇから良く聞け。事はお前等の大事な総長の件だ。詳細は省くが、今直ぐに総長の所在を掴め。次に本人もしくは同居している人間に接触しろ」

意図の読めない、良く分からないトワの指示に耳を傾けつつ思考を巡らせた相手が口を開く。そして、それに対してトワは難色を示した。

「……いや、駄目だ。実質的に動いてるソイツだと目立ちすぎる。お前に連絡をとった意味、分かるな?」

押し黙った相手にトワは話を戻す。

「どちらでも良い、接触したらこう告げろ。ーー今回の件で警察がお前を探してる」

電話の相手もある程度状況を把握しているのか電話の向こう側から僅かに息を飲む音が聞こえる。

「そう言えば分かるはずだ。分からないことは自力で調べろ。あぁでも…もしかしたら、本人を探すより同居人を調べた方が早いかもしれねぇ」

視界に中に、休憩室に入ってくる人間が映る。その人物はどうやら真っ直ぐにトワの元に向かって来ているようだ。
トワは内心で舌打ちすると手摺から身を起こし、休憩室側に背を向けた。

「ソイツは裏の世界で名の知れた、氷のような男だ。関係先に三大病院がある。ソイツに接触する場合は俺の使いだと言っておけ、…後は頼んだぞ」

通話口に向かって早口で喋り、トワは何事もなかったかの様にゆっくりと通話を切る。間もなくして休憩室に入って来た人物が喫煙所の硝子ドアを勢いよく開けた。

「まったくもう、貴方のせいで無駄足踏んだわ!ソタイの捜査室に行ったら一ノ瀬はさっき出て行ったって言われて。どうして貴方は真っ直ぐに戻って来ないのよ!」

いつもふらふらといきなり居なくなったり、勝手に捜査したり、まぁ…結果は出してるけど、兎に角単独行動は控えなさいよ!

きゃんきゃんと煩くトワに向かって吠える同年代の女性。身長はトワの肩辺りまであり、髪型はショートヘアー。スレンダーな体型で、専らパンツスーツを愛用している。名前は遠藤 美夏。所属はトワと同じく少年課。つまりはトワの同僚で、捜査の過程でもよくトワとコンビを組むことがある、トワがいつも振り回している相方だ。

「どうせソタイから話を聞いてきたんだろ?だったら俺を探すより先に課に戻って報告でもしてこいよ」

「確かにそうだけど、貴方がまた行方を眩ませたら探さなきゃいけないじゃない!私は確実な順番をとっただけよ!」

キッと睨み付けてくる遠藤に肩を竦め、トワはさっさと歩き出す。遠藤の横を擦り抜け、硝子ドアを手前に引く。

「おい、ちんたらしてんな。置いてくぞ」

「なっ、何よ!貴方が寄り道してるから…!」

今度こそトワは休憩室を後にし、上司に報告をする為に、自身が所属している課の扉をくぐった。
同時にトワの後ろから入って来た遠藤には方々から同情するような眼差しが向けられていた。






ソタイが売人の行方とその背後に何らかの組織が関わっているのではないかと捜査する一方で、少年課は暴走族グループの関与について捜査を開始した。
けれども、捜査に関わる捜査員の数は極端に少ない。
その理由は…

「今夜もあちこちで派手にやってんな」

「ちょっと、感心してる場合じゃないでしょ!近隣から何とかしろって苦情や通報が相次いでるんだから!」

暴走族グループの天辺に立つ鴉が派手に動いているからだ。掃討作戦は佳境に入っており、抵抗するチームこそ少ないが、乱闘騒ぎに至っているケースもあり、そこへ近隣住民からの通報を受けた警察が毎夜呼び出しを受けては駆け付けていた。また、その回数は粛清されたチーム数の数に比例し、警察は治安維持などで大忙しだった。

自分達の仕事が終われば速やかに引き上げていく、鴉の部隊の後ろ姿を眺めてからトワは面倒臭そうな顔を遠藤に向ける。
怪我をして動けないであろう、壊滅までに追いやられたチームの面々はそれでも警察のお世話にはなりたくないのだろう、ほうほうのていでバイクに跨がったりして逃げて行く。そして、それを現場の警察官が追ったり、制止の声を上げて何とか検挙しようと動いていた。

「ここも空振りだと思うが一応調べておくか」

「一応って何よ。ちゃんとやってよね!このチームだってリストに名を連ねてたんだから。物証が出るはずよ」

「そう言うがな、ここで五件目だぜ」

トワは肩を竦め、乱闘でめちゃめちゃになった建物の入り口を潜る。
リストに載っていた鴉傘下のチームを順々にあたっていっているが、これまで足を運んだ四チーム共に何も物証は残されていなかった。そのどれもが鴉の部隊に壊滅もしくは解散に追い込まれた後ではあったが。

