ボクラハオナジホシノモト。(1)
どこまでも澄んだ青空が、広がっている。大地との境目は見えない、どころか大地がない。自分は今どんな体勢になっているのか分からないほど、辺りは空に包まれていた。寝転がっているのか、逆さまに落下しているのか。不思議と、浮遊感や内臓がかき回されるような悪心はなかった。
唐突に、景色が変わる。
雲、雨、雷、嵐――かと思えば霧に覆われ、次の瞬間には目を焼くほど眩しい太陽が顔をだした。そしてまた、最初の青空に落ち着く。
ダラリと伸ばした腕の先、ボウ、と何かが灯った。
(オレンジ、の、炎……?)
暖かく、優しい色をしたそれは、空から零れ落ちたように見えた。
顔の正面までやってきた炎は、まるで母親が子どもへそうするように、そっと額へ触れる――触れたのだ、優しく暖かい、一つの手が。
炎は、人になっていた。
顔はハッキリしない。フワフワと風になびく栗色の髪。はためくマントと、ゴテゴテした飾りのついた手袋が、目を惹いた。
男の口が動く。手袋に包まれた指が、額に触れた。
「――リングに刻まれし我らの時間」
暖かい熱が額に灯って、フッと眠気が沸き上がる。少しずつ閉じて行く視界の中、男が申し訳なさそうに微笑んでいた。
「――ごめんね、」
オレンジの炎。まるで、大空のような。
(オレンジなのに、どうして)
空を連想したのか分からない。その疑問を最後に、視界は黒くなった。

