消毒液のにおいが充満している。しかしそこは病室のように無機質な空間ではなく、生活感に溢れていた。落ち着いた色合いをしているが病室とはほど遠い。救急箱がおかれたテーブルの傍らにはコーヒーカップさえある。静雄は臨也から受けた傷の手当てをするために、知り合いの医者の家を訪れたのであった。

「臨也と対峙して生きていられる人間なんて君くらいだよ。普通ならこんな傷を負っただけでも即死なんだけどね」
「体が丈夫なのが取り柄だからな」

腕の傷の血を拭いながら医者、新羅は言った。血のしたにあるはずの傷はもう治りかけている。自分よりも人間らしくないなと思いながら、すでに必要ないだろう包帯を巻き付けた。

新羅は人間ではない。正確に言えばかつては人間だった青年だ。デュラハンという妖精に恋をした新羅は、彼女と添い遂げるために人間を捨てたのだ。その方法を静雄は知らないし、新羅も教えるつもりはない。
新羅は静雄だけでなく臨也とも親交があった。敵対する者同士とそれぞれ存外深い関係にあり、なんとも奇妙な人物である。新羅の家で臨也と静雄が鉢合わせことがないというのは奇跡に違いない。
「臨也とはもう50年近くの付き合いだけど、彼は昔から変わらないね。血を吸う理由なんて愛情表現だけだよ」
「ん?血を吸うのは吸血鬼にとって食事じゃないのか?」
『あいつは人間が食べる食事でも栄養をとれるぞ。たしか人間に紛れて暮らしてたこともあるからな。生意気なことに貴族だったかな』

横から話にはいってきたのは西洋人らしい顔立ちをした美女だった。こう綺麗な容姿をしているため口調に少し違和感を覚える。彼女の首はいわゆる頭部にはなく、椅子に腰掛けた首のない女性の膝元にある。常人が見たら悲鳴をあげるだろうが、静雄は彼女とも親しかった。彼女こそが新羅の妻であるデュラハンだ。

「ああ、一緒に食事をしたこともあったね。ペペロンチーノを出してやっても気にしないで食べてたし、にんにくは平気みたいだよ。一般的な吸血鬼とはちょっと違うのかな。僕としてはセルティと二人だけで食べたかったけどね!」
『恥ずかしいことを言うな!まあ吸血鬼が苦手なものなんて人間が勝手に考えたものも多いからね。臨也の場合はさらに特別だと思うけど』
「じゃあ俺に勝ち目はないっていうのかよ……」

げんなりとした表情で静雄が言うと新羅は首を横に振った。
「そういうわけじゃないよ。たとえば首をねじ切ったりすれば死ぬし。吸血鬼だって不死なわけじゃないんだ」
「……手前、臨也と知り合いのくせにあっさり言うんだな」
「死んでほしいとは思わないけど、少しはこらしめたほうがいいとは思うからね」
『まったくだ』

人外夫婦は愉快そうに笑う。そういうものなのか?と疑問に感じるも深くは突っ込まなかった。

「そうだ、せっかくだからいいものをあげようか。セルティ、そこの戸棚にある小瓶を取ってもらってもいいかな?」
『えっと……これか?』

首をおいてセルティが取りにいったい小瓶には、粘性の高いピンク色の液体が入っていた。いかにもあやしいその液体に静雄はあからさまに顔をしかめる。

「なんだよそれ、まずそうだな」
「ふふふふ、これは聖水だよ。どんな魔物でも一滴でもかかれば苦しむ聖水!飲ませればもっと効果倍増!」
「おおっ!すげえな!」
『新羅!お前本当に臨也を殺す気か!?』
「安心してよセルティ。これは聖水でも弱めだから効果は嘘。せいぜい体の動きが鈍るくらいさ」
「ちっ……」

静雄はあからさまな舌打ちをしながら小瓶を受け取った。胡散臭い代物だがもらっておいて損はない。
やたらはやい逃げ足を封じることができればもう勝利は約束されたようなものだ。

「じゃあこれもらってくな。それじゃ」
「行ってらっしゃーい」

嬉々として出て行った静雄を見送って新羅は一息吐く。首を抱えておろおろしている伴侶へのきちんとした説明も、静雄がいなくなった今ならできた。

「大丈夫だよ。あれを使ったくらいで静雄が臨也を殺すことはないと思う」
『え?どういうことだ?』
「動きを鈍らせることは本当なんだけど、実はあの薬にはもう一つ効果があってね。その効果がうまくいけば、静雄も殺すのは思いとどまるんじゃないかな」
『ならよかった……!静雄に殺しはさせたくなかったからさ!』

セルティはあくまで臨也ではなく静雄の身を案じていたらしい。臨也が不敏ではないのか、という考えはセルティを盲目に愛している新羅にはなかった。

『それで、その効果というのはどういうものなんだ?』
「それはちょっと言えないかな。次に静雄が来たときにでも直接聞けばいいよ。その時にはもう決着はついているだろうから」
『そうか……、楽しみだな!』

それから数分後には静雄たちのことなど忘れ、二人は優雅にティータイムを楽しむのだった。




 
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