「まだ、五件よ!」

「はいはい。…うるせぇ奴」

トワのやる気のない態度に遠藤は不満を露にしながら、チームのアジトとして使われていた建物内の捜索に入る。
その様子を視界の端に留めながら、トワは怠けた態度とは一変して鋭い眼差しで建物内をぐるりと観察した。
ここは長年放置されてきた工場跡だ。平屋の建物はぼろぼろだが、そのままの形で解体もされずに残っていた。大方、経営の行き詰まった持ち主が手放したか何かだろう。大型の機械等は売却したのか見当たらないが、そこかしこに部品の残骸や作業机、椅子などが残されていた。
他にはこの場所を拠点にしていたチームが持ち込んだのだろう、ボードゲーム等の遊び道具、小型の冷蔵庫に食器。散乱した雑誌類に、衣類。ゴミ等色々な物が散らかっている。
ざっと見た限りでは、ここにも特に鴉と売人、組織を繋ぐ物証は有りそうになかった。
それでも鴉がギリギリの綱渡りをしていることには違いない。

「ん?どうした、遠藤?」

がさごそと物証探しをしていた遠藤の動きが止まる。一瞬、何か出てきたかと穿ったトワだったがそれは直ぐに杞憂に終わる。

「どうして男って皆こうなの!さいってー!」

言いながら遠藤が投げ捨てた、成人男性向けのいかがわしい雑誌が宙を舞い、トワの足元に落下する。
偶然開かれたページにトワは視線を落とし、やたらと胸を強調して描かれた漫画に無言を決め込んだ。触らぬ神に祟りなし。

そしてその後も足を運んだチームのアジトで証拠となるような物は何一つ出てこなかった。







ソタイが売人の身元を割り出したのは、翌日になってからだった。

「名前は浅野 信吾。25才。佐稜会熊井組のしたっぱだな」

マキに名乗っていた田中というのは浅野が使った偽名だったようだ。
ソタイはマキと田中がやり取りをしていたコインロッカー周辺の聞き込みや防犯カメラのチェックを地道に進めていき、浅野らしき人物の特定に至った。その上で警察の犯罪データベースに掛けたら、窃盗の前科有りでヒットしたらしい。偽名の田中ではなく、本名の浅野で。
また、同時に探っていた資金の流れ、暴力団の動きから佐稜会熊井組の名前が上がってきた。

佐稜会熊井組は現在、穏健派と過激派で組内が分裂状態になっている。
熊井組組長が歳の為、引退を表明しており、次期組長に若頭を据えるか、自身の息子を据えるかで揉めていた。
これまで熊井組の組長は世襲制を取ってきたが、自身の息子は組長になる器ではない。時代の流れというのもあり、血筋に拘らず、自身の後は優秀な若頭に任せようかと考えていたのだ。
だが、その思惑がどこからか漏れたのか、指名を受けたならばこれまでの熊井組の流れを汲み組を纏めようと思っていた若頭と、組を継ぐのは自分だと反発した組長の息子が一方的に火花を散らし始めた。
若頭には昔気質な穏健派の者達が、組長の息子には若い衆や若頭が気に入らないという過激派思想な者達が追従し、組中を巻き込んでの騒動になっていた。
佐稜会の上層部は熊井組内部のことなので、今のところ口は出さずに静観の構えをとっている。

組織犯罪対策課の一室で中年刑事に告げられる捜査報告をトワは真剣な面持ちで聞く。傍らには遠藤が座っており、こちらも真剣な顔で手帳にメモをとっている。
二人の名目は引き続き、経験豊富な中年刑事の捜査の仕方などを勉強させてもらうことだ。ついでに少年課との繋ぎ役でもある。

「更に浅野は熊井組の幹部、引田の駒使いなようなこともしているようです」

引田 兼道(かねみち)。56才。
熊井組の幹部の一人で、組長の息子を支持している過激派の人間だ。
それに加え、熊井組の若頭と同年代で、出世し続ける若頭に並々ならぬ敵愾心を抱いている一人でもあった。

そうなるとその絵から自ずと、浅野が引田の使いで、薬を売り捌いていたのではと推察できる。

「ただ…現在、浅野の居場所が掴めていません」

「引き続き、全力で捜査しろ」

はっ、と捜査員が短くいらえを返し、中年刑事の視線がトワへと向けられる。
目線で促されたトワが神妙な面持ちで口を開いた。

「入手したリストをあたっていますが、どのチームからもクスリに関するものは出てきてません。同じく、高遠や売人に繋がる物証も見つかってません」

チーム数が多いので、今だ現在捜査中ですが。と、トワは付け加えて報告した。

「そうか…」

中年刑事は上がってきた情報を吟味する様に暫し沈黙する。
それからソタイの捜査員が、警部と呼び掛けて残っていた報告を済ませる。

「警部に言われて調べた後藤 拓磨の所在なんですが…」

「あぁ…どうだった。掴めたか?」

「それが…」

不意に出された名前に心臓が跳ねる。表面上は平静を装ったままトワは捜査員と中年刑事の会話に注視した。



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