◇◆◇

「ケイ!」
ハッとして目を覚ますと、逆さになった友の顔が青空を背景に広がっていた。
慌てて、芝生に寝転がっていた身体を起こす。額が衝突しそうになったが、そこはラグビー部エースの運動神経を生かした相手が、ヒョイと避けてくれた。
「こんなところで寝てっと風邪ひくぞ」
部活帰りに見つけて声をかけてくれたらしく、友人はジャージ姿で微かに汗の匂いを纏っている。
少年は「あはは」と適当に笑いながら、口端に垂れていた涎を手で拭った。
「ちょっと空が綺麗だったから……」
ゴロリと寝転がって空を見上げているうち、寝てしまったらしい。少し変わった言い回しをするな、と友人は思ったが、座学の成績がよろしくない彼はあまり深く気にせずに流した。
「まあ、良い天気だな。けどよ、早く帰らないとまたケイの母ちゃん心配するぞ」
「かもね。起こしてくれてありがとう」
友人に礼を言って、少年は家への道を駆け出した。
イギリスはロンドンの、中心部から少し離れた郊外の街。
少年は、母と二人暮らしの中学生(ジュニア・ハイスクール・スチューデント)だった。成績は下の下。球技が苦手で、少し走れば小石に躓く。つまりは落ちこぼれ。
趣味と言えば、クラスで少し気になる女子の笑顔をこっそり眺めたり、青い空を見上げたりすることくらい。今日もまたそんなことでよそ見をしていたから、教師には絞られるし、転寝していたところを友人に見つかった。
「はあ……ほんとダメなやつだな、俺」
大きく息を吐いて、ふと少年は空を見上げる。
どこまでも広がる青い空。夢で、見たのと同じ。
「!」
丸い瞳に空を映していた少年は、こちらを見つめる気配を感じてハッとそちらへ視線をやった。
少女が一人、立っていた。
薄紅色の髪をした少女だ。年は、少年と同じ頃のように見える。見える、と思ったのは彼女の目元が黒いマスクで隠されていたからだ。腹部とスラリとした足を惜しげもなくさらした服装は、少々少年には刺激が強い。
(アメリカンガールってやつかな……)
何にせよ、関わらないのが吉だ。そう思い、視線を逸らそうとした少年の目の前に、少女は立ち塞がった。
「ひえ!」
「……」
肩を飛び上がらせ、喉を引きつらせた少年を見て、少女は眉を顰めたようだった。
「……リングの継承者は、総じて……」
「え?」
ブツブツと少女は何かを呟く。少年には聞こえなかったが、何やらあまりよろしくないことを言われた気がした。
「いいえ、何でもありません」
「あ、そうですか……」
「やっと見つけました」
「へ」と間抜けな声を出した少年に構わず、少女は彼の左手をとった。異性に免疫のない少年は、思わず顔を赤らめる。
「新たなるボンゴレリングの継承者。あなたの力が必要です」
淡々とした声色で告げられた言葉に、少年は訳が分からず目を瞬かせた。
「ボンゴレリング?」
「はい。こちらを」
少女が少年の左手に握らせたのは、手のひらサイズのアクセサリーケース。少女の手によって開かれたその中には、一つのリングが収まっていた。他にも六つ、リングを収められる穴があったが、今は何もない。
少女は目を瞬かせる少年を気にせず、ただ一つ収められていたリングを摘まみ上げると、少年の右手を取り上げた。茫然とする少年の中指に、そっとリングを嵌める。
「え……は?!」
思わず少年は両手を掲げ、真っ赤な顔のまま少女と距離をとった。左右も違うし指も違うが、まるで男女の仲で交わす契約のような所作に、少年の脳内はパンク寸前だった。
「勘違いしないでください」
少年の思考を全て理解したわけではないようだが、少女は少し不快そうに眉を顰めた。
「私はあなたにそのリングを渡しに来ただけです。それ以上でも以下でもなく、あなたに対して特別視する感情もない」
「う……いや、分かりますけど、そうハッキリ言われると……」
少年の自意識過剰とは分かっているが、いざ突きつけられると傷つくものは傷つく。
「でも、いきなりもらえないよ、こんな高そうな石の収まった指輪」
ゴツゴツとした意匠のシルバーリング。真ん中には、空色の石が収まっている。アクセサリーや宝石に詳しくない少年だが、高価なものだということは分かる。
「だから返す……」
「そうだね、それが良い」
ぞわ、と少年の背筋が泡立つ。少女の柳眉がまた歪み、少年の背後に現れた気配を睨みつけているようだ。鞄の肩ひもを握りしめ、少年はそろそろと振り返った。
なんだ、この肉食獣に睨まれたような感覚は――。
そこに立っていたのは、黒ずくめの子どもだった。
少年や少女と同じ年頃。黒く艶やかな髪を揺らし、袖を通さない黒い上着を肩にかけている。袖に赤い腕章が引っかかっていたが、英語じゃない言語が書かれていたため、少年には読めなかった。
「早すぎる……」
焦ったような少女の声。彼女を背後に庇い、少年はジリと地面を擦った。
「風紀財団……!」
鋭い目を更に細めて、獲物を見つけた肉食獣はニヤリと微笑んだ。

少年は、シングルマザーの母と二人で暮らすイギリス生まれの少年だ。しかし先祖に日本人がいたそうで、さらに母が親日家のこともあって、実家には日本語の文献がある。全て読めるほど、少年は日本語を熱心には勉強していなかった。だから気づくのが遅れたが、黒ずくめの子どもが腕につけた腕章に書かれた文字は、日本語だ。
「わあ!!」
頬を掠めた銀の棒――後で少女からトンファーと呼ぶのだと教えてもらった――から身を引き、少年は尻餅をついた。
怯える少年を見下ろし、子どもは興ざめしたように表情を失くす。
「つまらない……単なる草食動物か」
それから視線を、ジリジリ後退しようとしていた少女へ向ける。
「それで、君はどうしてこんな草食動物にそんなものを渡したんだい? チェルベッロ」
「……あなたがボンゴレのために動くとは思いませんでした。雲の守護者、ヒバリ」
「そんなものになったつもりはない。ただ、彼が五月蠅かったし、僕も興味があったからね」
その興味も、今の一瞬ですっかり失せてしまったが。ぽつりと呟いて、ヒバリと呼ばれた子どもは少年を一瞥した。「ひ」とまた怯える彼の姿に、ヒバリはため息を吐いてトンファーを下ろした。
「本当、理解に苦しむ」
「あなたの理解が、及ぶことではないだけのこと」
ヒバリの威圧感は凄まじく、少年の足はガクガクと震える。しかしそんな相手に真正面から言い返す少女に、少年は感心していた。
「あ……」
少年は、気づいた。脇に垂らされた少女の手が、キュッと白くなるほど握りしめられている。それは怯えるような、虚勢をはるような、そんな仕草だ。やはり少女も、ヒバリの威圧におされているのだと、少年は直感した。
ぱし。
少女の手を掴んだのは、少年の汗ばんだ手だった。
「え……」
驚く少女と目を丸くするヒバリを気にせず、少年は少女の手を掴んで一目散に駆け出した。直感的に、彼女を連れてあのヒバリから逃げなければと、そう思ったからだ。

