05


一方、時は5日ばかり遡る。
拓磨と大和から預かったマキの身柄を警察へと連行した一ノ瀬 永久は、マキの取り調べの際に自分も聴取に同席出来るように何とか上司の協力を得て、その身を取り調べ室の中に滑り込ませていた。
マキへの取り調べは今日で二日目になるが、これまでマキは沈黙を貫いている。結局昨日出来たことといえばマキへの薬物検査のみ。他はマキの腕の怪我の治療や薬物使用による体調面を考慮して、留置場ではなく、警察病院へと入れることだった。

とは言え、このままでは何も情報が得られない。マキの身柄は逮捕され、取り調べが行われてから48時間以内に検察庁に送致しなければならない。それ以降の取り調べは検察官が行い、勾留するか、釈放するかを判断する。ただマキのように覚醒剤で捕まった多くの場合は勾留され、逮捕時から最大23日間担当警察署の留置場に勾留されることになる。その後、裁判所へと送られることになっていた。

「高遠 真木。24歳。10月12日生まれ。職業不詳。本籍地は…」

部屋の中央には長方形の机が置かれており、その机を挟む形で腰縄をパイプ椅子へと繋がれたまま座るマキ。そして、その対面の椅子に座り、マキの身上を読み上げるのは組織犯罪対策課所属の中年刑事だ。
また、室内に入ってすぐの左手側には壁に向かって机とパイプ椅子のセットがおかれており、そこには今記録係が座っている。机の上に開いたノートパソコンを叩く音がする。
室内は格子の付けられた窓から射し込む明かりだけでは薄暗く、電気の通った蛍光灯が室内を明るく照らしていた。

「では、もう一度訊くぞ。高遠、お前はこの覚醒剤をどこから手に入れた?」

トワは中年刑事の背後に控える形で立ち、目の前で行われる取り調べを黙ったまま眺める。この場でトワに発言権はない。
なぜなら、マキの身柄は覚醒剤使用と所持の覚醒剤取締法違反で押さえたが、本来トワの所属は少年課であり、薬物関連を取り締まる組織犯罪対策課(ソタイ)ではない。故にマキの身柄は取り調べからソタイに一任されていた。
尿検査の結果からもマキの薬物使用は明らかで、ソタイはマキから薬物の入手ルート、その方法、バックにいるであろう組織までを割り出すはずだ。
そしてそれは少年課のトワが独自のツテを使って薬の出所を探るよりは、より早く正確な情報を手に入れられるだろう。
その為にトワは、マキを検挙したのは自分だという、何とも強引で勝手な言い分を貫き、上司にも協力を仰いだ。果たして、上司である新倉 巌が何と言って取り合ってくれたのかは分からないが、トワは取り調べに口出ししないことを条件に、今、この場に立ち会わせてもらっていた。

「誰から買った?」

「………」

「今日も黙りか?」

薬の出所の件と、もう一つ。マキを取り調べるにあたってトワには危惧していることがある。それは…鴉のことだ。
拓磨のことを逆恨みしているマキが鴉を巻き込み何か言い出すのでは無いかと心配していた。けれども、トワの予想に反して、マキからは未だ何のリアクションもない。

「我々も暇じゃないんだ。知ってることは正直に話した方がお前の為だぞ。…家宅捜索に入った捜査員が今に言い逃れ出来ない証拠を引っ提げて戻ってくるぞ」

マキの体調は安定したとは言いがたいが、それでも取り調べは行える範囲まで回復しているはずだ。だが、マキは昨日と変わらず終始俯き気味で、こちらの話を聞いているのかも怪しかった。
警察に連行する前までは自身の怪我など省みずに暴れていたのが嘘の様に、マキは大人しくなっている。これもクスリの影響なのか。トワには判断がつかないことだが、酷く薬の禁断症状が出ればこの取り調べは即時中断され、マキの身柄は再び治療の為に警察病院に移されることになっている。

「………」

何も進展せずにチクタクと悪戯に時だけが進む室内に中年刑事のため息が落ちる。
荒っぽいことはあまり好きじゃないんだがなぁと、呟いた中年刑事がパイプ椅子を鳴らして立ち上がる。直後、背後にいたトワの存在を思い出したのか、中年刑事は小さく舌打ちすると記録係に一旦休憩だと言い捨て扉に向かった。

