翌日、臨也は自室のベッドの上で目を覚ました。家に帰れた、解放されたということは嬉しいことだったが、新羅にされた仕打ちを思い出すとせっかく止まった涙が溢れそうになる。

臨也はふらつく足取りで階下に降りていくと、リビングに秘書の姿をとらえた。


「波江さん…?どうして……」


まだ出勤時間ではないのに、と告げようとしたところで臨也の足がもたれる。床へ倒れ込む前にすばやく波江が臨也を抱きとめた。


「岸谷先生に頼まれたのよ。本当は彼がずっとそばにいたかったらしいけど、どうしてもやらなきゃいけないことがあったんですって。だからって勝手に貴女を任される私の身にもなってほしいわ」
「はは…ごめん時間外手当て出すからさ……」
「当然よ」


臨也は新羅がいないことに悲しくも安心していた。相反する気持ちに戸惑うも、今はすべてを忘れたいと波江の胸に体を預ける。いつもと変わらない波江の態度は、それだけで臨也を救ってくれた。


「それにしても、本当に酷い顔してるわね。シャワー浴びてきなさい、もうお湯は出ると思うわ」
「悪いね、なんかいろいろさせちゃって」
「報酬に見合う仕事をしてるだけよ」
「そっけないなぁ」
「勝手に言ってなさい」


波江のおかげで普段の調子を取り戻してきた臨也はまっすぐ浴室へ向かっていった。服は昨夜と変わらずコート一枚だけで、着替えは10秒もすれば終わった。

コックを捻ればシャワーからすぐに熱い湯が出て臨也の頭のてっべんから爪先までをしどどに濡らしていく。汚れきった体が清められていくようで気持ちよかった。


「………痛ッ」


不意にずきんとした痛みが手首に走る。目を向ければ擦り傷があり、そこに湯が染みたようだった。
新羅に拘束を受けた際、それから逃れようとして負った傷。結局逃れることなんてできずに、手首の傷よりもずっと深い傷を心に負った。

ずきん、ずきん。手首が、胸が痛む。曇った鏡を手で拭けばぼんやりと自分の体が写り込む。
表面上は特に何も変化がないように見えた。だが、臨也は鏡に映った自分の姿に酷い嫌悪を感じた。
鮮明に思い出す新羅にされた数々の陵辱。恋人同士だから許されるという枠なんて越えきっていた。臨也は壊れたように体を痙攣させ、頭を抱え込んだ。


「俺、汚い。やだ、こんな、嫌、もう、嫌、嫌、汚い、汚い汚い汚い汚いっ!見たくない、こんな、俺、いや、いやだ、やだぁああぁあああ!!」


ガシャアァン!と大きな音がした。波江が慌てて浴室に向かったときには鏡は割れていて、臨也の手からは真っ赤な鮮血が幾筋も溢れ排水溝へ流れていった。


「臨也一体なに馬鹿なことしてるのよ!こっちへ来なさい!」
「だめっ触らないで!俺に触ったら波江さんまで汚れちゃうから!来ちゃダメだからぁ!!」
「落ち着きなさいよ!このくらいで汚れるならもうとっくに汚れてるわ!!」


波江は臨也を無理矢理浴室から連れ出してソファに座らせた。全裸でまだ濡れたままだったがそんなことを言っている場合ではない。波江は手早く臨也に治療を施していった。


「ほんと、馬鹿なことをするのね…鏡を割ったって何にもならないわよ」
「波江さん…俺…」
「手首にも、足にも擦り傷があるわ。岸谷先生がこんなことするなんて意外ね」


波江は用意していた着替えを臨也に渡す。臨也はもう大分落ち着いているようだった。
自分が知っているものよりも格段に痩せた臨也の裸体が隠されていくのを見て波江は溜め息を吐く。あの臨也をここまで追い込んだ新羅に、内心波江は怒りを抑えきれなかった。


「貴女やっぱりマゾなの?岸谷先生じゃなくたっていいじゃない。貴女の周りには貴女を愛してくれる男がたくさんいるのに」
「……波江さんが心配してくれるなんて嬉しいよ。でも、ごめんね。俺は新羅が好きなんだ。新羅になら何されてもいいって思ってた。だけど……なんでだろう、好きなのに辛いんだ…」
「臨也……」


波江は臨也を抱き締めた。今の波江にはそれが精いっぱいだった。


「貴女は間違ってないわ。それが普通の反応よ」
「でも…」
「一度岸谷先生とよく話し合ってみなさい。何かが変わるかもしれないわよ。柄じゃないけど応援くらいはしてあげる」
「ふ、ぅ、ふぇぇ…っ」


臨也は、泣いた。新羅とどうすればいいかわからなくなっていた臨也にとって、波江の言葉はとても勇気付けられた。臨也は自分のことをここまで想っていてくれた波江が嬉しくてたまらなかった。


「波江さん…波江さんがいい女すぎて生きてるのが辛い…」
「あら、今ごろ気づいたの?」
「…君ってそんなこと言うキャラだったっけ…?」


クスクスと二人が久々に笑い合っているとインターホンが鳴った。モニターに映ったのはつい先ほどまで話題としていた人物。


『臨也?迎えに来たよ』


「……波江さん、行ってくるね」
「ええ。頑張りなさい」
「うん!」


臨也は泣いた目を擦りながらコートをひっかけて出ていった。臨也の成功と無事を願って、有能な秘書は今日から数日間の仕事の予定を調整する。

この後、臨也になにが待っているかなんてそのときは誰も知らなかった。ただひとり、新羅を除いては。





 
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