◇◆◇

夕飯の支度に精を出していたマリアは、玄関から慌ただしい音が聴こえてきたことで、息子が帰宅したのだと気づいた。
「ちょっとケイ! もう少し静かにしなさい」
「ごめん、母さん!」
既に二階の自室へ入ってしまった息子は、そんなおざなりな言葉を返す。全く、と吐息を漏らし、マリアは彼の放り投げた鞄を拾い上げ「誰に似たのかしら」と聞く者のない愚痴を呟いた。

「はあ……」
自室に駆け込むと同時に、少年はグッタリと座り込んだ。そこで少女の手を繋いだままだということに気づき、慌てて手を離す。
「ここは、あなたの部屋?」
「あ、うん。散らかっててごめん」
人を、ましてや異性を招待したことなどなかったものだから、本やゲームが床に転がったままである。
取敢えず一つしかないクッションを譲り、少年は少女と向かい合って座った。
「さっきの人は? この指輪って何?」
平たいクッションが些か不満だったのか、少女は眉を顰めた。しかしすぐに座って、少年の方を見やる。
「あれは日本のとある地域を取り締まる風紀財団の次期総帥・雲雀。恐らく、そのリングを奪いに来たのです」
「奪いにって、そんなに高価なものなの?」
「値はつけられませんが、謂れはかなりのものかと」
「ひい! やっぱりいわくつきなんじゃないか!」
ジャパニーズマフィアのような人物まで現れるなら、ますます受け取ることはできない。少年が慌ててリングを外そうとすると、少女の細い手がそれを押しとどめた。
「それはあなたのものです」
「……どうして」
マスクから僅かに覗く目が、真剣な色をしていたため、少年は思わず手の力を抜いた。
「どうして君はそこまで俺にリングを渡そうとするの? 君は一体……」
「私はチェルベッロ。あなたの人生に一時介入し、また去って行くだけの存在」
出会ったときから変わらない、淡々とした声色。しかし今は、どこか寂しそうな音が混じっていたように、少年には感じた。
「俺は……」
「ケイ!」
トントン、と扉がノックされ、少年は肩を飛び上がらせた。しかしすぐに母の声だと気づき、肩の力を抜く。立ち上がろうとした少年は、しかしゾワリとした気配に動きを止めた。少女が不思議そうに首を傾ぐ。
「……何か、ヤバイ気配がする」
「もう、ケイったら、さっさと返事しなさい」
ボソリと呟くと、少女も警戒を高めたようだ。二人で睨む扉の向こうで、母は少し頬を膨らめたように言葉を続ける。
「折角学校の先輩が訪ねてきてくれたのだから、粗相のないようにね」
「突然だったから、驚かせてしまったかな」
母の言葉の次に聞こえてきた声に、二人は思わず立ち上がった。「じゃあごゆっくり」と母の足音が遠のく。彼女が一階に降りたことを確認したのか、ゆっくりと扉が開いた。
「やあ、チェルベッロに草食動物」
隙間が開いた瞬間、少女は少年の腕を引いて窓から飛び降りた。

「なんであんなに早く!」
「ヒバリの目的物を探し当てる勘と嗅覚はとても鋭いのです!」
裏庭を通って、人通りの少ない森林公園へ。
「戦闘能力も、歴代最強と言われた初代総帥にひけをとらないと聞きます。一人で、武装した五百人のマフィアを制圧したという噂もあります」
「そんな人相手にどう逃げれば良いんだよ!」