「一ノ瀬。取り調べの勉強だか何だか知らんが、俺が戻ってくるまで余計なことはするなよ」

「…分かってます」

取り調べ室から出て行った中年刑事の背中にトワは淡々と返し、パソコンを中断させた記録係に声をかける。

「この場は俺が見張っておきますから、先に休憩に行って下さい。どうせ暫くはあの人も戻って来ないでしょう」

休憩中、あの中年刑事は必ず煙草を吸いに階下の非常階段に足を運ぶ。二日も同じように過ごし、観察していれば何となくパターン化しているのは分かる。
これまで中年刑事の言い付け通り大人しく取り調べの行方を見守っていたトワから休憩を促された記録係は、トワを信用したのか、それでは少しだけ宜しくお願いしますと、暫し逡巡してからトワの言葉を受け入れた。
そうして記録係を部屋の外へ追い出すことに成功したトワは中年刑事が座っていたパイプ椅子へと腰を下ろすと、机を間に挟んで刑事として真正面からマキと向き合った。

「いい加減、何とか言ったらどうなんだ」

時間もないことだし、今さら遠慮するような仲でもない。トワは単刀直入に切り込んだ。

「黙って切り抜けられるほど警察は甘くねぇぞ。だからって俺はお前を助けたりもしねぇがな」

ピクリと肩を揺らし、それまで無言を貫いていたマキが反応を見せる。

「………そう…だろうな。お前はアイツの味方だ。…裏切り者だよ、お前は」

抑揚のない声で呟きながらゆっくりと頭を上げたマキは青白い顔でトワを見つめ返す。

「だから…俺は、ない頭で必死に考えてた。…ここにいても出来る最高の復讐方法」

トワを見据える眼差しは虚ろで、現実にはトワを捉えている筈なのに、その瞳はここにはいない別の人間を見ているようだった。

「アイツだけが幸せそうにのうのうと生きてるなんて、許されない。許さない。…俺と同じ場所まで引き摺り落としてやる」

くつくつと歪んだ笑みを浮かべ、滔々と語りだしたマキは、もうどこか壊れてしまっている。その様子にトワはマキへと向けていた鋭い眼差しを束の間、瞼の裏に隠した。

お前は目の前で友人二人を失った俺の気持ちなど知りもしない。きっと考えたことすらないだろう。
…だからこそ、拓磨だけは守らねばならない。

「お前が何をしようと俺達が止めてやる」

一方を捨てずにどちらも守れるなんて傲慢なことは思っていないが、拓磨を守ることで、マキがこれ以上罪を重ねるのを僅かにでも止められる可能性があるのなら。
…自分は永遠にマキの敵でも構わない。
それがあの時、何もできなかった自分に出来る唯一の贖罪だ。

虚ろな眼差しと決意を秘めた鋭いトワの双眸が交差する。

そうして訪れた短い沈黙は、外部から扉が開けられたことで破られた。
休憩に出ていたはずの記録係と中年の刑事が揃って室内に入ってくる。刑事の右手にはビニール袋が握られており、ビニール袋の中にはA4サイズの紙が入っていて、何か文字列のようなものが印字されているのが見えた。

トワは中年刑事に席を譲り、元に居た場所に控える。ちらりとマキの様子を伺えば、マキは刑事が手にしていた紙に目を向けると微かに目を見開き、口の端を歪めた。トワには嫌な予感しかしなかった。

「取り調べを再開する」

急くような中年刑事の宣言の下、再開された取り調べで、中年刑事に向かって漸くマキが口を開く。

「家宅捜索は終わったの?」

「どういう風の吹き回しだ。この二日間、黙りだったお前が」

質問を口にする前にマキに言葉を制された中年刑事が不快そうに眉を吊り上げる。

「別に…。家宅捜索が終わったならもう黙ってる必要もないかなーと」

まるでこの先の展開を面白がるように、うっすらとマキの口許が弧を描く。中年刑事はマキの態度を訝るように注視しながら、手に持っていたビニール袋を机の上に置き、マキの方へと中身が見えるように滑らせた。

「良い心がけだな。これは家宅捜索をしていた捜査員が発見したものだ。観念したならこの紙に書かれたリスト名が何を示すのか言え」

だいたい予想はつくが確認の為だと中年刑事は言い、家宅捜索で出たという紙をトワも机の横へと移動して覗き込む。

暁、炎竜、神楽、クレイ……

「っ、」

これは…!

