会いたい、だなんて我ながら乙女じゃないのかと苦笑した。
たった四文字打ち込んだだけ。だけどその四文字には俺の気持ちの全てが詰まっていて、俺の本心を伝えるには十分だった。
すぐに返ってきたのはわかった、とこれまた四文字だ。だけどそれでも嬉しいものは嬉しい。やっと会える。今から、あいつに。
簡単に身支度を整えて、つい最近教えてもらったマンションへとタクシーを走らせた。会うのはこれが初めてだ。チャット間ではいやというほど話した仲だが、会ったこともなければ声を聞いたこともない。
数十分してたどり着いたマンションの、最上階ではないけれどそれにごく近い部屋の番号。表札にはたしかに九十九屋とあいつの名前が書いてあった。
マンションの入り口はオートロックだったが、ちょうどマンション内から出てくる人物がいたためそれを機に入ってしまった。罪悪感はあまりない。
エレベーターに乗り上へ上へ。チン、と小気味いい音と少し慣れない浮遊感。
ワンフロアすべてが九十九屋の所有物なのか隣人はいなかった。ピンポーン。軽くインターホンを押す。するとそれから間もなくしてドアが開いた。
「やあ、初めましてというべきか?折原」
「まあそうなるだろうね、初めまして」
ドアを開けたのは好青年風の男。こいつが九十九屋本体か。じろじろ自分でも不躾とわかる視線を向けていると九十九屋が苦笑した。
「そんなに見ないでくれ。俺の顔に何かついているか?」
「いや。けっこう普通な顔してるね。ずば抜けて顔がいいわけでも悪いわけでもない」
「折原は可愛い顔をしているけどな」
「……馬鹿だろお前」
「そうかもしれない」
とりあえず中に入れてもらった。部屋は綺麗だがパソコンが多い。それと本、書類。認めたくはないが俺よりも有能な情報屋だけである。
ふかふかなソファに座り、手元においてあったクッションを抱え込む。やわらかい。
「……何か抱くならぬいぐるみにしたらどうだ?なんなら少女みたいな衣服もプレゼントするが」
「遠慮するよ。お前がぬいぐるみなんて持ってると思いたくないし」
「失礼なことを言うな。寝室に赤い目をした黒猫のぬいぐるみがあるぞ」
「……変な猫」
九十九屋らしいといえばらしいのかもしれないが。九十九屋が淹れてくれた紅茶がテーブルにおかれる。茶菓子もそれなりに有名な店のものとうかがえた。
「どうも」
「それにしてもどういう風の吹き回しだ?まさかお前から会いたいだなんて言われるとはな」
「本の著者プロフィールにも顔を出さないお前の顔をちょっと見てみたいと思っただけだよ。理由はそれだけじゃ不十分?」
「……全く素直じゃないな折原は」
「何?」
九十九屋の指が頬を撫でる。暖かさをもつそれはたしかに生きた人間の指だ。そして直接ふれあっているのだということを強く感じさせられる。
「別に理由なんてない、ただ会いたかっただけだ……とか言ってくれないのか?俺はずっと会いたかったのに」
「っ、つくも、や……」
「好きだ、折原」
正面から抱き込まれた体はたいした抵抗もできずにおとなしく九十九屋の腕の中におさまった。顔が熱い。好きだなんて、そんな。
九十九屋が俺の首筋をなぞる。ああダメだ、そこは。
「……噛み跡があるな。けっこう出血が酷かっただろう?かさぶたになっている。相手はさしずめ平和島静雄というところか?」
「他に誰がこんなことすると思ってるんだよ」
一昨日の話だ。池袋に行ったらシズちゃんと出会った。あの単細胞の男は俺を見かけるなり追いかけてきて俺を組伏せた。胸ぐらを掴まれて殴られると思ったら、シズちゃんは言ったんだ。「食い殺しちまうか」って。食いちぎるみたいに歯を立てられて、思い出すと今でも体が震える。
「ほんとに意味がわからないよあの化け物。普通噛みつくと思う?」
「平和島の気持ちに気付いてないのか?」
「どういうこと?」
「いや、気づいてないならいい」
九十九屋は俺を抱き締める力をより強くした。苦しい、けど、心地いい。緩やかな快楽の一時に目を閉じた。このまま寝てしまいたいと思うくらいにはリラックスしている。
「初対面の男の前で寝るのか?何をされても知らないぞ?」
「九十九屋は俺を襲うなんて無謀な真似はしないだろ。いくらなんでも九十九屋よりは強い自信があるよ」
「……否定できないところが残念だな」
九十九屋は俺をなんとか抱き上げると寝室に連れていった。別にソファで寝かせてくれればよかったのに。
ベッドの上におかれ、布団をかけられる。隣にはさっき言っていた赤い目の黒猫のぬいぐるみがあった。シンプルな部屋にそれだけがひどく浮いていた。
「おやすみ折原、いい夢を見ろよ」
唇に触れた柔らかさなんて、絶対気のせいだ。