「弱いからこそ背を向けて、逃げまどっては喰い殺される……」
ハアとため息を吐き、ヒバリは腕を組む。すっかり戦闘意欲は削がれ、興味も失せてしまった。手を下すのも、面倒である。
「彼の話ではもう少し楽しめる気がしたんだけど……」
もしものためにと渡されたこんな玩具も、使うつもりはなかった。しかしヒバリの意欲がなくなった今、この玩具に任せるのが、一番面倒がなくて良い。
「さて、起動しな。ストゥラオ・モスカ」
傍らに立つ無骨な機械兵の目に、光が灯った。

日は傾きかけ、辺りは闇の色を濃くしている。森林公園の電灯が光り始め、道を照らしている。しかし少年たちはそんな道を通らず、光もあまり届かない木々の間へ飛び込んだ。
風や動物たちが揺らす木々の葉が、時折大きな音を立てる。そのたびに少年は大きく肩を飛び上がらせたり、喉を引きつらせたりして、後ろを歩く少女から呆れられた。それでも震える手は少女を掴んで離さず、指から伝わるその意思に、少女の脈がとくんと打った。
「……」
「あ、そう言えば、チェルベッロさん……」
振り返った少年は、少女がプルプル頭を振っていたのでぎょっと目を丸くした。
「ど、どうしたの?」
「いえ、お気になさらず」
少女は乱れた髪を直した手を、少年の鼻先に突きつける。
「敬称は不要です。私はあなたの人生にたまたま現れた、分岐点なのですから」
「ぶ、ぶんき?」
「……しかし、もし、あなたが」
少女が俯いたので、少年も足を止めて彼女と向かい合うように身体の向きを変えた。
「星の、導きを、」
彼女の絞り出すような声は、銃撃音にかき消された。
「!?」
「な、なにあれ!?」
咄嗟に少年の手を引いて、少女は一緒に樹の影へ身体を隠す。銃弾が地面を抉り、砂煙が立つ。ゾッと顔を青くした少年は、さらに空中から姿を現した無骨な物体に目を丸くした。
「ストゥラオ・モスカ。ひと昔前に開発された、特殊な生命エネルギーを燃料として稼働する軍事兵器です」
ヒバリの差し金だと少女は囁く。
「まずい……」
「え?」
「あのタイプは、リングの位置情報を感知できるんです。早くここから離れないと……」
少女の話が終わらぬうちに、少年たちの頭上を何かが通り過ぎた。硝煙の匂いと、樹がぽっきりと折れて倒れて行く音。恐る恐る顔を上げると、銃口となった手指をこちらへ向けるストゥラオ・モスカの姿が目に飛び込んでくる。
「ひぃ!」
すっかり腰が抜け、尻餅をついた少年は目尻に涙を浮かべた。
「無理無理! あんな怖いやつから逃げるなんて無理だよ!」
「立ってください、ここにいては!」
「怖いのも痛いのも嫌なんだ! このリングを渡せば終わるなら、それで良いじゃないか!」
頭を抱えて泣き叫ぶ様子に、少女の顔が歪む。それに気づかない少年は、目をギュッと閉じて蹲った。彼の様子にカッと頬を赤らめた少女は、草を踏む音にハッと我に返った。
「君が選んだ継承者は、とんだ腰抜けだったみたいだね」
ストゥラオ・モスカから少し離れたところで、ヒバリが樹に寄り掛かっていた。腕を組んでつまらなさそうな表情で、少年らを見ている。少女はヒバリを睨み、それから少年の頭を抱える右手を掴んだ。
「立ってください! そのリングの継承者はあなたなのです! だから、奪われるわけにはいかないのです!」
「そんなわけないだろ」
ピシャリと反論したのは、ヒバリだ。
「別にリングの行方がどうなろうと知ったことではないけど、僕の聞いた話では正統な継承者はその草食動物じゃない。イタリアにいる筈だ」
「イタリア?」
「そう。イタリアンマフィア――ボンゴレファミリーの十五代目ボス」
ヒバリの言葉に「ひぃ!」と少年は怯えた声を上げた。それから、自分の右手中指に鎮座したままのリングへ目を落とす。
「イタリアンマフィアって、ヤバイ人らじゃん! ますます俺が継承者って意味分からないよ! 俺の先祖にイタリアンなんていないし! いるのはジャパニーズくらいだって!」
ピクリ、とヒバリの耳が僅かに動いた。それと一緒に、眉が顰められる。まさか、と呟いた声は、本人にしか聞こえないほど小さなものだった。しかしすぐに首を振り、己の第一目的に意識の照準を合わせる。
「チェルベッロの君がまさか、ここまで口を出してくるとは思わなかったな。君らはリングの移動のときだけ、正しくジャッジするために姿を現すものだと聞いているけど」
顎へ指を添え、ヒバリは目を細める。