紙面に並べられた見覚えのある名前に小さく息を飲み、思わず漏れそうになった声をトワは唇を噛んで押し殺す。
その傍らで紙面に視線を落としたマキは正反対にすらすらと答えていく。

「見ての通りこの辺の暴走族グループのリストで、…俺からしてみれば…取引の相手」

「取引とは?」

「それはもちろん、薬物売買の」

ほぉ、と中年刑事は興味深げに相槌を打つ。

「つまりこれは顧客リストだと?」

マキは中年刑事の言葉に肯定の意思を示すように一つ頷き、次の質問を待つ。

「では、これが顧客リストだとして、薬物の入手先はどこだ」

「さぁ…?俺はただ田中とかいう売人から貰っただけだし」

「田中なんと言う?何処で接触した?受け渡しの方法は?」

「下の名前なんか知らないし。向こうから勝手に接触してきて、このリストだって田中から渡されたものだ。コイツらに売ってくれって。その時々で駅のコインロッカーに取りに行くだけだし、詳しくは知らない」

「それなら田中の容姿は?何歳ぐらいだとか、身長、髪色、顔つきに、普段の服装」

「茶髪にひょろながの平凡そうな男だよ。二十代ぐらいで…。って、そんなことよりも」

マキの視線が一瞬、机の横で立ち尽くすトワへと流され、重なった視線にトワが眉をしかめる。だが視線は直ぐに正面へと戻され、マキは興奮したように続けて喋り始める。

「手っ取り早く、取引相手の頭を捕まえればいいだろ。ソイツなら確実に自分の懐に納めるものの出所ぐらい把握してるはずだし、そうすれば芋づる式に売人だって捕まえられるだろ」

「………高遠。お前はその取引相手の元締めの人間を知ってるっていうのか?」

暴走族グループとはいえ、まずは各個で動いているのか、隊として動いているのか、見極めなければならない。特に関東最大の暴走族グループを纏めている鴉には迂闊に手を出すのは危険だ。下手な理由で介入すれば、こちらが痛手を負いかねない。
鴉傘下のチーム名が連ねられたリストを前に、中年刑事は思案顔でマキの言葉に耳を傾ける。

「知ってるも何も、取引先の頭は鴉の総長ーー」

「っ警部!犯罪者の言葉を鵜呑みにするのは危険です。ましてや、覚醒剤を常習していた奴のいうことなんか本当かどうか疑わしい。幻覚や妄想が見せた作り話かもしれない」

マキの台詞に被せるように、トワが二人の会話に割り込む。

「余計なことかも知れませんが、こと鴉に関わるならば慎重に慎重を期すべきです。疑惑の域を出ない内は鴉に手を出すべきではない。ーーそれとも警部は責任が取れるんですか?」

「そ、そんなこと言われんでも分かっている!っ誰が口を利いていいと言った!」

「…失礼しました」

形ばかりの謝罪の言葉を口にしてトワは口をつぐむ。だがしかし、マキに流されかけていた中年刑事の思考を引き戻すことは出来たようだった。








「まずは裏を取らせる。高遠の交遊関係、行動範囲、田中という売人の行方を掴め。それと合わせて資金の流れだ。ここ最近おかしな動きがないか改めて暴力団を洗っておけ」

取り調べ室を後にした中年刑事は待機していた捜査員にそれぞれ指示を出す。

「顧客リストに関しては…少年課との合同捜査になる。リストに名を連ねているチームがチームだからな。一ノ瀬、お前は上司に連絡を取って、そっちで顧客リストの裏を取ってこい」

「分かりました。それと…高遠の言っていた取引相手はどうするつもりですか」

「後藤 拓磨…とか言ったか。どちらにしろ裏がとれん限り鴉に手は出せん。だが、所在は把握しておくべきか…」

「少年課の方で割り出しておきましょうか?」

「いや…、いい。ソイツの所在はうちで掴む」

トワはそれきり、早く報告に行けとソタイの一室から追い出されてしまった。


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