「え……?」ヒバリの言葉の意味が一つも分からず、少年は思わず涙目で少女を見やる。少女は何かを飲み込むように口を結んでいた。そんな二人の様子を見て何を思ったのか、ヒバリは優美な動きで人差し指が口元を撫で、三日月のような弧を描いた。
「ああ、君は知らないのか、草食動物。チェルベッロは一族の名さ。その女に固有名はない。そのボンゴレリングはさっきも言ったようにとあるイタリアンマフィアのボスの持ち物であるだけでなく、特別な意味を持っていてね……彼女らは、そのリングが継承されるときに姿を現し、正統継承者にリングが正しく引き継がれるよう見届ける審判員(レフェリー)なのさ。――ただ世界を眺めているだけの存在。そんな一族に嫌気がさして、一族の使命に反抗しようってつもりなのかい?」
「私は……!」
つい口を開いてしまった少女は、しかしすぐに言葉を飲みこみ、キュッと手を握りこむ。
「……」
思わず、少年は彼女をじっと見つめる。
「……どうでも良いけど」
少女の考えなど興味がない、と呟いてヒバリは少年たちの方へ足を進める。慌てて立ち上がり、ヒバリと少年の間へ少女が立ち塞がった。フンと鼻を鳴らし、ヒバリは腕を持ち上げた。そこに握られていたのは、銀に輝くトンファー。
まさか、と少年が思い立って膝を伸ばしかけたとき――ガッ、とかなり重い音を立てて、銀のそれが少女の頭を殴りつけていた。細い彼女の身体が、地面へ沈む。
「フン」
微かについた血を、トンファーを振ることで払い落とし、ヒバリは鋭い視線を少年へ向けた。
「面倒な仕事はさっさと終わらせたいんだ。早くそのリング渡してくれる?」
渡さなければ少年もトンファーの餌食だと、言外に脅迫されている。そうはっきり理解した少年の身体は震え、手の平には汗が浮かんだ。
それでも、ギュッと手を握りしめて逃げ出さなかったのは。笑う膝を押し留めて、ゆっくりと立ち上がったのは。
「……れ」
「ん?」
「その子に、謝れ!」
散々馬鹿にして殴り飛ばした『理不尽な暴力』――それを、許せなかったからだ。
叫んでから、ハッとして口元へ手をやる。身体を熱くしていた血がサアッと引いて、手足が冷たくなった。つい、いつも理不尽に揶揄ってくるクラスメイトのことを思い出し、苛立ちのままに叫んでしまった。よりにもよって、クラスメイトたちなんて目じゃないほど、怖そうな相手に向かって。
間髪入れず殴られてもおかしくない状況。両手で口を覆った少年がそろそろと視線をやると、ヒバリは何故か興味深そうに目を細めている。
「虚勢を張るだけの度胸はあったのか。ただ食い殺されるだけの草食動物じゃあ、ないのかな」
ヒバリにとっては、まだまだ草食動物の域をでない生き物。しかし、その抉じ開けられた才能の先は、興味がある。
「見せてよ、僕に――このストゥラオ・モスカを、倒して」
トンファーを下ろし、代わりに持ち上げたモスカの操作パネルのボタンを押した。
ストゥラオ・モスカの目に光が宿り、照準が少年に定まる。ストゥラオ・モスカが飛び上がるのと同時に、少年は踵を返して駆け出した。
「ひぃいいい!!」
「逃げられないよ」
炎を吹き出しながら推進し、ストゥラオ・モスカは銃口になっている十本の指を少年の背中へ向ける。そこから発射された銃弾が、少年の足元や通り過ぎた木々に当たる。そのたびに、少年は頭を抱えて悲鳴を上げた。
「どわ!」
煉瓦の僅かな段差に躓き、少年は顔面から倒れこむ。痛む鼻頭を摩りながら起き上がると、すぐ背後にストゥラオ・モスカが迫っていた。
「ひぃ! お助け!」
頭を庇おうと腕を振り上げたとき、離れたところで身体を起こす少女の姿が目に入った。額から一筋の血を流し、ふらふらとしながら上半身を起こす少女。マスク越しの彼女と、何故か目があったような気がした。
縋るような、何かを託すような瞳。その目を、少年はどこかで見た気がした。
ふわ、と柔らかい何かが額に触れた気がした。
――ほんと、つくづく俺にそっくりだな。
苦笑するような声が、頭の中に響く。
(この温度、夢で――)
――今回は特別だ。やり方を、教えてあげる。君は、自分のためじゃなくて、誰かのためになら強くなれる。
グッと握った両拳。ギュッと瞑った目蓋が薄く開き、オレンジ色の虹彩が顔を見せる。
――誰かのために、強くなれ――
ストゥラオ・モスカの腕が迫る瞬間、額にボゥとオレンジ色の炎が灯った。

「ふあ〜あ」
退屈だ、と欠伸を溢しヒバリは肩を回した。
草食動物らしく逃げ足は速いようだが、モスカの自動追尾からは甘くない。しかし、待つのはやはり退屈だ。夜も更けて、眠気も出てきた。チェルベッロの女は無力化できたし、少しひと眠りしてからモスカに倒されたところを回収するのが得策か。
「さて……」
そう思ってヒバリが腰を据える場所を探そうとしたとき。
ドオゥン!
爆風と爆発音が、ヒバリの髪を揺らした。
そちらへ視線をやり、ヒバリは「ワオ」と楽し気な声を漏らす。
爆風で巻き上がる砂煙の中、立ち尽くすストゥラオ・モスカ。その傍らで、モスカの引きちぎった腕を手に、少年が立っている。少年は引きちぎった腕をグッと握り潰し、ヒバリの方へ視線をやる。
「ここでお前を殴らなければ――死んでも死にきれねぇ」
額から燃え上がっていたのは、暖かい大空の炎だった。

ガシャン、と音を立てて引きちぎられたモスカの腕が地面に転がる。それをやってのけた少年の額からはオレンジ色の炎が立ち上がり、両手には先ほどまで見られなかった青いガントレットが装着されていた。全体的な雰囲気も、先ほどまでの怯えた草食動物とは程遠い。静かなる闘気が感じられた。
「そのガントレット、やっぱり君……」
そこまで呟いてヒバリは、詮索は余計だと言葉を止めた。
「だが油断しない方が良い。そのストゥラオ・モスカはそれくらいじゃあ止まらないよ」
「!」
怪しい機械音を出していたモスカの首がグルリと九十度回り、横にいた少年を狙う。蠅のように伸びた口元へ光が集まったのを見てとって、少年は地面を蹴ると飛び上がった。モスカの頭を両手で掴み、自身の身体ごとグルリと回す。人間なら脛骨に当たる部分がポキリと折れ、頭と胴が離れた。
「ワオ、中々やるね、君」
「次はお前だ」
「できるものなら」
ヒバリがトンファーを取り出す。ガッと青いガントレットとトンファーがぶつかり合う。澄んだオレンジ色の瞳を覗き込み、ヒバリは笑みを深くした。

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